[ 第7章 光の伝播法則と相対性原理との見かけ上の不一致

1 問題1 前提

 @(光の伝播は毎秒30万qの速度をもって直線状に起こる)

 このことについて、A(すべての色光についてこの速度が同一であること)、B(光の伝播速度が発光体の運動速度とは無関係であること)、及び、C(光の伝播速度が〈空間における〉方向によって決まる、という仮定はそれ自体確からしくないのである。)

と述べています。そして、D(光速度cが(真空中において)一定である)という結論を述べています。 

2 考察

<考察1>

 光速度について、4つのことが述べられています。

@ 光は真空中において一定速度で、直線状である。

A 色は、光の速度に影響しない。

B 光源の速度は光の速度に影響しない。

C 方向は、光の速度に影響しない。

(1)光源の速度は光の速度に影響しない。

 @、A、Bはかなり確かです。Bの光源の速度は光の速度に影響しないということは、6章のW=v+wに反するようですが、そうではありません。慣性の法則は、質量のあるものに通用する法則ですので、質量のない光には適用できないからです。

 このことを、列車で考えてみます。列車内の人が落としたボールは、その人に対してまっすぐ落ちて行きます。これは列車の速度を、ボールの質量が保存していて、手から離れた後も、列車の速度と同じ速度で前方へ進んでいくから、列車内の人にはまっすぐ落ちるように見えるのです。

 しかし、光は光源の速度を保存する質量を持っていないので、光源から放たれたとたん、光独自の速度になるのです。Bの法則の根拠です。

 これは、音が、音源の速度に影響されないのに似ています。しかし根本的な違いは、音が媒体の速度に影響されるのに対して、光は、媒体を持たないので、光独自の速度になることです。

 このとき、音源と媒体の速度の差によって音はドップラー効果を生じます。光もドップラー効果を生じるのが観測されています。これは、光も光源との相対速度を変化させるという証拠になります。

 (2)光速度は何に対して一定か

 (光速度cが(真空中において)一定である)ということが、何に対してか、アインシュタインの論理を借りると、どの座標に対してかということです。

 @、A、Bだけからは、光は、ニュートンのいう絶対静止空間に対して絶対速度を持っているということがいえても、何者に対しても一定速度〈C 方向は、光の速度に影響しない。〉であるということは出てきません。Cをいうためには他の理論的根拠と、実際の実験や観測が必要です。

 光だけ特別に真空中を一定速度で動くかというと、そんなことはありません。ニュートンの慣性の法則も、ほかから力が加わらなければ物体は真空中を一定速度で動く、という理論です。光とは速度が異なるだけで、同じ現象です。物体は空気中を飛ぶと減速します。光も空気中では減速します。これは宇宙線の観測から確認されています。原理は違っても、同じようなことがおこります。光だけ特別ということではありません。普通のことです。

 真空中を一定の速度で動く物体の場合は、観測者の速度と物体の速度の間に、(W=v+w)が成り立ちます。このときの物体の速度は観測者との相対速度です。したがって、光にもこの法則は適用できます。このように、光は、何者に対しても一定速度であるということはここからは何一つ出てきません。

(ひとつの剛体の基準体(座標系)に準拠させなければならない)と述べています。(なければならない)と決まったことのように述べていますが、このことは何一つ決まっていません。別に、剛体の基準体に準拠しなければならない理由など何一つないのです。3章で、根拠となる事実を何も述べずに、仮定として取り入れただけなのです。それがこの章では確定した定理であるかのように述べています。章を跳ぶことで、仮定がいつの間にか定理になっているのです。うまいやり方です。このやり方はほかでもみられます。

 これは、ニュートンが考えた、絶対空間があると、光が何物に対しても光速度で伝播するという法則がいえなくなるからです。すると、特殊相対性理論が成り立たなくなるので、絶対空間を否定するための方策です。しかし、絶対空間を否定するための証拠や、論理が示せないので、このように、章を跳ぶことで、仮定を定理にするという方法をとったと思われます。

