第16章 特殊相対性理論と経験


1 問題

(特殊相対性理論が経験によってどの程度まで支持されているのか)ということを論じている章です。そこで、彼が、証拠だという経験が、本当に特殊相対性理論の証拠なのかどうかを考えてみます。

 彼が挙げているのは以下のことです。

 

〈経験1〉(恒星からわれわれのところにくる光がその恒星に対する地球の相対運動によって受ける影響を、まったく単純な方法で導くことができ、それが経験とぴったり合うということである。)

ア (太陽の周りを地球が運動するにともない、恒星の見かけの位置が年周運動すること(光行差))

イ (地球に対する恒星の相対運動の視線方向速度成分がわれわれのところに来る光の色に及ぼす影響とである(ドップラーの原理))

 

〈経験2〉 (地球上の実験において、宇宙空間における地球の運動が感知できるかどうか・・・そのようなすべての努力は否定的な結果をもたらした。)

 

〈経験3〉マイケルソンとモーリーの実験から、(運動物体の収縮ということが・・・導かれる)

 

〈経験4〉 (運動それ自体−−われわれはそれに何の意味も与えられない−−ではなく、その時々に選ばれた基準体に対する運動がものをいうのである。すなわち、マイケルソンとモーリーの鏡つき物体が収縮するのは、地球とともに運動する基準系に対してではなく、太陽に関して相対的に静止している基準系に対して、なのである)

 

2 考察

ア 恒星の年周運動(光行差)は相対性理論を裏付ける経験といえるか。

 特殊相対性理論では、マイケルソンとモーリーの実験を引いて、太陽からの光は、地球に対して何一つ変化しない、ということを述べています。そしてその原理を、ローレンツとフィッシュジェラルドの考えを引用し、(物体の運動が、ちょうど上述の時間差を消すだけの収縮をその運動方向に起こす、)と述べています。

 このことから、特殊相対性理論で変化するのは、地球に対する光の相対速度や、到達時間ではなく、観測機器のほう〈観測機器の収縮〉であるということがわかります。

  そこで、光行差を考えてみます。

 光行差は地球が。太陽の周りを回っているために、降り注ぐ光が本来の方向から斜めになって見える現象です。

 特殊相対性理論ではこれは、地球が、進行方向に、縮んでいることから起こる現象であると解釈できます。

 @ 反論1

 地球が縮んでいるという現象は観測されていません。

A 反論2

光行差と似た現象があります。

 列車が走っているとき、雨が斜めに降っているように見える現象です。これは、雨と、列車が相対速度を変化させているために起こります。速度によって列車が縮んでいるためではありません。

このことから、光行差も地球と光が相対速度を変化させているためにおこるとも考えられます。

 B 結論

 列車と雨の現象は、観測事実です。また理論的にも究明されています。しかし、地球が縮むためである、という理論は確認されていません。既成の理論と事実で証明されたことは、それを否定する事実がない限り、新しい理論の証明には使えません。

 したがって、光行差が特殊相対性理論を裏付ける事実であるということはいえません。それをいうためには、列車と雨の相対速度が変化しているためというのを否定する観測事実と、列車が縮んでいるから、雨が斜めに降っているように見えるという観測事実を出さなければなりません。

 

 このことから、光行差が観測されているということは、恒星からの光が、かえって、地球の運動のために変化しているということの証拠になります。

 

イ (地球に対する恒星の相対運動の視線方向速度成分がわれわれのところに来る光の色に及ぼす影響とである(ドップラーの原理))

 ドップラー効果は、音や、波の現象では、音源や、波を作った物との間の相対速度の変化によって起こっています。したがって、光の場合も、光源となった恒星と光の相対速度の変化によって起こったと解釈されます。これを否定する根拠は提出されていません。また、光源と、光の相対速度が変化しない場合は、どのような原理で、ドップラー効果が生じるのかの原理も提出されていません。

 したがって、ドップラー効果は、星と光の速度が、つねに、光速度Cであるという証拠ではなく、かえって、光と、恒星は、相対速度を変えているという証拠になります。

 

