第12章 運動している棒と時計の挙動


1 問題

 ローレンツ変換の式の計算による棒の長さについて次のように言っています。

@(運動する剛体棒は同じ静止状態にあるときの棒よりも短くなり、その上運動が早くなればなるほどそれだけ短くなる)

A(速度cは現実の物体にとって、到達できずまた超えられないひとつの限界速度の役をつとめている)

B(ガリレイ変換にもとづいたならば、運動に伴って測量棒が短縮するとはいえなかったであろう)

また、時間について

C(時計の進みは、静止状態よりも運動中のほうがより緩やかになるのである)

2 考察

実際の状態と比較して考察します。

(1) 問題1

 @(運動する剛体棒は同じ静止状態にあるときの棒よりも短くなり、その上運動が早くなればなるほどそれだけ短くなる)を考えてみます。

〈考察〉

ア これはたんなる仮説です。実際の現象として観測されたり、実験で証明されたりはしていません。

イ 地球は、宇宙空間を秒速400kmで動いています。したがって、相対性理論ではその進行方向に縮んでいるはずです。地球は、自転や公転をしているので、つねに進行方向に向く軸が移動しています。したがって、地球は、その動きに伴って、縮む方向がつねに変化していることになります。これは月の潮汐作用に似た動きを地球に及ぼしていることになるはずです。

 メートル原器は保管場所で地球とともに動いているので、やはり、地球の進行方向との向きが変わっています。したがって、時間の経過とともにその長さもつねに変わっているはずです。進行方向に伸びているときは、一番短く、進行方向に直角になるときに一番長くなっているはずです。

 この現象は確認されているのでしょうか。おそらく、その測定さえ行っていないでしょう。その理由をとして、次章の冒頭で、(われわれは実際には、光速度Cにくらべて小さな速度でしか時計と測量棒を動かせないのだから、前章の結果を直接具体的に比べることはできない)と述べています。測定不能だから、具体的な実証は要らないというわけです。でも、これはたんにいいわけであるということもいえます。なぜなら、13章では、この地球の速度より、はるかに小さい速度の流体の実験で、この現象が観測されたと述べているからです。ということは、メートル原器でも十分観測可能なはずです。

 どのような言い訳があっても、具体的な事象で確認しなければならないのにそれが出来ていないのですから、この説が仮説の域を出ないということはいえます。したがって、この説は今のところ疑似科学です。


(2)問題2

(運動する剛体棒は同じ静止状態にあるときの棒よりも短くなり、)について

考察

 静止状態の棒とはどのような状態なのでしょう。アインシュタインの相対性理論では、なんにでも基準体を設けることができます。

 たとえばこの場合の静止状態の棒をAとします。動いている棒をBとします。Aに基準体を取ると、アインシュタインのいうとおり、Bが動きます。したがって、Bが短くなります。

 今度は、Bを基準体に取ります。すると、Bが静止状態になり、Aが動きます。今度はAが短くなるはずです。基準体の取り方で、短くなるほうが反対になります。

 こんどは太陽中心を基準体にします。太陽中心が静止します。すると、棒AとBは、地球の自転とともに回転しながら、太陽の周りを秒速30kmで公転し出します。これは先ほどより、かなりスピードアップしているので、棒の縮みぐあいは大きくなります。しかも二本とも縮みます。その上二本のどちらが多く縮むかというと、地球の回転とともに、棒の向きが変わるので、つねに伸び縮みしています。しかも、二つの棒の遅速も地球の向きによって変化するので、Aのほうが長くなったり、反対にBのほうが長くなったりを、繰り返します。

 アンドロメダ銀河の中心を基準体にすればどうなるでしょう。棒の速度は一気に秒速200kmほどに上がります。棒はぐっと縮みます。

 誰が基準体を変えるのでしょう。どうすれば変わるのでしょう。言うだけでいいのでしょうか。それとも観測者がその位置に行くことが必要なのでしょうか。観測者がいろいろなところに3人同時にいたらどうなるのでしょう。地球と、太陽と、アンドロメダ星人と。そのときは二つの棒は、同時にさまざまな長さになるのでしょうか。それも伸び縮みしながら。