 ところが、一般相対性理論では剛体では不都合が出てきて、空間を座標にしなければならなくなったものだから、一転して、剛体を否定し、空間を座標にします。ご都合主義もいいところです。ここまでくると、疑似科学というより、似非科学に近くなります。

 

 光の地球に対する速度の違いを二人の考え方で考える

ア ニュートンの絶対静止座標〈絶対動かない空間があるとする〉

W=c+w

 <軌道堤に対する光の速度>= <光の速度> + <軌道堤の速度>

            =30万km+約400km<軌道堤と、光の進行方向の角度でこの値は+400kmから、−400kmまで変わる。また、地球の自転や、公転の速度も加味しなければならない。※注:400kmというのは現在観測されている宇宙空間における地球の絶対速度と思われるもの。これは宇宙背景放射に対する地球の速度> 

イ アインシュタインの絶対静止座標

〈われわれの軌道堤を絶対静止座標とすることが可能だから、軌道堤を絶対静止とする〉

 W=c

〈われわれの軌道堤に対する光の速度〉=30万km

〈※注:軌道堤は、本来、その場所と方向により速度が違う。これは、緯度により地球の自転速度が違うことや、公転やその他の、地球の宇宙空間に対しての動きがあるからです。しかし、特殊相対性理論ではこの速度は光に対して無意味です〉

 ニュートンでは、起動堤に対する光の相対速度に違いが現れます。アインシュタインでは光と地球は、相対速度を変化させません。ところが、前述したことや、後述するように、光と地球は相対速度を変化させている事例が存在します。

 

(3)第2の問題

 C(光の伝播速度が〈空間における〉方向によって決まる、という仮定はそれ自体確からしくないのである。)

 何気なくわざとあいまいに述べていますが、これこそ、特殊相対性理論の根幹となるものです。

 これは地球上の軌道堤に対する光の方向ということで考えていると思われます。地球上のどの方向でも、光は同じ速度である、ということがいいたいと思われます。そのことから、光は何物に対しても、一定速度cを取るといいたいのでしょう。この章では、(確からしくない)とあいまいに述べていますが、後の章ではいつのまにか、確定しています。これも、章を飛ぶことで、仮定が定理になるという手法の前置きです。前述したように、これを述べるには、その理論と、実験や観測での証明が必要です。しかし、アインシュタインはこの証明を一切やっていません。

 

ア 光と、軌道堤や列車との相対速度を考える。

@ 軌道堤を考える

 軌道堤の速度は緯度によって変わる。光はその速度にあわせてぴったり光速度cでぶつかるということです。

 起動堤は公転や自転の速度が微妙に変わるため、つねに変化しています。その変化に合わせて、伸び縮みしているというのが、特殊相対性理論のようです。もちろん、この伸び縮みは今まで観測されていません。普通の速度では小さすぎるというのが、アインシュタインのいいわけですが、観測されていないということは、それがないということに最も近いのです。実証されていないというのは、疑似科学の範疇です。

A 列車を考える。

 列車も絶えず速度を変化させています。

 ぶつかる前までは、何に対して速度cなのでしょう。多分空気分子とぶつかっているので、空気に対して、光速度cなのでしょう。それが列車にぶつかったとたん、列車に対して光速度cになるのだと思われます。これは時速100kmほどの差があります。列車はこの時速100kmに値するほど縮んでいるのでしょうか。

 もちろん、地球は秒速400Kmで宇宙空間を飛んでいるのだから、つねにその方向に、地球は縮んでいることになります。自転や公転のために地球の進行方向への向きは常に複雑に変化するので、地球はいつも複雑に伸び縮みしていることになります。この伸び縮みは観測されていません。また、私たちの体も向きによってつねに伸び縮みしていることになります。これも観測されていません。

