W 第3章 古典力学における時間と空間(P21)


1 問題

 (私は一様に走っている列車の窓辺に立って、石を一つ軌道堤に・・・落とす。すると・・・石が一直線に落ちていくのが見える。ある歩行者がこのいたずらを歩道から見るならば、石は地面に向かって放物線を描いて落下するのを認めるはずである。そこで私はお聞きしたい。−石が通った〈各位置は〉〈現実には〉直線状にあるのか、それとも放物線上にあるのだろうか?さらに、ここで〈空間における〉運動とは何を意味しているのか?答えは第2章の考察から自明である。さしあたり〈空間〉というあいまいなことばをまったくのけてしまおう。そういうことばでは、正直いって何一つ考えることができない。その代わりに、〈事実上剛体である基準体に対する運動〉と置く。)

 このことから(石は車両に堅く結びついた座標系に対しては直線を描き、地面に堅く結びついた座標系に対しては放物線をとる)これを根拠に、(起動曲線がそれ自体で存在するのではなく、ただ、ある一定の基準体に対して軌道曲線が存在するのであることがわかる。)

2 考察

 (空間)を否定することで、それとなく、絶対座標を否定していると受け取れる章です。そして、剛体を基準とする、相対座標を真としているようです。これは第2章と同じ考え方です。したがって同じことがおこります。

 列車の(私)を考えてみます。

 落とした石の行方を見ていた(私)は、ふと空に目をやりました。すると、太陽が目に入ったのです。なんと太陽が動いています。

 第2章と同じことです。(私)を中心に太陽が回ります。

 (ある歩行者)は列車から落ちていく石を見ていた目を、やはり、空に移しました。そして、やはり、そこに自分を中心に回転する太陽を発見します。

 第2章と同じ天動説になってしまいます。

 ところで、太陽が(私)を中心に1日に1回転すると、太陽は光速をはるかに越える速度で動いていることになります。もちろん、ケプラーの法則にも完全に反します。比べようもないほど質量の小さい(私)を中心に巨大な質量の太陽が回転しているのですから。また、光より速いものはないという相対性理論にも反しています。

 また、(地面に堅く結びついた座標系)においても、上と同じ天動説が復活します。(地面に堅く結びついた座標系)を中心にして回転する太陽は、(車両に硬く結びついた座標系)を中心に回転している太陽と、軌道を異にします。ほんの数メートルの差ですが、それでも同じ太陽が、同時に二つの軌道を描いていることになります。もちろんアインシュタインの相対性理論では当たり前のことです。同じ石が、直線に動いたり、放物線に動いたりするのですから。

 星になるともっとすごいことになります。アンドロメダ銀河は超超超光速で動いていることになります。銀河に比べて点にもならない地球の上の、そのまた点にもならない(列車)を中心にして、あの、太陽が数千億個はあろうかというアンドロメダ銀河が回転するのです。アインシュタインの重力の法則ではこのようなことが起こるのかもしれませんが、ニュートンの万有引力の法則では決してこのようなことは起こりません。

 どこが間違ったか。簡単です、〈事実上剛体である基準体に対する運動〉というところです。地球上の剛体は必ず動いているのだから、それを基準体にすると、基準体は動かないという前提だから、基準体の動きが、測られるものの動きの中に組み込まれてしまうのです。

 なぜこんなことになったかというと、(私)も(歩行者)も実験につごうのいい事だけを近視眼的にしか見ていないからです。世の中は、列車と、軌道堤と、私と、歩行者だけではないのです。人間が知ろうと知るまいと、全宇宙が厳然とあるのです。これを無視することはできません。アインシュタインは、自分の理屈が正しくなるように、すべての不都合な事象を排除し、つごうのいいことだけを実験材料にしたのです。明らかにアインシュタインのやり方は、擬似科学のやり方です。

 