 それは観測者それぞれから見たらそれぞれに変わっているとするなら、何の意味もない論理になります。見かけ上ということになるからです。列車に乗っている人から見ると、林やビルや、山が動いているように見えます。それは見え方だけで本当ではないからです。1mの棒と、1kmの棒は、太陽から見ようが、アンドロメダから見ようが、1kmのほうが長いのです。

 論理が破綻しています。

 なぜこのようなことが起こったかを考えてみます。

 アインシュタインは、静止状態の棒を、地球上においてある棒という考えを基本にしていることが原因です。基準体を地球表面に置いているのです。

 普通、人は、止まっている、というのを、地球に対してで考えます。車が止まるのは、地表に対して相対速度が0になることを指します。動物は動くが、植物は移動できないというときも、地表に対して、移動しているか、同じ位置にいるかを指します。

 この思考実験でも、静止状態を、暗黙のうちに、地表に対して、という、普通、人が持っている感覚を前提にしています。

 地表においてある棒は静止している、と人は感じます。走っている車に積んである棒は動いていると感じます。この感覚は固定しているので、棒が静止しているといわれると、ごく自然に地表にある棒を連想します。車に乗っている棒を連想しません。この感覚を巧みに使っています。決して、車に積んである棒は静止しているとはしません。ところが、これはガリレイの相対性原理です。古典力学です。

 アインシュタインの特殊相対性理論は、ニュートン以前の考え方に戻っています。地球は制止しているのです。これは一般相対性理論でも同じです。ニュートンは、それまであった、物は重いから落ちるという考え方から、質量のあるものは、相互に引き付けあう、という考え方に変えました。それが引力です。ところが、アインシュタインは、一般相対性理論の中で、重力といいなおし、重いから落ちるという考え方に戻しました。空間は質量によって、曲がり、物はそこに落ち込んでいくという考え方や、いっしょに落下している人は重力を感じないから無重力という考え方です。これらはニュートン以前の落下という考え方です。

 

(3) 問題3

 A(速度Cは現実の物体にとって、到達できずまた超えられないひとつの限界速度の役をつとめている)を考える

考察

 実際には、宇宙を飛ぶ宇宙線の中には、速度cで飛んでいるものがたくさんあります。

 カミオカンデの実験では、水の分子に衝突したニュートリノが、電子を弾き飛ばす現象を観測しています。このとき電子は速度Cで飛び出すそうです。しかし光は水中では速度を落とすので、光の衝撃波が生じます。これを観測するという装置だそうです。ここでも電子が光速度Cになっています。しかも、光を追い越しています。

 これらは小さいけれども、現実の物質です。目に見える大きさがなければ現実の物質とはいえないというのであれば話は別ですが、その場合は、限界の大きさを限定しなければならないし、その根拠もしめさなければなりません。しかし、物質の大きさの範囲や、根拠は示されていないところから、電子やニュートリノは、物質として、限界速度Cになってはならないはずです。

 したがって、到達できないというAの論は到達できているという具体的現象によって否定されたことになります。

 したがって、これも疑似科学の域を出ていない、というより、反証があるので、間違いといえそうです。


(4) 問題4

 B(ガリレイ変換にもとづいたならば、運動に伴って測量棒が短縮するとはいえなかったであろう)を考える

考察

 (1)に書いたように、現在、速度によって物体が縮む現象は観測されていません。世界一精巧に作られた測量棒である、メートル原器が、速度によって伸び縮みしているということは観測されていません。すなわち、速度のために物体は変化していない、という観測がなされているといえます。したがって、ガリレイ変換のほうが具体的に証明されているといえます。ということは、アインシュタインの相対性原理のほうが間違っているということです。

 ここでもアインシュタインの仮説は、今のところ、事実に照らすと間違いであるということがいえます。


(5) 問題5

 C(時計の進みは、静止状態よりも運動中のほうがより緩やかになるのである)を考える

〈考察〉

 二つの速度の違う物質AとBで考えます。相対性理論に従って速度が違うので時間の進み方が違うと考えます。ある時刻、西暦2000年1月1日午前0時を起点とします。Aが、8年2ヶ月3日と10時間00分経ったときを考えます。そのときBは速度がAより速いので時間がたつのが緩やかになったとします。Bは8年2ヶ月3日と9時間30分経過したとします。

