アインシュタインが考えたことについて目次 | ブラックホールから光が出られない仕組み |
「アインシュタインが考えたこと」について 16
著者 高田敞
(以下{ }内は上記本からの引用です)
{ニュートン力学の威力}
{「座標系の返還に関して力学の法則は変わらない」(P44)
相対論とミクロの世界 P143
光速度不変の原理
問題
{この、パイ中間子が、ほとんど光の速さで動いている場合でも、放出される光は、やはり光の速さで進むのです。ちょっと考えると、ほぼ光の速さで運動しているものから前方に光の速さで光が出たら、光の速さのほとんど二倍で進むというふうに考えられますが、そうはなっていないのです。このことは直接確かめられました。}
考察1
光速度不変の原理は二つから成り立っています。
1 光は光源の速度には影響されずに、光速度である。
2 光は何ものにも光速度である。
これについては、P88に{光の速さを運動しながら見ても、いつも光の速さであるとか、光の速さと光の速さで近づきつつあるものにおいて、一方からもう一方を見た場合、ちょっと考えると光の速さの2倍に見えるような気がしますが、やはり光の速さであるとか、光の速さを光の速さで追いかけても光は光の速さで逃げていくとか、}と説明がある。
の二つです。
1は、ニュートンの理論から類推できる理論です。ニュートンの慣性の法則は、この本にある、新幹線の中の10円玉が真っすぐ落ちる、という原理です。時速200kmの新幹線に乗っている人が、前にボールを時速80kmで投げると、ボールの速度は、地表に対して、時速280kmになります。これは、ボールが、新幹線の速度の200kmを手から離れる前から持っていて、そのエネルギーを保存しているからです。それプラス、投げるとき手から受け取った時速80kmのエネルギーです。この二つのエネルギーを保存しているのでボールは地表に対して時速280kmで進むのです。慣性の法則です。これは、物質が慣性質量をもっていることから起こるとされています。
では光はというと、このようにはなりません。光は、慣性質量を持たないから、光源がどのような速度であっても、その速度のエネルギーを保存できないから、光は光固有の速度になるしかないのです。ボールでいえば新幹線から受け取った、200km分が光ではなくなるということです。あるのは光が独自で持つ光速度だけです。だから、光源の速度にかかわらず、光はつねに光速度になるということです。これが1の光速度不変です。
だから、{パイ中間子が、ほとんど光の速さで動いている場合でも、放出される光は、やはり光の速さで進むのです。}ということになります。パイ中間子の速度のエネルギーを保存できないのです。
これはニュートンの慣性の法則から類推できることで、アインシュタインの相対論とは関係ありません。
相対論の光速度不変は、2の、何物にも光は光速度である、という理論です。
光速で飛んでいるとき、前の鏡に姿が映るだろうか、と考えたのが、アインシュタインが相対論を考えつく始まりだったということです。光速で飛んでも、光は前に飛び、鏡に顔が映るはずだ、そうでないとおかしい、と考えたのです。別におかしくはないのですがね。同じような原理の音だって、音速を越えて動くと、音は聞こえなくなるのですから。光の速度を越えたら、光が後に取り残されて、前の鏡に映らなくても何ら不思議はないのですがね。常識で考えると写る方が不思議なことです。
相対論者がマイケルソン、モーリーの実験を、光速度不変の証拠だというのもそこから来ています。マイケルソンモーリーの実験は、光はどのような速度の物質にも、光速度でぶつかるというものです。
ところが、ここで、述べられているのは、1の光速度不変です。ニュートン力学から類推できる、光速度不変です。アインシュタインの光速度不変ではありません。それどころか、アインシュタインの光速度不変を否定しています。
1の場合は、空間が縮まったり、時間が縮まったりする必要はありません。光は絶対静止に対してつねに光速度で進むという理論ですから。
2の場合は、光は何物にも光速度で進むから、その代わりに時間が縮まったり、空間が縮まったりするのです。