〈経験2〉の問題(地球上の実験において、宇宙空間における地球の運動が感知できるかどうか)について。

考察 

地球の運動が影響を与えている例。

○ 偏西風、貿易風、人工衛星の打ち上げのとき東向きと西向きでロケットの必要エネルギーが違う。また、緯度によっても違う。

○自由に動く振り子の軌跡が一日でほぼ一周する。

 科学博物館などに行くと、天井から大きな振り子がぶら下がっていて、地球の自転の影響が確かめられる、と特殊相対性理論に反する説明文が書いてあったりします。

○低気圧高気圧の回転は地球の自転の影響。

○ピサの斜塔の鉄球の落下は、正確に測定するならば東方向にずれるはず。

○地球の自転のため、東京と沖縄では重さが違う。これは実際、日本のばねばかりの規格に、西日本用とか、北海道用とか、地域によってばねの強度を変えるようになっている。

○ 人工惑星は、地球の自転や、公転の速度を使う。また、速度を上げるために、行うスイングバイというやり方は、地球や、他の惑星の公転の力を使う。

 等、宇宙空間を動く地球の動きは、地球上の物体の運動に影響を与えています。アインシュタインが経験していないのは、彼がそれらの実験や観測をしていないからにすぎません。いわゆる経験不足です。あるいは、自分の理論に反する現象は見ないことにしてしまうのかもしれません。

 

〈経験3〉 マイケルソンとモーリーの実験

 この観測からローレンツとフィッツジェラルドが考え出した実験機器の収縮は誰もまだ経験していません。すなわち、ローレンツ変換の示す物体の収縮はまだだれも計測したことがないということです。計測するものさしも縮むから計測されないということになるのかもしれませんが、計測されていないという事実には変わりがないので、経験には入りません。この章の題である経験に入れることはできないので、仮説にしかすぎません。

 

〈経験4〉(運動それ自体−−われわれはそれに何の意味も与えられない)

  古典力学では、運動それ自体に意味を持たせています。運動エネルギーは、mv/2で表します。運動それ自体が意味を持っているということです。しかも、特殊相対性理論でもなぜかこれを基盤にして、運動エネルギーの式を考え出しています。運動それ自体が無意味なら、特殊相対性理論の運動エネルギーの式も無意味になるはずです。明らかな矛盾です。しかも、これも経験ではありません、仮説にしかすぎません。

 またことばの問題もあります。

 われわれといっていることです。さも、自分の考えに多数の支持者がいるというような感じです。われわれが誰を指すか分かりませんが、相対性理論はアインシュタインの仮説であるので、われわれではなく、私、であるべきなのです。

 ちなみに私(この批判論を書いている私)は(その時々に選ばれた基準体に対する運動がものをいうのである。)ということには何の意味も与えられない、と思っています。私は、アインシュタインのような天才ではないので、(われわれ)などということはとてもできないのです。

 

(その時々に選ばれた基準体に対する運動がものをいうのである。)

 について、走っている車Aと、車Bを使って特殊相対性理論が正しいとして思考実験してみます。

 @ 地球表面を基準体にする。 

・ 車Aの速度

 地表面に対して秒速10mで走っている。

・ 車Aの運動エネルギー

地表面に対しての車の運動エネルギー

 

A 秒速10mで車Aと平行に同方向に走っている車Bを基準体にする。

・ 車Aの速度

秒速0mで停止している。ただし、車Aの車輪は回転している。

・ 車Aの運動エネルギー

車Bに対する運動エネルギー

 B 地球の中心を基準体にする。

 ・ 車Aの速度

 車Aのいる場所や、走っている向きによって、秒速約10mから、約350mまで変化する。

・ 車Aの運動エネルギー

 地球の中心に対する運動エネルギー。上記の速度に応じて変化する。〈地球自転の速度による運動エネルギーが加算される〉

C 太陽の中心を基準体にする

・ 車Aの速度

 車Aは秒速約30km。〈地球自転の影響によって、様々な速度をとる〉

・ 車Aの運動エネルギー

 太陽の中心に対しての運動エネルギー〈公転と、自転による速度による運動エネルギーが加算される〉

D 宇宙を基準体にする

・ 車Aの速度

 車Aは秒速約400km〈公転や自転やその他の地球の動きで、様々な速度と方向になる〉

・ 車Aの運動エネルギー

宇宙空間に対する運動エネルギー。宇宙空間に対する地球の速度によるエネルギーが加算される

E 光を基準体にする

・ 車Aの速度

 車Aは光速度C

・ 車Aの運動エネルギー

無限大 この場合論理は破綻する。

 