 すると、

 Aは西暦2008年2月3日午前10時00分に存在します。Bは西暦2008年2月3日午前9時30分に存在します。この2つは、もはや同時には存在しないので、合まみえることはできません。10時に待ち合わせの場所に行った人は、9時30分に待ち合わせ場所にいる人には会えないのです。

 もうひとつの問題があります。AとBの速度の問題です。どちらが速いかということを何で決めるのか、です。地球上で測定している人は、車の速さを簡単に決めています。今はスピードガンなるものがあって、簡単に計れるそうです。しかし、特殊相対性理論ではそうことは簡単にはいかないのです。赤道上の2台の車AとBを考えます。Aは地表に対して停車しています。Bは自転速度と同じ速度で西に向かっています。音速を少し超えています。これを道路のわきに立っている人が観測しています。どちらが速いかは、簡単です。Bです。

 今度は、同じことを赤道上の静止衛星から観測します。赤道上を西に向かうBは、いつまでも、人工衛星の下にいます。動いていません。反対に、Aは、音速を少し超える速度で東に動いていきます。速いのは、Aになります。

 相対性理論では座標系Kを基準にしているがそれはどこにあるのでしょうか。第3章で、(〈空間〉というあいまいなことばをまったくのけてしまおう。そういうことばでは正直いって何一つ考えることができない。そのかわりに〈事実上剛体である基準体に対する運動〉と置く。)とあるように、座標系は剛体を基準体としているはずです。上の例では座標系Kを地球上にとると、Aが静止になり、Bが動いていることになってBが速くなります。しかし静止衛星上に座標系Kを取ると、Bが静止し、Aが動きます。BがAより速くなります。

 つねに、人は地球上にいるのでそれを基準に物事を判断しています。その日常を基準にどちらが速いかを決めても何の違和感もありません。しかし、相対性理論では座標系を勝手に決めてもいいことになっています。座標系を勝手に決めることができるとなると、上の例のように、物体がどちらが速いかは、決められないことになります。

 これを太陽を基準体にしてみると、二つの車の速度が違ってきます。地球の自転や公転の関係で、Aが速くなったり、Bが速くなったりします。

 宇宙の中では基準体をどこにとるかによって車の速さが変わります。それは基準に対する、相対的速さだからです。特殊相対性理論では本当は車がどちらが速いということも、速度も決められないのです。

 これに対し、ニュートン力学では、空間を速度0の絶対静止としているので、速度はそれに対して測れるし、AもBも絶対速度を持つので、速い遅いが決まっているし、その差も正確に測れます。

 

 このことから、(もしもガリレイ変換にもとづいたならば、運動にともなって測量棒が短縮するとはいえなかったであろう。)といっているとおり、現実の現象はガリレイ変換のとおりです。アインシュタインの相対性理論の予言する現象は一つも観測されていないといえます。このことから、正しいのは今のところガリレイ変換であり、特殊相対性理論は、観測されている事実に照らすと、間違っているというしかないといえます。

 これは、天動説が長く人々に支持されたのと同じ原理です。人々は、日常生活で、地球が停止しているという感覚の中で育っているので、地球が動いているということは信じられなかったのです。感覚と、事実との大きなずれです。ガリレイの相対性原理もそうです。地球上の、軌道堤では厳密には近似値です。東京を出発した列車は、北海道に着くころには、何千キログラムか軽くなっています。乗っている人も、北海道で量る体重ではほぼ50グラム軽くなっています。赤道上と、極点上ではほぼ1パーセント赤道上が軽くなるそうです。これは地球の自転による遠心力が場所によって違うことから来る現象です。基準をどこにとっても、この重さの違いは生じます。これは速度が、決められているということの証拠です。

 

 

表紙
第13章 速度の加法定理−フィゾーの実験