 その縮みは普通の速度では観測できないほど小さいということなのですが、宇宙空間には、光速に近い速度で移動している物質がいくらもあります。これらが進行方向に縮んでいるという観測はありません。ほとんど無限大に縮まなくてはならないはずなのにです。

 物が速度に比例して縮む現象は観測されていません。しかし、そうでないという観測はなされています。ローレンツ変換は実際の現象と相反します。

 【測定できる例】

 チェレンコフ光というのがあります。宇宙から光速で飛び込んでくる、電子や陽子などが、空気や水の分子に衝突していろいろな粒子をはじき出す現象です。

 大気にぶつかった宇宙線にはじき出された粒子が光速で飛びます。このとき光は大気のために光速より速度を落とします。すると、粒子から出た光がたまっていき、光の衝撃波を作ります。この光を観測して宇宙線を観測しています。

 カミオカンデで有名になった、ニュートリノ発見もそのひとつです。ニュートリノが、水の分子にぶつかって、電子を光速度ではじき出します。この電子からの光が、水の中では速度を落とします。すると、電子が光を追い越すので、追いついていけない光が溜まって、光の衝撃波を作ります。この光を観測したのがカミオカンデです。

 この現象は、光は何物に対しても光速でぶつかるという原則に反しています。特殊相対性理論では、どのような速度の列車にも光は光速cでぶつかるとされています。したがって、光速で飛ぶ物質に対しても、光は光速でぶつかるといわれています。ということは光速で飛ぶ電子にも、光は、光速で近づき九速で追い越さなくてはならないはずです。ここでは、光が速度を落としたから、電子におくれを取っていますが、それでも、光は電子に対して、光速よりちょっとだけ遅い速度で追いつき追い越さなくてはならないはずです。

 マイケルソンとモーリーの実験は、光は何物に対しても、光速度で伝播するということが実証されたそうです。この実験は空気中で行われています。したがって、光速より、少し減速されています。減速されても、何物に対しても光速度で伝播しているということです。これは、上の、電子に対して、おくれをとっている光と矛盾します。

 もし、マイケルソンとモーリーの実験が真ならば、カミオカンデでも、光は光速より少し減速した速度で、電子に対して、伝播しなくてはならないはずです。すなわち、約秒速25000kmでぶつかるはずです。それが、遅れをとっているのです。

 特殊相対性理論が正しければ、水中や空中で、光が2割速度を落としたとしても、残り8割の速度で光は電子に追いつき、追い越していかなくてはならないはずです。一瞬で追い越すはずです。

 たとえば、宇宙空間で、かすかにある水素原子や分子によって、光が3億分の1パーセント速度を落としたら、そのとたん、今まで、光速で飛ぶ電子に光速で追いつき光速で追い越していた光が、とつぜん、電子に追い抜かれてしまうのでしょうか。秒速30万kmの光が秒速1m速度を落としただけで、特殊相対性理論の原則である、光は何物に対しても、光速度であるという原理を放棄することになるのでしょうか。

 カミオカンデで、速度を落とした光が電子に追いつけないのは、光が、何物に対しても、相対速度を取るということの現れです。

 すなわち光は軌道堤に対して、光速度を取るということは間違っているということの実際の現象です。

 反対に、光が、何物に対しても光速度Cを取るということは実証されていません。マイケルソンとモーリーの実験は、もっと精度のよい装置で、ほかの誰かが検証実験しなければなりません。今のところそれはありません。コンパスと定規は、光は相対速度を変化させるということを証明しています。

 

イ (光の伝播速度が〈空間における〉方向によって決まる、という仮定はそれ自体確からしくないのである。)

 その根拠をパイプオルガンを持ち出して、どの方角にも音色の違いが見られないことから、光も同じようにどの方角にも変化はないと言っています。しかし、パイプオルガンの音色が変化しないことと、光が地球に対する相対速度を変化させないということとは何一つ関係ないことは第五章で示しました。これを証拠にするのは間違いです。

 