したがって、アインシュタインの考えでは、書いたように、パイ中間子から出た光は、パイ中間子に対して、光速度で進まなくてはなりません。これはP88に{光の速さを光の速さで追いかけても光は光の速さで逃げていく}とあるように、相対論ではパイ中間子に対して、光は光速度で逃げていかなくてはなりません。パイ中間子の前に置いた鏡に光は光速で当たりパイ中間子が写らなくてはなりません。ところがここではそうはなっていません。2の光速度不変を否定していますしアインシュタインの考えを否定しています。また{パイ中間子が、ほとんど光の速さで動いている場合でも、放出される光は、やはり光の速さで進むのです。}ということは、マイケルソンとモーリーの実験を否定しているということです。
これは、光速度不変の原理を否定する実証ですから、特殊相対論の根底が崩れたということです。
考察2
何に対して光速度か
1 パイ中間子から出た光は何に対して光速度かという問題が生じます。
まず、相対論からすると、地球に対して光速度であると考えられます。しかし、これは問題が生じます。地球に対して光速度という場合も、地球の進行方向から来る場合と、後方から来る場合では相対速度が違います。月から見ると、前方から来るパイ中間子は、光速度−地球の速度で飛び、後方から来るパイ中間子は、光速度+地球の速度になります。パイ中間子の速度が変わります。
光は何物にも光速度であるという理論を持ち出しても、パイ中間子は光ではないのでこの理論には当てはまりません。
パイ中間子は独自の速度であると考えられます。ではその速度は何に対しての速度かとなります。ニュートンでは、絶対静止空間に対してパイ中間子は光速度であると解釈できます。
では相対論では何に対して光速度なのでしょうか。地球の座標系に対して光速度なのでしょうか。そうすると先に書いた、方向により中間子の速度が変わる矛盾に行きあたります。
また、次の問題も生じます。
遠くから飛んできたパイ中間子は地球の座標系にどこの位置から入るのでしょうか。
慣性の法則では、物質は他からエネルギーを受けない限り等速直線運動をすることになっています。しかし、地球の座標系に入ったとした場合、パイ中間子と地球の相対速度が変化することになります。エネルギーを受け取っていないのに速度が変化するのは、エネルギー不変速に反します。
新幹線と10円玉を考えてみます。新幹線の中の人が10円玉をおとすと、10円玉は真下に落ちます。何度も述べてきた、慣性の法則です。では、架線から下を通る新幹線に10円玉を落とします。10円玉は新幹線に真っすぐ落ちるでしょうか。落ちません、新幹線は通り過ぎてしまいます。天井に穴があって、そこから中に落ちたとしても、10円玉は、真下の床には落ちません。理由は簡単です。架線の10円玉は新幹線の速度のエネルギーを持っていないからです。
同じように、パイ中間子も、地球の速度のエネルギーを持っていないので、地球とは無関係に飛びます。 では何に対して光速度かというと、宇宙空間、すなわち絶対静止空間に対して光速度です。元もと、地球の座標系とか、新幹線の座標系とかは、絶対静止空間の中の、一部分でしかないのです。それらの支配するのは、その慣性の法則が有効な物質に限られているのです。
2 パイ中間子から出た光は何に対して光速度か
パイ中間子から出た光は、光独自の速度になります。地球に対してか、月に対してか、太陽に対してか、あるいは観測者に対してか、相対論では何ものにも光速度であるということだから、どれに対しても光速度になります。地球に到達した光は地球に対して、月に到達した光は月に対して、太陽に到達した光は太陽に対して光速度になります。これが、相対論の真髄です。火星からこれを見るとすべての光が異なる速度で飛びます。これは、月の速度や地球の速度や太陽の速度によって、空間や時間が縮まるからということです。すると、パイ中間子の速度と、光の速度が異なってきます。月に向かう光と地球に向かう光と、太陽に向かう光の速度は異なるからです。
また、パイ中間子は、光速で飛んでいますから、パイ中間子の時間は無限に伸び、空間は極端に縮み、パイ中間子の質量は、何万倍にも増えています。光はこの無限に縮んだ空間の中を飛ぶのでしょうか。
素人には判断のしようがありません。
1の光速度不変で考えれば簡単です。光はパイ中間子から出ると、絶対静止空間、宇宙空間に対して、光速度で飛びます。パイ中間子も、この絶対静止空間に対して光速で飛びます。光は、パイ中間子と同じ速度になります。地球や、太陽や観測者に対して、光速度にはなりません。それらとは相対速度を持ちます。
相対論の2の光速度不変では、必ず、光はパイ中間子に対して、光速度でなくてはなりません。矛盾しています。
結論
2の相対論の光速度不変を否定しては時間も空間も縮まりません。1の光速度不変では時間も空間も縮まりません。