メッセージ   座標系  座標の対比



「アインシュタインが考えたこと」について1-2

(「アインシュタインが考えたこと」佐藤文隆、岩波ジュニア新書31)

著者 高田敞

 

(以下{ }内は上記本からの引用です)

 

問題

 {単に天体の動きを理解するという観点からだけだと、太陽を中心に置いたコペルニクス説と、それ以前の支配的な見方であった、地球を中心にして、その周りをいろいろなものが回転しているという見方とは、ある意味では同等なのです。}(P34)

考察

天動説と地動説の問題です。

{天体の動きを理解するという観点からだけだと}天動説も地動説も同等ということなのでしょうか。考えてみます。

地動説の場合、地球が動いています。太陽は、その地球の引力でかすかに動いていることになっています。この恒星の小さな動きと、惑星の動きの観測は、系外惑星の探査に使われています。原理はケプラーやニュートンが考えました。

恒星と惑星は、互いの重心のまわりを楕円運動しているという考え方は、実証されているし、理論も有ります。

しかし、天動説と、地動説が同等であるという考え方は、科学的観測も、理論も有りません(いや相対論が理論としてある)。

天動説を見てみます。太陽が動きます。1日に地球1周です。小さな地球が、およそ100万倍の質量のある太陽を1日1周振り回すことはできません。半径8分光年の円周を1日1回転です。16π光年動きます。すごい速度です。

星を考えてみます。一番近い恒星は4光年離れています。その星も、1日で地球を1周します。その移動距離は、2π×4光年です。約25光年です。24時間で25光年も動くのです。時速約1光年です。光速の約8万倍です。すごいです。特殊相対論では光速より速いものはないのですから、これは相対論にも反します。しかも小さな地球がその大きな星を振り回しています。もちろん地球は微動もしません。完全にケプラーやニュートン理論の否定です。

見た目は、太陽や、星が動いています。見た目では地球は動いていません。だから、普通の人や科学者までも、太陽や星が動いていると考えたのです。{それ以前の支配的な見方であった、地球を中心にして、その周りをいろいろなものが回転しているという見方}は当然だったかもしれません。でも観測技術や物理学が発展してくると、実際の動きや大きさが分かるようになってきたのです。だから、地動説が出てきたのです。見た目ではなく科学的観測や考えをすると、何が事実で何が感覚だけの幻想であるかが分かったのです。

なぜ今、天動説と地動説が{ある意味では同等なのです。}という考え方が出てきたのだろう。{ある意味}とはどういう意味なのでしょうか。説明する必要があります。

問題2

{運動というものは相対的です。たとえば、あちらに動いている人を見たとします。ああ、あの人は動いていると。それは自分に対して動いているのであって、あちらの人から見れば自分も動いているわけです。}

考察

1 どちらの人が動いているか

あちらの人は足を動かしています。交互にです。自分は足を動かしていません。足を動かしていないのにどうして動くことができるのでしょう。

 エネルギーを使っているのは歩いている人です。足が、地球を蹴ることで、前方に進みます。作用、反作用の法則です。使ったエネルギーだけ前に進みます。

 こちらで立っているだけの人は進みません。ニュートン力学ではそうなります。事実もそうです。あちらの人が歩いたからといって、それを見ている自分がその人と反対方向に動くということはありません。歩いている人だからまだいいです。新幹線を見たらどうなりますか。時速300kmで動かなくてはなりません。立っていられなくなります。新幹線がすれ違ったらどうしますか。私はどちらに動けばいいのでしょう。

 天動説と同じです。見た目と事実は異なります。

2 動きの非相対性

 あちらの人が動いているとした場合は、その人だけが動いています。相対論では、その人が歩いているのに止まっているとすることができるということです。その時はそれを見ている自分が動くということです。

自分が椅子に座ってあちらの人を見ているとします。すると、椅子も動くことになります。椅子が置いてある地面も一緒に動くことになります。スリップしているわけではないので。すると地球全体が動くことになります。地球が動くと月も動くしかありません。太陽も動くしかありません、銀河系も動くしかありません、最後は宇宙全体が動くことになります。あちらの人が足を交互に動かすと、宇宙全体が動き出します。100億光年かなたの銀河をどのようにしてあちらの人は動かすのでしょう。

 どちらが動いているかは決まっています。あちらの人です。

 

これは、アインシュタインがいう、列車と軌道の関係にもいえます。軌道から見ると、列車が動き、列車から見ると軌道が動くといいます。

 このときも列車から見ると、全宇宙が動きます。

 動いているものから見ると、必ず全宇宙が動くということが言えます。

歩いている人から見ると全宇宙が、列車から見ると全宇宙が、地球から見ると全宇宙が動いていることになります。

 運動している物体の運動エネルギーは、質量×速度の2分の1です。全宇宙が動く時の運動エネルギーはどれくらいになるのでしょう。歩いている人がそのエネルギーを作り出せるわけはありません。もちろん列車にも地球にも。

 

問題3

{運動というのはまったく相対的なものです。ですから、太陽を中心に置いた見方でも、ある意味では同等なものがつくられうるわけです。}

考察

{ある意味}とはどういう意味だろう。{自分が止まっているのにあちらがスウーッと走り出すと、こちらが動き出したような気になるときもあります。}を指すのでしょうか。

では、それを応用してみましょう。

東北に行きたい。東京駅に行く。東海道新幹線の、ホームに行く。岡山行きの新幹線をホームで見送る。すると、自分がスウーッと動き出したような気になる。すなわち相対論では自分は岡山駅と反対方向に走り出すことになります。新幹線が岡山駅に着くころには自分は東北に行っています。めでたしめでたしです。

 こんなことが起こったためしはありません。

原因は{こちらが動き出したような気になるときもあります。}というのが錯覚だからです。

 動いているのは、エネルギーが加わった方です。もちろん新幹線の車輪がレールを押すときにエネルギーを地球に伝えています。ニュートンの作用反作用の法則です。しかし、そのエネルギーではレールを動かすことはできません。レールは地球に固定されているから、地球を動かすエネルギーとしては、あまりにも小さすぎるからです。

結論

見た目や感じ方で物事を判断すると痛い目に遭います。物事の動きは見た目とは関係ありません。もちろん人間の感覚とも関係ありません。人間は神ではなく、猿の仲間なのです。人の感覚はつねに事実を正確にとらえているとはいえません。往々にして間違います。天動説のように。