ウ 光が、方角によって光色に変化が現れる例

 宇宙背景放射の温度を計ると、地球の進行方向で光は青方変異し、後ろ側で、赤方偏移しているのが写っています。これはアメリカの異なる2機の人工衛星で写されています。これは、発見と、検証ができたということですから、ほぼ事実として間違いはないといえます。このことから、音と違って、光は地球の進行方向に対して色を変える、ということがいえます。

 これは、音や海の波と、光の波の性質が根本的に違っていることから生じます。違いは、音や、水の波は、媒体の振動だが、光は媒体(エーテル)の振動ではないということから生じた違いです。

 海の水は地球とともに動き、空気は列車とともに動いているので、水の波や、音が、地球や列車の動きに影響されるが、光は媒体がないので、地球や、列車とともに動かないということから来る違いです。

 では、これが、(光の伝播速度が〈空間における〉方向によって決まる)ということに関係しているのかを考えてみます。

 光にもドップラー効果が観測されています。ドップラー効果は、音や、船の波で実証されているように、観測者と、波の相対速度の変化によっても生じます。このことから、光も、地球との相対速度を変化させているということが類推できます。これは、波と観測機器との相対速度により生じることだから、上記の媒体の有無とは関係のない現象ですから、ドップラー効果は、光と、地球が相対速度を変化させている証拠といえそうです。これは上記、宇宙背景放射がドップラー効果を起こしているのが観測されていることから、実証されているといえます。

 アインシュタインは、空間の方向によっては光の伝播速度が変わらないというならば、光のドップラー効果に関してだけは、光の波と、観測機の相対速度の変化ではなく、他の原因で起こるということを実験で証明しなければなりません。

 ここでも、コンパスと定規は光が相対速度を変化させるということを証明しています。

エ 超新星1987Aのニュートリノと光

 これはカミオカンデで柴田氏が観測した超新星です。この爆発で、出たニュートリノと、光は、並んで地球にやってきています。ニュートリノが、早く出るために地球には光より、ニュートリノのほうが早くついています。

 このことから、ニュートリノは光速で飛んできたことがわかります。

 〈疑問〉

a 特殊相対性理論では、物質は、光速になると、無限大の質量を持つことになります。このときのニュートリノはほとんど質量は観測されていません。特殊相対性理論と矛盾します。

b 特殊相対性理論では、光速で飛ぶ物質は無限大に縮むことになります。このときのニュートリノは粒子として、存在していますから、無限大に縮んではいません。

c 特殊相対性理論では、光は何物に対しても光速度で伝播することになっています。このときの爆発で出た光は、光速度で、ニュートリノに追いついてはいません。1時間後ろを、追尾して地球までやってきています。爆発で出た光が光速度でニュートリノを追い越したなら、ニュートリノより、倍の速さで地球にやってきてもよさそうですがそんなことは観測されていません。

 追い越した光もあったがそれは少ししかなかったので観測されなかったということも考えられます。しかし、ニュートリノのほうが、光より何十倍も多く出ています。光の前には無数のニュートリノがあるはずです。するとほとんどの光はニュートリノを追い越さなくてはならないはずです。

 もちろんこんなことはおこりません。光はつねに、光速度なのですから。ニュートリノに対して、光速度で伝播するときはニュートリノが無限大に縮まっているから、光速度で伝播することになります。しかし、ニュートリノが無限大に縮まることは不可能です。

 

(4)第3の問題 

ア W=c-v

 6章で述べられた、速度の加法定理から、上の式が必然的に出てきます。

(列車に相対的な光線の伝播速度はcより小さい、ということになる)

(しかし、この結果は第5章で述べた相対性原理と矛盾する。)と延べています。その理由が(相対性原理によれば、真空中の光の伝播法則はすべての他の一般法則と同様に、列車を基準体としようがレールを基準体としようが同じことにならねばならない)と述べています。

