10章 空間的距離の概念の相対性について


1 問題

@ 列車を基準体として測った長さと、軌道堤を基準として測った長さは、(違っていることもありうる)

A このことから、(ある単位時間に−列車から測って−車中の男が距離wを行くとしたら、この距離が−軌道堤から測って―同じくwである必要はない。


2 考察

 ここでは、@の前提からAの結論が出てくるという構成になっています。

 問題点は、@の論理は、まるっきりの定立〈個人的主張〉です。これが正しいとするなら、実測する必要があります。古典力学では、これは否定されているし、現在地球のどの場所でも、どの乗り物でも、1メートルは1メートルとされているので、そうでないとするなら、よけいに実測して正しいことを証明しなければなりません。

 たとえば、メートル原器は、材質と、温度(0度C)は決められていますが、その向きは決められていません。地球は複雑な螺旋を描いて動いているから、もし速度が長さに影響するなら、メートル原器の方向によって、原器の長さに変化が現れるはずです。今のところそれは観測されていません。

 おそらく、列車の速度くらいでは測定できないくらい小さな変化だから実測できない、というのでしょうが、それは詐欺師の言い分と同じです。実際にないならそれはないのです。

 また、肝心の、根拠となる理論もこの章には書いてありません。

 論理的根拠も事実も存在しない主張は科学ではありません。

 ことばのトリックから

 @(・・・違っていることがありうる。)ということは、たぶん同じだが、ということが言外にある言い回しです。すなわち、同じであることが多いが、違っていることもたまにはある、ということです。

アインシュタイン以外の物理学では、速度によって、長さは影響されない。だから、距離はwである、ということです。

それに対して、「本当にそうなのかい、絶対にすべてにわたってそういいきれるのかい。絶対などということが本当に言い切れるのかい。ヒョットシタラそうでないことがあるのではないかい」、と迫ります。すると、木の弱い人間は、「そういわれればすべてにわたって絶対と言い切れるんだろうか。世の中絶対といえるものなどないかもしれないからな」と思うわけです。

 そこで登場したのが、「ヒョットシタラ違うこともあるかもしれない」から(・・・違っていることがありうる)となったのではないでしょうか。そして次の段階では、もう少し、言い切ります。(wである必要はない)と、まるっきり根拠も事実も示さずに、ここまで仮定は進みます。もし、速度によって長さが違うなら最初から「速度によってものは伸び縮みする」と言い切らなくてはなりません。そして、実測して、その実例を示さなくてはなりません。古典力学が、「温度によって物は伸び縮みする」と言い切って、なおかつ、実測して示しているように。そうしてこそ初めて科学です。実測できないのは値が小さすぎるから、などと言い訳して、実測の努力すらしていないのでは、疑似科学そのものといわれても仕方ありません。

 なぜか、アインシュタインは、人の心理をたくみについて、言いくるめるときに使ういいかたと、よく似た言い方をしています。

 方法は、何の根拠もなく、「もし・・・としたら」と持ち出します。そして今度はそれを根拠にして、「としたら、次はこうなるんじゃないの」と進みます。すると、2番目は1番目を根拠にしているので、さも根拠があるようです。しかし、1番目が本当ではないのでそれを根拠にした2番目も本当ではありません。しかし、それを聞いた人は、なんだか根拠があるように思ってしまいます。そして、2番目から3番目を導き出すと、1番目が、何一つ根拠のない仮定であったことは消えてしまいます。だから、3番目は確定した論理や事実のよう思われてしまうのです。1番目が根も葉もないのに、結論はさも事実らしくなります。とても上手なやり方です。これは、疑似科学というより、似非科学に近いやりかたです。

 

(この距離が同じくwである必要はない。)について

 地球は宇宙空間を、秒速400キロメートルで動いているのが観測されています。アインシュタインの論理からすると、地球は、進行方向に対して、いつも縮んでいることになるはずです。

 また、自転しているのも観測されています。すると、地球は、進行方向に対して、いつも向きを変えていることになります。月の潮汐作用で、地球に満ち干ができるのと同じように、地球が動くことによって、地球は毎日伸び縮みを繰り返していることになります。これは観測されているのでしょうか。太陽にも、月にも同じことが起こっているはずです。これは観測されているのでしょうか。

 秒速400kmくらいでは、測定できるほど変化しないということなのでしょうが、あっさりそういっていいのでしょうか。それとも、そんなことは考えなくていいのでしょうか。おそらく、そんなことは考えても見なかったのでしょう。相対性理論は、せいぜい列車の1車両の大きさをでないのですから。

 しかし、速度によって物質の長さが縮むという現象は今まで一度も観測されていないし、実験で生み出されたということもないということは確かです。

 もちろん、光速で飛ぶ陽子や、電子が、進行方向に、無限大で収縮してるという観測もありません。【注:相対性理論家は、物質は光速になると無限大に収縮するという意見です)


3 結論

 この章ではその主張する仮説の根拠となる論理は書かれていません。したがってそれに対する反論の方法もありません。今後、測定されるかもしれないが、今のところ現実にそれを裏付ける事実はなにひとつ確認されていないということです。

 したがって、この章にある主張は、論理的根拠も、経験的根拠も存在しない。ただの、「もし・・・としたら」です。したがってこれは、科学の仮説までも到達していません。疑似科学ではなく、空想科学小説の思い付きと同じ種類のことです。

 

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 第11章 ローレンツ変換