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自然界の最高速度「光速
C」を超える

超光速は実現可能か(Newton10,2016)についての考察12


著者 田 敞
(以下{ }内は上記本よりの引用)

 

{3年前の自分にメールが届く!}

問題1

 こうなると、科学というより空想科学の範疇の気がします。まあ、突拍子もない考えが次の科学の真実になるというのは、真実は小説より奇なりといわれていますし、ありうることかもしれませんが。地動説だって、地球が動くなんて、とその当時はとても突拍子もない考えだったのでしょうし、大陸移動説だって、こんなでかい大陸が動く訳がないと当時の科学者達(当時といっても、50年ほど前のことなんですが)が考えていたし、ダーウィンの進化論だって、当時の人たちは笑い物にしていたのだから、あながち、空想科学といって否定できないかもしれません。そこで少し考えてみます。

                                                                                                           

考察

{3年前の自分にメールが届く}という考えは、今現在、3年前の時刻に何らかの方法で行けば、3年前の自分がいるという考えです。

 この考えからすると、1年前の自分もいるということになります。1日前の自分も存在し、1時間前の自分も存在し、1秒前の自分も存在し、0.01秒前の自分も存在するということになります。どこまで細かくできるでしょう。

 ものごとには最小限があるという考えからすると10−10秒ほどではどうでしょう。そうすると、生まれてから今までの私が、過去の時間に沿って、10−10秒きざみで無数に存在しているということになります。連綿と続く映画のフイルムのように、ほんの少しずつコマ送りしている現実の私が、です。

 その私の周りにはたくさんの人もいます、もちろん地球も太陽も宇宙もあります。無数の宇宙が10−10秒ごとに存在しているということです。そして私が過ぎて行く時間とともに、宇宙が1秒間に1010個ほど次々に作られ、フイルムのコマのように時間に張り付いて残されていっているということです。

 今、化石で発見された恐竜が、時間をさかのぼれば、今まさに他の恐竜に襲いかかっているという現実が存在するということです。そしてそれがやがて死に、埋もれ化石になっていく1億年ほどの過程が、すべてコマ送りで時間に沿って存在し続けているということになります。小田信長が、切腹している瞬間が存在しているということになります。その瞬間は、その時刻とともに、永遠に固まっているということです。

 未来を考えてみます。相対性理論では、時間は遅速があるということです。その中で私の時間が一番早いということではないはずです。すると、私より未来の物質も存在しているはずです。すると、その物質の時間は今未来にあることになります。するとその物質の「今」に対応した宇宙があるということです。その中には私もいるはずです。「今」が、数年先か20年先かなら私も生きて動いているでしょう、その先は墓に入っているでしょう。相対論なら、宇宙には100年先の物質も存在するはずです。私のこれからの生き方はすべて一挙手一投足まですでにできていて細切れの実際の存在として時間に張り付いて固まっているということになります。

100年なんてこの宇宙の時間から考えると誤差の範囲にも入りません。相対論で考えると、何千年、いや何億年先の未来にある物質もあることでしょう。宇宙の未来はすでに存在しているということになります。

 ま、常識で考えるととても変な話です。しかし常識を覆しながら科学は進んできました。笑い物にしてはなりません。

 時間とは何かは今のところ解明されていません。アインシュタインも、相対論者も、時間とは何かについて、何一つ解明していません。(速度が速くなると時計の針がゆっくり進むから時間が遅くなるなどという時間の概念はせいぜい小学生のレベルです)

 時間については、まだ、想像の域を脱していません。空想科学の域を出ていないということです。ただ、私には、私の子供時代がどこかに張り付いて存在しているとは考えられません。