このことから、 おそらく、彼は

W=c

になるということがいいたいことと思われます。はっきりいわないところが彼の奥ゆかしいところ〈?〉です。

 ガリレイの相対性原理では普通の物質は(W=v+w)になります。類推すると、光も(W=v+w)になります。しかし、アインシュタインは光速度は一定であるということから、光は何物にも一定速度cで動くというわけです。しかし、真空中で光速度は一定であるということは、光は何物にも一定速度cで動く、ということの根拠にはなりません。彼の勘違い、あるいは、こじつけです。

 

イ 光と、物質の運動法則の違い

 ここでもうひとつ重要なのは、アインシュタインの法則では物質と、光では運動法則が異なるということです。

 アインシュタインの理論が正しいとすると、

 物質の運動法則は、(W=v+w)になり、光の運動法則はW=cになります。

 物質の運動法則が、光の運動法則にならなかったのですから、逆に、光の運動法則も、物質の運動法則にはなりえません。

 通常の速度では、空間や時間の縮み方がほとんどないから、ニュートン力学でいいと特殊相対性理論はいっていますが、物質では、光速でも、W=v+wになります。列車内を歩く人の速度は明らかに、W=v+wです。低速でもはっきりと差が出ます。計れないなどということはありません。

 加速器の中で、陽子をぶつけるとき、止まっている陽子に光速の陽子を衝突させるより、互いに反対方向に動いている光速の陽子同士をぶつけると、衝突エネルギーは上がるといいます。アインシュタインの理論では、向かってくる物質に対しても、光速になるのだから、相手が止まっていようが動いていようが、衝突速度は同じになり、エネルギーは増えないはずです。それがエネルギーが倍になっているのだから、光速でも、物質はW=v+wになるということです。

 また、光速で、飛ぶ陽子に後ろから進んでいる陽子が、光速でぶつかるということはありません。同じ間隔で飛んでいきます。物質の場合は、光速になってもガリレイの相対論のとおりに動いています。空間が縮まったり、時間が伸びたり、質量が無限大になったりはしていません。

 

 このことから、アインシュタインが正しいとしても、アインシュタインの光の運動法則、光速度不変の原理から導かれた、同時性の相対性の法則は、光には適用できても、物質には適用できないということがいえます。

このことも重要なことです

 

ウ (同じことにならねばならない)を考える

(相対性原理によれば、真空中の光の伝播法則はすべての他の一般法則と同様に、列車を基準体としようがレールを基準体としようが同じことにならねばならない)

 五章であいまいな形で出てきたこの仮説が出てきました。しかしここでも、(同じことにならねばならない)、ということの科学的根拠は何一つありません。

 軌道堤の観測者と列車内の観測者を考えてみます。

 列車内の人が、ボールをそっと落とします。これを、観測します。

 列車内の人は、ボールがまっすぐ下に落ちるのを観測します。外の人は、ボールが放物線を描いて落下するのを観測します。

 軌道堤を基準とした場合と、列車を基準とした場合は、一見動きに違いが見られるように思われます。しかし、ボールの動きじたいが変わったわけではありません。見た目が変わっただけです。だから、軌道堤を基準にした場合は、列車の速度をボールに足してやらなければなりません。すなわちW=v+wです。だから、軌道体から見ると放物線を描くように見えるのです。同じ法則だけれど、そっくり同じではありません。慣性系Kから慣性系Kの運動を見るときは、KとKの相対速度の差をKに加えなければなりません。すなわち(すべての他の一般法則)(W=v+w)が成り立ちます。したがって(真空中の光の伝播法則はすべての他の一般法則と同様に)(W=v+c)にならなくてはなりません。

 〈同じ法則にならねばならない〉を、(同じことにならねばならない)と言い換えて、この章につなげています。「法則」を意図的に「こと」と言い換えてから、章を飛ぶことでうまくごまかしています。

 したがって、光の場合も、列車を基準体にしたときと、レールを基準体にしたときは、値に違いが現れます。〈同じ法則〉なのですから、W=c+wになるはずです。ところが、アインシュタインは、(同じこと)だと言い換えて、光だけ無理やり変えてW=cとしてしまいます。物体の相対速度は簡単に測れるので、違いがすぐばれるけど、光の場合は相対速度を測るのが難しいため、違いがすぐには測れないのをいいことに勝手なことを言っています。