 上のことで、この章の間違いは尽きるのですが、アインシュタインに敬意を表してもう少し考えてみます。

 この石は、列車の(私)から見ると直線、外の(歩行者)から見ると、放物線を描くのでどちらも本当だというのですが、ともに本当の石の動きではありません。

 述べたように、基準体を、地球上の身近なものに置くことによる、動いている基準体に対する相対的な動きを本当の動きとしたことによる、間違いです。見た目では太陽が動いているから、太陽が動いていると人々が信じて疑わなかったことと同じ原理をうまく使ったからくりです。(石)の見た目の動きと、相対的な動きとが同じなので、それが真実の動きだと信じやすいことをうまく利用しただけです。

 比較実験をしてみましょう。これは科学ならば必ず行わなければならないことです。つごうがいい実験だけでは、疑似科学ですから。

 そこで、基準体を他のものにしてみます。

(1) 太陽からこの実験を見てみましょう。

 落下する石は、地球の自転とともに、高速〈緯度によって速度は異なる〉で地球を回りながら地球の中心に向かって進んで〈重力では落下ですが、万有引力では引き付け合いです。私は万有引力を取ります〉います。そして、地球とともに太陽の周りを秒速約30kmで公転しているのが見えるはずです。おそらく、3重(地球と石の引力による引き合いによる回転運動もかすかにあるはずだから)の回転運動をしているのが見えます。でも、これも石の本当の動きではありません。

(2) 銀河系の中心からこれを見てみます。

 上の動きに加え、銀河の回転とともに回転するのが見えます。石は4重の回転運動をしているのが見えるはずです。もちろん、もし見えたらの話ですが。

(3) アンドロメダ銀河から見てみましょう。

 上の動きに加え、楕円軌道を描きながら、銀河系とともにアンドロメダ銀河に接近してくるのが見えるはずです。石は5重の回転運動をしているはずです。でも、これも石の本当の動きではありません。

 どこまでいってもきりがないように思えます。そして、最後はどこだという問題がでてきます。そうでしょうか。きりはないのでしょうか。いえ、あります。

 浜の真砂は人には数えられなくても、決まっています。1秒1秒岩にもどる砂もあれば、また岩から砂になるものもあります。しかし、数は一瞬一瞬決まっています。

 地球の石に対して影響を及ぼす宇宙の引力元は、人には数え切れなくても決まっています。石はそのすべての影響の下、決まった動きをしています。もちろん、曲がったり、加速したり、減速したり、日々刻々と変化していても、それは決まった動きなのです。

 これは絶対運動なのです。そして、これは観測されています。

 地球は、宇宙背景放射に対して、秒速400kmほどで動いているのが測定されています。宇宙背景放射は光です。光の速度は、相対性原理でも、絶対速度です。絶対速度である光の速度に対する400kmという決まった速度ということは、地球も絶対速度であるということです。

 まだ地球の複雑な軌道までは観測されてはいませんが、いつか、科学が発達したら、軌道も計算できるでしょう。すなわち、最後はここだという最終的な静止点である剛体の問題ではないのです。剛体ではなく、空間なのです。物すべての動きが絶対的な動きをしているのです。光の速度が絶対的なのと同じです。だから絶対静止空間が考えられ絶対静止座標が考えられるのです。

 

 ここで、アインシュタインが言う、石が観測者によって違った動きになる理由を考えてみます。

 アインシュタインは、石がなぜ直線に動いたり、放物線に動いたりするのかの理由を説明していません。基準が変わると違った動きになるのだから、動きは決まっていないのだとしか述べていません、理由のようですが、石の動きがどうして変わるのかの説明にはなっていません。天動説だって、もう少し親切でした。太陽が動いているように見えるから動いている、だけではなく。さまざまな計算をして見せました。アインシュタインは、あとでローレンツ変換という計算を出してくるのですがね。でも、それは、この章の石の動きとはまったく関係ありません。ローレンツ変換では、石の同じ軌道が直線になったり、放物線になったりすることを計算できません。代わって私が説明します。