 特殊相対性理論の場合、このように、基準体を変えると、車Aの速度は秒速0メートルから30万キロメートルまでいろいろな速度に連続的に変化します。したがって、車の運動エネルギーは、0から、無限大までどの値でもとりうることになります。

 しかし、どの場合でも、車Aの車輪の回転数は変わらず、単位時間当たりの消費ガソリン量も変化していません。このことから、実際は、基準体をどこに移しても、車Aの本来持っている運動エネルギーは変わらないはずです。変わるのは、基準体に対する運動エネルギーです。本来車が持っている運動エネルギーは、ニュートンが考えた、絶対静止空間に対する運動エネルギーであるはずです。アインシュタインの考えた、適当なK、動いているのに絶対静止とすることができる基準体ではありません。

 

 特殊相対性理論ではどのように運動エネルギーが変わるかを2台の車を使って実験してみます。

【車Bに観測装置を積み込んで車Aを観測します】

 ア 第1の状態

 車Bは道路に対して止まっています。すると、車Aの速度は、基準体である車Bに対して秒速10メートルです。

 イ 第2の状態

 車Bは道路に対して秒速10メートルになりました。すると、車Aの速度は秒速0メートルです。

ウ 第3の状態

 車Bは秒速50メートルになりました、車Aの速度は今までと反対方向に秒速40メートルです。

 

 このことをエネルギーで考えてみます。車の速度に応じて、車Aの運動エネルギーは変化しなければなりません。これは、単位時間当たりのガソリンの消費量によってわかります。

 道路に対して、車Aは同じ速度で走っているのに、そのエネルギーは、前方に向かって秒速10メートルの速度を出すエネルギーだったり、0になったり、反対方向に40メートルの速度を出すエネルギーだったりしています。車Aの車輪の回転数も、単位時間当たりのガソリン消費量も変わらないにもかかわらずです。

 この現象は、特殊相対性理論から生まれたエネルギーの式でも説明不可能です。

 これに対して、古典力学の場合は、物体の運動は絶対速度なので、基準体の速度は、車Aの、運動エネルギーに影響しません。車Aと道路の、相対速度で考えます。基準体〈車B〉が動いていた場合は、それを観測した値から引いて、車Aと地表との相対速度に直してから、エネルギーを計算します。だから、車Aが反対方向に動くことはありませんし、純粋に地表に対する、相対速度だけです。地球上の場合、道路が宇宙空間を動く速度〈秒速役400キロメートル〉は、車Aにも共通しているので、相殺し、相対的速度の差で計算できます。運動を絶対運動とすれば、地球上の物体は、すべて、宇宙空間を動く、秒速400キロメートルの運動エネルギーを共通に持っていることになります。地球上の動きは、これを相殺できます。ガリレイの相対性理論です。ただ、地上の場合は、完全な等速直線運動ではないのでmv/2とは微妙な差は出ることにはなります。

 

〈経験4〉(マイケルソンとモーリーの鏡つき物体が収縮するのは、地球とともに運動する基準系に対してではなく、太陽に関して相対的に静止している基準系に対して、なのである)

 このことに関して、3つの疑問が生じます。             

 そのひとつは、(太陽に関して相対的に静止している基準系)から考えると地球を含む惑星の動きは説明できるけれど、他の恒星の動きが、説明できなくなります。なぜなら、銀河系の回転を、静止している太陽を中心にするしかなくなるからです。すると、太陽と恒星の動きの関係は複雑な動きをすることになり説明ができなくなるはずです。かつての天動説のとき惑星の動きが説明できなくなったのと同じことがおこります。

 また他の銀河の動きはどうなるのでしょう。アンドロメダ銀河は、銀河系と引き付けあって、互いに接近しているということです。これが太陽が静止しているということになると、一方的にアンドロメダ銀河が太陽に接近していることになります。互いに引き付けあうという万有引力の法則ではこれは間違いです。

 実験に関係ないことは一切考えに入れないというのは特殊相対性理論の特徴ですが、それは困ったことです。目先の小さな現象を肯定するために、他の自然現象に矛盾が生じることを無視するのは、科学ではありません。

 2番目は、(太陽に関して相対的に静止している)、ということです。太陽は地球よりはるかに大きいことが知られています。地球上の実験の場合、基準系は軌道堤というように、地球の一部分の地表のまた一部分の線路に置いたりしました。このことからすると、地球よりはるかに大きい太陽を、静止基準に取るというのは可能なのか考えなくてはならないと思います。