問題 2{因果律}

 {「原因は、その結果よりも,必ず時間的に先に生じていなければならない」}

 {未来から交通事故に遭うことを伝えられても,何らかの不可抗力が生じて必ず事故にあってしまう}という考えがあるということです。

 もし過去の人に事故に遭うことが伝えられたとします。それでも事故には必ずあう、とします。しかし、伝えられたという事実は過去にはなかったのに新たに加わった事実です。過去はすでにそれだけで変化しています。その人の思考も変化します。事故に遭うことだけが、過去の事実ではないはずです。

思考の変化くらいなら未来に大きな変化をおこさないから不問にするということなのでしょうか。思考は電気の流れです。脳内でそれが、以前あったことと変わっているということです。物理的な変化です。未来に影響しなければ変化してもいいという法則は手前勝手な法則です。事故のように大きな変化でなければ良いというのは、完全に人間中心主義です。影響しない変化は存在しないでしょう。蟻を1匹踏みつぶすことにしろ、風をちょっと乱すことにしろ、変化は変化です。小さい変化を起こすことができたなら、中くらいの変化も起こせます。そしたら、大きな変化も起こせます。大きいのはだめだけれど、小さいのはいいという科学的根拠はありません。

 

問題3 {光速の60%で進む宇宙船}の時間と地球の時間

10年後、地球と、宇宙船の時刻は2年異なっています。

考察

この本の主張では、3010年1月と、3008年1月が同時に存在しています。

異時刻のものは同時には存在できない、というのが相対論までの考え方でした。相対論はこれを覆しました。

 問題は、ロケットの時刻が3008年1月なのだから、なぜ地球の3008年の1月に出現しないのだろうかということです。なぜ地球の現在時刻(3010年1月)に出現するのかという理由が述べられていません。

 車だとどうでしょう。

時速100kmと時速80kmの車が同時に出発すると2台の車は離れていきます。やがて双方から見えなくなります。同じ所に出現することはありません。ところが、相対性理論の時間はそうではありません。どんなに時間の速度が異なっても、つねに地球時刻の現在に出現します。2年も違ってもいるのに地球時刻の現在に現れています。

速度の違う車は同じ場所に現れないけれど、相対論では、時間がいくら違っても、いつも地球時刻の今に出現するようです。

普通の時間の場合、1秒でも違うと、もう見えません。1秒過去の自分を見ることはできません。今まで、過去の自分を見た人はありません。未来の自分を見た人もいません。異時刻のものは、見ることも触ることもできないのが、今までの事実です。ところが、相対論効果で過去になったロケットは見えるというのです。

ロケットは6光年離れているから、という距離の問題ではありません。

 たとえば、相対論では、太陽は、相対論効果(特殊、一般合わせて)で地球より1年に1分時間が遅くなるという意見があります。すると、太陽は、今地球から46億分(約8752年)遅れていることになります。時刻は、紀元前6735年です。石器時代です。しかし、太陽は、今、ちゃんと空にあります。2016年の地球の8分光年先の宇宙にあります。8752年前の時刻の太陽からでた光が、8分後には地球に到達しています。不思議な現象です。太陽の光は、どのようにして、8分光年の距離を飛ぶ間に、8752年もの時間をさかのぼったのでしょう。

 この話でも、3010年1月に地球から出した電波が、6.4光年の距離を飛ぶと、3008年4月の時刻のロケットに到達しています。電波はどのようにして時間を下っていったのでしょう。

相対論では、どんなに時間が異なっても地球時刻にすべてが出現します。時刻にかかわらず、すべての現象は地球時刻に合わせて同時に出現するということです。宇宙の時間は地球が中心になっているということのようです。しかし、その理由は示されていません。

これは一種の天動説です。中世の科学の世界になっています。まあ、相対性理論とは「光あれ」だから仕方がないか。

 

問題4 普通の考え方

 存在は「今」しかなく、過去も、未来も存在しないという考え方もあります。これだと、過去は消えているので、過去に働きかけることはできません。タイムマシーンで行くことも、電波を送ることもできません。過去はないのですから。