 そうすると実際の現象との間に矛盾が生じます。間違った法則を適用したのだから、実際とのずれが出るのは当たり前です。ところが、アインシュタインは、その矛盾を利用して、特殊相対性理論を作り上げます。

 本当は、考え方が間違ったために、実際とのずれが出てきたのを、無理やり正しいとして、借り物のローレンツ変換という計算式で、時間や空間を引き伸ばしたのですから、間違いの上塗りにすぎません。時間や、空間が伸び縮みしたという現象や実験はいまだに存在しません。計算式の中にだけある、疑似科学です。

 事実にはありえないことを言葉巧みにでっち上げてつくった理論です。したがって、ここから派生するすべての理論は、元が間違っているのだから間違いになります。

 

 

 なぜこのような間違いが起こったのかを考えてみます。

 5章で述べたように、軌道堤は、人間から見るとどう見ても静止しているので、Kを軌道堤にし、絶対静止としたことが原因です。軌道堤が止まって見えるから絶対静止としたことから、矛盾が生じているのです。軌道堤は動いているのです。それを絶対静止としたからこのような間違いが生じたのです。軌道堤は、軌道堤の横に置いてある観測機器と、観測者に対しての静止です。すなわち、相対静止であって、絶対静止ではありません。5章考察で述べたように、vは、地球表面、あるいは観測者に対する相対速度です【注2】。すなわち相対的静止にしかすぎません。

{【注2】地球中心に対しては、地球の自転速度で動きます。}

 このことから、列車の速度を考えてみます。

 第5章の列車は、太陽中心から見れば、地球の自転と、公転の速度を持っているのが観測されるはずです。秒速30kmほどになります。しかし、軌道堤から見れば、秒速300mほどです。これは、軌道堤も地球の自転と、公転の速度を持っているから、軌道堤と列車の相対的な速度は、共通項である自転と公転の速度を差し引き出来るから、秒速300mほどになるのです。

{地球表面から見た式}

 列車と軌道堤との相対速度=軌道堤と列車の相対速度−軌道堤と地表との相対速度=軌道堤と列車の相対速度−0m≒秒速300m

 

 {太陽から見た式}

 列車と軌道堤との相対速度=太陽に対する列車の相対速度−太陽に対する軌道堤の相対速度=〈地球の自転+公転+列車の軌道堤に対する相対速度〉−〈地球の自転+公転〉≒秒速300m

となります。

{絶対静止から見た式}

列車と軌道堤との相対速度=列車の絶対速度−軌道堤の絶対速度=〈地球の自転+公転+銀河系を回転する速度+銀河系とともに動いている速度+他のすべての地球の動き+列車の軌道堤に対する相対速度〉−〈地球の自転+公転+銀河系を回転する速度+銀河系とともに動いている速度+他のすべての地球の動き〉≒秒速300mとなります。

 光が真空中を絶対速度cで移動するなら、軌道堤と光の相対速度は、同様に「地球の真空中の速度」を差し引きしなければならないはずです。

{式}

(光の真空中の絶対速度)−(起動堤の真空中の絶対速度)≒30万km−400km=299600km

 となるはずです。

 したがって、光は(その光の先端は軌道堤に関して速度cで進む。)ことはない、となるはずです。

 

 光だけを絶対速度で計り、他の動きを地球に対する相対速度で計っては、基準値が違うので計算できないはずではないのでしょうか。少なくとも不公平ということはいえます。

 実際、地球と光の相対速度が測られています。宇宙背景放射に対して、秒速400kmだそうです。これは当然軌道堤も宇宙背景放射に対して、秒速400kmで進んでいるということです。これは、地球が真空中を秒速400kmで動いているということです。3万kmと比べると少ないですが、列車の300mよりはかなり大きいですから、これを無視することはできないと思います。