 そこで太陽のどこを基準にしているのかを考えてみます。

 太陽は、自転しているので、その表面を基準にすると、全宇宙が回転してしまいます。また激しく活動しているので、表面を静止している基準系にすると、そのほかの太陽の部分や、地球や、星や、全宇宙が激しく動くことになります。太陽は表面が気体でできているので、剛体を探すのに苦労しそうです。

 そこで、基準をどこにとればいいのかというと、太陽の中心を基準にするしかなくなります。

 しかし、そのことについては、この本には書いていません。アインシュタインは、太陽を、空に浮かんだ小さな硬い球としか考えていないのではないのでしょうか。だから、(太陽に関して相対的に静止している基準系)などとあっさり言えるのです。彼の基準系とはせいぜいそれくらいの精度のものです。地球は球であるのに、その表面に沿った軌道堤が直線である、といっているのもそれくらいの精度でした。ローレンツ変換の式がものすごく小さな違いしか示さないのに比べ、思考実験は、めちゃくちゃ適当なのです。相対性理論のいう現象が、観測されないわけです。

 どちらにしろ、この考えからいくと全宇宙の中心は太陽の中心になってしまいます。この考え方は経験に照らすと間違いです。

 第3は、なぜほかのものではなく、太陽が基準になるのかということです。

 アインシュタインは、(その時々に選ばれた基準体に対する運動がものをいうのである。)といっています。特殊相対性理論は何を基準にしてもいいことになっていたはずです。すなわち、地球中心を基準にしようが、月の表面を基準にしようが、走っている車の中の人を基準にしようが、かまわないはずです。それなのに、なぜ、この場合だけは太陽でなければならないのでしょう。アインシュタインはその理由をここでは述べていません。

(マイケルソンとモーリーの鏡つき物体)が太陽の光を使って実験しているからというのが理由なのでしょうか。もしそうだとしても、光は、なんに対しても、光速度Cをとるというのが特殊相対性理論なのだから、懐中電灯の光でも、星の光でも、太陽の光でも同じなのだから太陽から出た光で実験するからといって太陽を基準にする必要はないはずです。

 太陽からの光に対して、その方向に縮むから、と考えてみます。地球上の観測装置は、自転と、公転のため、太陽の光に対して進んでいるのではなく他の方向に進んでいます。しかも直線ではなく曲がりながら進んでいます。したがって縮むとするなら、太陽の方向に対してではありません。

 また、地球は太陽とともに、宇宙空間を高速で動いています。縮むとするならその速度も考慮しなければならないはずだから、(太陽に関して相対的に静止している)空間を基準にしなければならない根拠はないはずです。

 

 これは、宇宙空間を絶対速度Cで運動している光に対して、やはり絶対速度で動いている地球の相対速度でなければなりません。もし地球が運動により縮むとしたら、太陽に対して縮むのではなく、この絶対速度に対して、縮まなくてはなりません。そうしないと、地球は太陽に対する相対速度、30kmに対して縮むけれど、他の動き、たとえば、銀河系の回転による動きや、アンドロメダ方向に秒速100kmほどで動いていることや、そのほかのさまざまな力により宇宙空間を動いていることによっては縮まないことになります。

 太陽と、地球は、連れ添って、ともに、銀河系を回転し、宇宙空間を高速で動いているので、太陽に対する地球の動き〈自転と公転〉以外の動きは共通してしまうので、相対的に動いていないことになるからです。これは太陽の引力によって、地球は太陽の慣性系の中にあるからです。これは、地球上の車や人の動きが、地球の自転や公転による運動を共通して持っているために、地球上は静止していると考えていいとする、ガリレイ変換と同じです。しかし、光は慣性質量がないので、太陽から出ても、星から出ても、懐中電灯から出ても、同じ絶対速度Cで進むから、(マイケルソンとモーリーの鏡つき物体)は太陽にだけ縮んでは意味がないのです。

 

3 結論

 アインシュタインは、なぜ、太陽を宇宙の中心のように考えたのでしょう。不思議なことです。

 天動説が否定され太陽中心の地動説になった当時の考えみたいです。しかし、宇宙ははるかに広いのです。

 

 表紙

17章 ミコフスキーの4次元空間