第8章 物理学における時間の概念について

1 問題1

 軌道堤上の(遠く離れた二点AとBにおいて、レールに落雷があった。私は、この二つの雷撃が同時に起こったという主張を付け加えておく。)というのが舞台設定です。

 この同時ということが意味を持つかを問うています。そのためには、その(事実に一致するかどうかを検証する課題が生じてくる)→(具体的なケースにおいてその概念が適合するかどうかを発見することができれば、そのとき初めてその概念が物理学者のものになる)→(二つの雷撃が同時に起こったのかどうかを実験から決定できるような方法を与える定義が必要なのである)→(この要求が満たされないかぎり、私が同時性ということに一つの意味を与えることが出来ると信じることは、物理学者として自らを欺くことになるのである。)

2 考察1

 私〈アインシュタイン〉は条件設定で雷撃が同時に起こったと主張しています。そして、物理学者は、これを検証する方法を持たなければならない。そうでない場合は同時性ということに意味を与えることは物理学者として、嘘つきになる。という主張ととらえました。

 物理学者としては嘘つきです。しかし、事実は、物理学者が嘘をつこうがあてずっぽうを言おうが、逆立ちしようが、雷撃が、同時に起こったのなら、同時に起こったのです。人間がそれを、認識しようがしまいが、実験で決定しようがしまいが、関係なく事実として存在するのです。人がそれを正確に知る能力があるかないかとは無関係であるのは、猿が、同時性を証明できるか出来ないか、と無関係に雷撃の同時、非同時が存在するのと同じです。人間が、証明できなくても、人間より1万倍知能の発達した生物なら証明できることもあるでしょうから。

具体例

@ 問題

二点A,Bから車が、Mに向かって走る。同時にMについた。2台の車は同時に出発したか。

A 答え1

 このとき、2台の車の速度計も時計も壊れていた。したがって、同時に出発したかどうかは、判定できなかった。この結果、車は同時に出発したかどうかは、意味を持たなくなる。 

 そうでしょうか、人間に分からなくても、車が同時に出発したら出発したのです。

B 答え2

 今度は、速度計も、時計も壊れていません。ただ、判定するのは、チンパンジーです。運転していたのも訓練されたチンパンジーです。したがって、同時に出発したかどうかは分かりません。この結果、車が同時に出発したかどうかは、意味を持たなくなりました。

 そうでしょうか。チンパンジーが分からなくても、車が同時に出発したら出発したのです。

 人間は神様ではないし、究極の権威でもないのですから、今後、何億年かして、人間より1万倍も知能の発達した生物が現れたら、人間には考えも及ばない方法で同時性を決定しているでしょう。

 自然界の事実は、人間が知ろうが知るまいが関係なくただ存在しているのです。ヒトよおごるなかれ、たんにホモサピエンスにすぎないのだから。

3 問題2

 雷撃の2地点A,Bとその中点Mを定める。そして、Mに立つ観測者が、(二つの落雷を同時刻に認めれば、その二つの落雷は、同時なのである。)

そして、(Mにおける観測者が落雷と認めるのは光によってであるが、光は距離A→Mと距離B→Mとを同じ速度で進むことをすでに私が知っている場合には、あなたの定義は無条件で正しいであろう。しかし、この前提条件の証明は、時間を測定する手段がすでに用意され意のままになる場合にのみ可能となるのであろう、これでは、論理の循環に陥っているように思える)

(同時性の定義に関するただひとつの要請は、定義すべき概念がすべての現実のケースに適合しているかどうかを経験的に決定できる手段を与えること、である。私の定義がこれを満足していることは争う余地もない。光がA→Mの道を通るのにもB→Mの道を通るのにも同じ時間を要するということは、実際、光の物理的性質についての、前提でも、仮説でもなく、私が同時性の定義を得るために自由な考量にもとづいて割り出した定立なのである。)

4 考察2

ア (私が知っている場合には、あなたの定義は無条件で正しいであろう。)

 なんという傲慢さでしょう。私は神様なのでしょうか?過去、多くの科学者が、真実を知っていると思い込み、それがやがて誤りであったことは、少し、科学史を知っている人なら誰もが知っていることです。(私が知っている場合には、あなたの定義は無条件で正しいであろう。)とは誰にもいえないことなのです。これは傲慢であって、科学ではありません。擬似科学にもなっていません。

 これを科学にするには、すぐ前で(具体的なケースにおいてその概念が適合するかどうかを発見することが)必要と述べているとおりです。証明に必要なのは、私の意見や、見識ではなく、観測や実験で、現実に、定立どおりにその現象が確認されることです。

イ(光がA→Mの道を通るのにもB→Mの道を通るのにも同じ時間を要する)

 これは、地球が、宇宙背景放射に対して、進行方向に、青色偏移し、後ろ方向に赤方偏移しているという観測結果と矛盾します。

 この現象は、宇宙背景放射(光)に対する、地球の運動によって生じるドップラー効果であるといわれています。このことから、地球と、宇宙背景放射の光とが相対速度を変化させていると考えられます。

 先ほどの落雷に当てはめてみます。A方向に地球が進んでいるとすると、AからMに来る光は地球に対し相対速度が速くなり、反対にBからMに来る光は相対速度が遅くなります。すると、Mには、Aからの光が早く着きます。

 もちろんこれでも、落雷の時間は計れます。落雷から来る光に対しての地球の速度(宇宙背景放射に対する速度と、地球の運動方向とA→Mの方向の角度から割り出せる)と、空気の密度や温度や、湿度から、光が空気中でおとした速度を考慮して計算すれば、A、B両点から、M点までの必要時間が計算で出せます。それと、M点での実際の両方の落雷の光が見えた時間差を測れば、落雷がA地点で実際にいつ起こったかがわかります。同じようにB地点で落雷が起こった時間も計算から出せます。Mが中間点でなくても、光が同じ速度でなくても大丈夫です。空気中の光の速度を測るのが、非常に困難だけれど、それさえ分かれば、後は中学校の子どもでも計算できる事柄です。

 

ウ (ということは、実際、光の物理的性質についての、前提でも、仮説でもなく、私が同時性の定義を得るために自由な考量にもとづいて割り出した定立【注1】なのである。)

【注1】定立=主張〈岩波国語辞典〉

(私が自由な考量にもとづいて割り出した定立)だからといってそれが真であるとはいえません。それはたんに個人的な主張にすぎません。

{(前提でも仮説)でもない、たんに私見にすぎないのです。}

その主張が真であるためには、アインシュタイン自身が言うように(経験的に決定できる)ことが必要です。

 すなわち、(光がA→Mの道を通るのにもB→Mの道を通るのにも同じ時間を要する)ということを実験で証明しなければならないのです。それがあって、初めて、主張がたんなる私見から科学的意味を持つ段階になるのです。ところが、アインシュタインはこの実験を怠っています。だから、彼の定立〔主張〕はまだ私見から一歩も出ていません。その定立も見てきたとおり事実に反しています。とても、科学的見解とはいえません。

 

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