 また、地球が光に対して相対速度を持つということは、光もやはり地球に対して、相対速度を持つということです。

 ここでも、コンパスと定規は、光が物質に対して相対速度を持つということを証明しています。

 

(5) 問題4  光はレールに並進できるか

 たいした問題ではないのですが、次に、(そのレールの上をわが列車はまた速度vをもって、確かに光の矢と同一方向だが、当然はるかにゆっくりと進む。)ことが出来るか?ということを考えてみます

 これまで述べたように、レールは、地球の動きと同じ、自転や公転やその他の複雑な回転運動をしています。したがって、真空中を直進する光は、レール上をレールに沿って進むことはできないはずです。

 また、同じ原理で、列車も光と並進することは出来ません。カラスは、地球の運動のエネルギーをもらっているので、その気になればほぼ並進することが出来ますが、それでも、羽ばたくことで方向を修正しなければ、レール上を並進することは出来ません。といってもこれも地球の表面に沿うため曲線になりますが。

 このように、真空中を直進する光はレールに並進することは出来ないはずなのに、なぜ並進すると考えたのでしょう。光の速度が速いから、実際のずれは観測できないからでしょうか。しかし、観測できないからない、とするのではお話になりません。もしそうというなら、相対性理論の現象は地球上では実際には観測できないのだからないということになってしまいます。

 これを、具体的に考えてみます。列車は、地球上を走っています。距離は地球1周です。100kmも走ると、地球の円周上を走っている列車は、円を描いているのが観測できます。したがって、それと並進する光は、やはり円を描かなければならなくなります。地球を一周することになります。これは、明らかに、光は直進する、という理論に反しています。

 なぜこのようなことが起こるのかを考えてみます。それは第5章が間違っているからです。すなわち、絶対静止を地球上にとったりしていることです。ニュートンが考えたような絶対座標はない、という考えが間違っているからです。古典力学にいうように、物の動きはそれ自体は絶対であるのです。光もこの仲間で、絶対速度を持っているだけのことです。

 これならば、互いに動いているものどうしは、相対的な動きを計ることが出来るようになります。たとえば、先に上げられている、列車から落としたボールが、列車との相対的な動きが、直線になり、軌道堤に対しては放物線になるのは、絶対的な動きのあるものの間の相対的な運動だからということがいえます。したがって、光と軌道堤の関係も、相対的な動きをすることになります。すなわち、軌道堤は、らせんを描きながら、光から遠ざかっていくことになるし、列車もその速度分は違うが、やはり螺旋を描きながら遠ざかっていくことになるのです。これも相対的な動きになります。

式にしてみます

{列車とボール}

列車に対する相対的なボールの落下の速度=ボールの絶対速度−列車の絶対速度=〈地球の複雑な動き+地表に対する列車の相対速度+列車に対する相対的なボールの落下の速度〉−〈地球の複雑な動き+地表に対する列車の相対速度

 ということで、ボールが地球と引き合っているために起こる運動だけが残るので直線になります。

{レールとボール}

地表に対する相対的なボールの落下の速度=ボールの絶対速度−レールの絶対速度=〈地球の複雑な動地表に対する列車の相対速度+地表に対する相対的なボールの落下の速度〉− 〈地球の複雑な動き〉=〈地表に対する列車の相対速度〉+〈地表に対する相対的なボールの落下の速度〉

 ということだから、レールから見ると、ボールは放物線を描くことになるのです。

 このように、すべての運動は絶対速度であると考えると、矛盾はひとつも生じません。

 アインシュタインの言う(現実には相対性原理と光の伝播法則との間に不一致はまったく存在しないこと)は確かなのです。ただ、彼の場合は、特殊相対性理論を考慮しなければならないとしたのですが、全ての運動は、光も含めて、絶対運動であるとすれば、アインシュタイン以前の力学でもなんら問題は起きないのです。そしてそのほうがはるかに明快なのです。