 この考えだと、因果律も必要ありません。過去は既に存在しないのですから、過去を、いじることはできません。あるのは「今」だけです。過去は、「あった」けれど既に存在しません。消えてしまっているのです。「起きたことは取り返しがつかない」のは、すでに消えてしまっていて、手の出しようがないからです。

 未来も同じです。ライブの試合を見ているようなものです。今しかなく、先はどうなるかわかりません。未来がすでにあるなら、それは録画の試合と同じです。すでにすべてが決まっています。ただそれを知らないだけなのが、人生なのだということも考えられます。

 でも今のところ、過去を見たり行ったりした人はいません。未来も見た人はいません。それが現実です。

 過去があるというなら、それを実証しなければなりません。いろいろ想像をたくましくするのは必要ですが、科学にするなら、実証が必要です。今のところ、過去はないという実証の方が、1億対0で優勢です。

 ま、今後科学が発展して過去に行けるかもしれません。時間が存在し、昔の映画フイルムのように連綿とすべての物質が時間に固着しているのかもしれません。

 ニュートンで考えると、絶対時間です。宇宙のすべては同じ時刻にあるという考えかたです。太陽は、見えている少し先にあります。太陽1個分と少し先です。8分後にその場所に見えます。今出た光が地球に届くのに8分かかるから今は見えないのです。

勿論目に入った太陽の光は過去の時間ではなく現在の時刻です。太陽の光が8分かかって地球に届く間に、地球もちょうど8分経っているからです。

結論

時間とは何かということが分かっていません。相対論のように、過去や未来の時間が今現在の瞬間にも存在するという考え方もあります。時間に遅速があるという相対論では困るでしょうけど、過去はすべて消えている、未来はまだ無いから無い、あるのは現在だけだ、という考え方もあります。

時間というものが分かっていないので、どのように考えてもありですけれど、事実は一つしかないでしょう。ただ20年前の私が、20年前の時間に金縛りになって今もあるとは到底考えられません。20年先の私が考えられないように。もしいたらその私は、何を考えているのでしょう。20年間じっと固まったままでいるのでしょうか。相対論ではそうなのでしょうね。

なぜ存在しているのが過去や未来の私ではなく、今、現在の私だけしかいないのでしょう。過去や未来があれば、どの私が出てきて行動してもおかしくないはずです。今日は3年前の私で、明日は4年後の私が出てきましょうとはならないですよね。

今のところ、過去や、未来が今現在存在しているという実証はなされていません。タイムマシーンがいつかできたら、実証されるかもしれませんが、そんなものがあるとは思えないので、タイムマシーンは不可能でしょう。

世の中は、ニュートンの絶対時間で動いていると考えると矛盾はありません。過去の太陽や、未来の月が地球上空に見えるなどということはありません。

(注:遠い宇宙を見ることは過去を見ることだという考えがあります。1億光年先の銀河を見ることは1億年過去の銀河を見ているという考えです。たしかに過去が見えそうです。でもそうではありません。それは、1億年前にその銀河を出て、1億年かけて地球にやってきた光です。その光が出てから光は1億年経過しているので、地球の時刻と同じ時刻になっています。私たちは過去の映像を見ているだけで、その光は1億年古びています。子供時代の写真のように、過去の映像なだけです。写真そのものは同じ時間を経過してセピア色になり、今と同じ時刻にあるのと同じです。1億年かけて地球にやってきた銀河の光は、その途中で出会った様々なもので、傷つき、セピア色(赤方偏移)になっています。過去の映像を見ているので、過去が今あるわけではありません。実際、今現在そこには、銀河はありません。太陽を見ていますが、実際の太陽はそこから8分進んだところにあります。見ている場所には太陽はありません。過去の映像を見ているだけです。昔の写真を見ることはできるからといってからといって写真の時刻が過去であることではありません。1億年前の銀河や、8分前の太陽を見たからといって、過去が今現在あることにはなりません。過去を見ているわけでもありません。見ている光は今現在の時刻にある光です)