 上で述べたように、石が、このようにいろいろな動きに見えるのは、石がいろいろな動きをしているからではありません。基準の方が違った動きをしているためなのです。そのために相対的な動きが違ってしまうのです。本当は、基準の動きの違いなのに、石の動きの違いとしたから、石の動きが、直線になったり、放物線になったりしたのです。

 これは、(さしあたり、〈空間〉というあいまいなことばをまったくのけてしまおう。そういう言葉では正直言って、何一つ考えることが出来ない。そのかわりに、〈事実上剛体である基準体に対する運動〉と置く。)に原因があるのです。〈空間〉から考えると簡単にその謎が解けるのです。アインシュタインほどの頭のいい人が、(そういう言葉では正直言って、何一つ考えることが出来ない。)とは思えません。きっと相対性理論に邪魔になるから〈空間〉ということをのけ者にしたのでしょう。

 先ほども書いたように、本当は石はたった一つの動きをしているのです。全宇宙の万有引力の影響を受けて、複雑な回転運動をしているのです。これは絶対静止座標の中で確定している絶対運動です。

 そこで、基準を変えると、違う動きに見えるしくみを考えてみます。

 (私)が見ると、(石)が直線に見えるのは、(石)も、(私)も、列車の動き、地球の自転、太陽の公転、それから先の宇宙空間のすべての引力による動きが共通しているから、共通項として差し引かれるので、残っている両者の違いである、石の落下運動(本当は地球との引きつけ合いのために、地球に向かって動いている)だけが残るから直線に見えるのです。これが、列車の中で観測している人と、石との相対的な動きが直線になる理由です。

 (歩行者)の場合は、両者の違いは、(石)の落下速度と、列車の速度の二つです。他の動きは共通なので差し引かれるので、放物線を描いて見えるのです。これが(歩行者)と、列車から落とされた石との相対的な動きです。 

 (私)や(歩行者)や(石)は絶対的な動きをしています。(私)と(歩行者)の絶対的な動き間の違いが、石の見た目の動き、あるいは、観測者に対する相対的な動きの違いになって現れているのです。(石)の動きが変わったためではありません。

 また、比較実験をします。今度は、石が動かなくて、観測者だけが動いているように見える実験をしてみます。本当は石も人も車も宇宙空間をすっ飛んでいるのですが、それは少しおいておきます。

 広場の真ん中に石を置きます。車に乗ってこれを観測します。車が東から西に時速50kmで走ります。すると、車から見ると(あるいは車を基準にすると)、石が西から東に時速は50kmで動いているように見えます。今度は、反対に車は東から西に走ります。すると、石は車を基準にすると、西から東に走ります。ロケットに乗って飛び立つと、ロケットを基準にすると、石は地面とともに、加速度的に遠ざかっていきます。もちろん地球と共にですが。

 これは、石の動きが変化したからではありません。観測するほうの速度と方向が変化したからです。

 列車の私と、歩行者とが見た石の動きの変化は、これと同じです、観測者の動きが違うからです。


 

3 結論


 (〈空間〉というあいまいなことば)として、空間を消し、ついでの顔をしてなんとなくばれないように絶対座標を否定したところから、同じ物体の同じ運動が、さまざまな動きをしてしまうことになったのです。アインシュタインは、絶対空間を否定していますが、絶対空間を否定する根拠は、まだ仮定でしかありません。そのことに関して、証拠は何一つありませんし、彼は証拠を提出していません。なんとなく少しずつ言いくるめて否定しているだけなのです。

 この仮説から、物の動きは相対的であるといっているのですが、仮説があいまいで、根拠がないので、そこから出てきた、物の動きは相対的であるという仮説も、根拠があいまいだということです。

 

 この章では、剛体を基準にすることで天動説を復活するしかなくなったり、同じものが違った動きをしたりするように、剛体を基準にすると、事実との矛盾が生じます。剛体基準説は間違っているといえます。これは、もともとの、物事の動きは相対的である、というアインシュタインの考え方が間違っているということの証でもあります。

 いまさら天動説でもありませんしね。

        表紙へ     X 第4章 ガリレイ座標系