(アルバート・アインシュタイン著 金子務訳 白揚社)
{以降( )内は(特殊および一般相対性理論について)からの引用文です}
「特殊および一般相対性理論について」(アルバート・アインシュタイン著 金子務訳 白揚社)を章ごとに考察していきます。したがって、この本と見比べながら読んでいただくのがベストです。そうしなければ、何について反論しているのかよく分からないことになりかねません。本を持っていない人にもわかるように引用はしますが、自分では客観的なつもりでも、手前味噌になってしまっているだろうから、フェアーでないと思われます。読み取るとは、読者の考えが入るということですから。
基本的な姿勢
{以下、まえがきの前までの( )内は朝日新聞の記事からの引用です}
これから、アインシュタインがあらわした「特殊および一般相対性理論について」への反論を書くに当たって、その一番の基本となることを述べておきます。
2007年4月6日の朝日新聞に(反証あってこそ科学)と題する記事が載っていました。科学哲学者、伊勢田哲治氏が、(発掘!あるある大事典U)の事件について意見を述べている記事です。
その話の、中心が、「科学と疑似科学」についてです。
この二つの区別を、彼は、
科学の方法論は(・・・反証主義です。仮説にあうデーターではなく、むしろ矛盾するデーター、つまり反証を集めようとする。反証が出そうな実験をし、それでも仮説が生き延びたら一応認めてあげようというのが科学です)
疑似科学は、
(実際の科学は、単純な反証主義で動いているわけではありません。・・・)
(仮設の内容というよりは、仮説に対する態度が大きなファクターです。たいした根拠のない仮説から研究を始める科学者がいます。科学者であればたんなる仮説として扱いますが、疑似科学をやっている人は、根拠がなくても確立しているかのように言い、不利な証拠が出てきても無視します)
といっています。
そして、科学と、疑似科学について、
(多くの場合、少しでも根拠のある決定をしたほうがいいので、おおむね科学のほうがいいとはいえます。少なくとも科学の仕組みは知っておかないと。手近かなところで試しているだけでは科学とは言えず、比較対照できる実験をし、統計学にのっとってデーター処理するといったことが必要です。そうやって科学は質を保っているのです)
と述べています。
なるほどと思います。そこで、この観点から、「特殊および一般相対性理論について」を考えていくのが大きな柱です。なぜなら、ちょっと見た目はこの本「特殊および一般相対性理論について」は伊勢田哲治氏がいう疑似科学っぽいです。それも質の低い疑似科学に似ています。そのことを章を追いながら書いていきます。