{補足1}特殊相対性理論とガリレイの相対論

 アインシュタインは、この法則を考えるきっかけになったのは、光の速度で飛んでいるとき前にかざした鏡に顔が映るか、という疑問からだといわれています。

 もし映らなかったら、ガリレイの相対論に反する、という考えからです。

 ガリレイの相対論は、どのような運動も、慣性系の中では、停止しているのと同じで、変化はないというのが理論だからだそうです。だから、光も、停止した人が鏡を見るのも、光速で動いている人が鏡を見るのも同じにならなければならないという結論になったそうです。

 この論は今まで書いたように間違っています。

(1) 間違いの理由

 ガリレイの相対論は慣性の法則がその原理です。慣性の法則は、質量のあるものが運動エネルギーを保存するということでおこります。光は質量がないので、運動エネルギーを保存できません。ゆえに、光は慣性の法則に従いません。したがって、ガリレイの相対論は適用できません。それを適用したところに間違いがあるのです。

(2) 実例

ア 光の速度は光源の速度に影響されない

光速普遍の原理として、アインシュタインも認めています。

これは、光が質量を持たないために、光源の速度を保存できないことからおこります。この現象は質量を持たない音にもあります。音の速度は音源の速度に影響されないという現象です。

イ 顔は前の鏡に映らない

アインシュタインは光速で飛ぶ人の顔は前にある鏡に映るというが、映らないということを証明する現象があります。

 先に書いた、電子と光の競争です。カミオカンデでは電子の出す光が、光速で飛ぶ電子におくれをとって、衝撃波を起こしています。

 ジェット機の出す音の衝撃波と同じ原理です。この時、ジェット機は音を追い越しているので音は聞こえません。

 同じように、光の衝撃波を出した電子には、その光は追いついていないので、電子には電子の顔は見えないはずです。

 だから、光速で飛ぶ人は自分の顔は見られないはずだ。

 この電子に光が追いつけない現象は、宇宙線の観測で毎日、無数に観測されている現象であるから、事実です。

アインシュタインの考えは根本が間違っているといえます。顔が映らないからといって、天地がひっくり返るわけでもありません。日常的に地球上で無数に起こっている現象にすぎないのです。


{補足2}光時計

 光時計というのは慣性運動している部屋の上下に鏡があって、その間を光が往復しているという、思考実験の装置です。

 ガリレイの相対論では、部屋の中の人は、部屋の外を見ないかぎり部屋が動いているか止まっているかを知ることはできないから、光はまっすぐ上下に運動しているということになるそうです。

 これを外の人が見ると、部屋が動いているので、それとともに動いている光は、斜めに登り斜めに下がって見える。

 このことから、運動しているものは時間が延びるというのです。

(1)間違い探し

 ア 間違い1

 アインシュタインも、光は光源の速度に影響されないと言っています。だから、鏡の速度に影響されずに光はまっすぐ上下するはずです。するとどうなるかというと、光はその場に止まっていて、部屋だけ、進んでいくことになります。その場とは何かというと、絶対静止空間です。

イ 根拠

 ガリレイの相対論は、慣性の法則により成り立っています。したがって、部屋の中の物質は部屋の運動エネルギーを持っているので、部屋と同じ速度で同じ方向に運動しているから、部屋の中の人から見ると、同じ位置にいるように見えるのです。また、落としたボールも、まっすぐ下に落ちるように見えるのです。

 しかし、光は慣性質量を持たないので、部屋の運動エネルギーを保存できません。したがって、部屋とともに進んで行けないので、鏡の間を真っ直ぐ上下できないで、部屋に取り残されるのです。上に書いた光源の速度に光が影響されないというのもこのためです。

 相対理論は、ガリレイの法則だからという理由だけで、どうしてそうなるのかの理由を説明していません。根拠のない理論です。これは疑似科学にもなりません。間違いです。

 

表紙      第8章 物理学における時間の概念について