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自然界の最高速度「光速C」を超える

超光速は実現可能か(Newton10,2016)についての考察7


著者 田 敞
(以下{ }内は上記本よりの引用)

 

問題 {アインシュタインの速度の足し算}の問題点

 

{時速60キロで走るトラックから時速120キロの球を投げれば,地上の人には時速180キロの剛速球が届くというように,速度は単純に足し合わされていくというのが私たちの常識です。ところがこの常識と,光の速さがつねに一定であるという「光速度不変の原理」は両立しません。単純な速度の足し算が成り立つのであれば,光速(秒速30万キロメートル)を超えるような状況が必ず生まれるからです。}そして、どのような速度を足しても、光速を超えないようにする計算式が、{アインシュタインの速度の足し算}だということです。たしかにうまい計算式です。

そこで、ニュートンの考え方と、アインシュタインの考え方を比較して、{アインシュタインの速度の足し算}について考えてみます。

 

考察

先に述べたように、ニュートンの考えでは慣性質量のあるものどうしの速度は単純な足し算ができますが、光は慣性質量を持たないのでこの足し算ができません。しかし、アインシュタインの計算式では質量のない光も足し算ができるということです。

そこで二人の考え方の違いを比較してみます。

 

ニュートン

アインシュタイン

基本概念

・絶対時間、絶対空間

・時間と空間は別として考えていた

・相対時間、相対空間

・時空(時間と空間は一体)

物質の速度

 

・すべてのものは絶対速度を持っている

・すべての物の速度は決められない。観測者によって速度は変わる。

光の速度

 

・絶対静止に対して光速度

 

・真空中を光速度(絶対空間に対して光速度に似ているが、そうではないはずだ。しかし、光の速度が絶対ならそれに対して0km/秒という絶対静止が出てくるはずだが、それでは、絶対空間を否定した意味がなくなる。矛盾が生じている)

・あらゆる物質に対して光速度

 

光と光源の速度の足し算

・光源の速度と光の速度は足し算できない

(光は慣性質量を持たないから、光源の運動エネルギーを保存できない。光は絶対空間の中を独自の速度、光速になる)

・光源の速度と、光の速度は足し算できる。(科学的根拠はない)

(アインシュタインの計算式による)

時速60キロで走るトラックの速度

・絶対速度

(「絶対空間」に対するトラックの速度だから、実際の速度は、道路を走る時速60kmではない。

「地球の表面速度(自転の速度+公転速度+銀河系の中を地球が進む速度+銀河系が宇宙空間を進む速度)+トラックの速度」がトラックの速度になる。

・観測者の速度が変わってもこの速度は変わらない。

(観測者が、車と同速度で、同じ方向に走ると、観測者と、車の相対速度は、0m/時になるが、絶対速度(地表の速度+車の速度)は変化しない)

・観測者に対する速度

「観測者」に対する相対速度によるトラックの速度だから

{外部の静止した観測者}から見れば、トラックは{時速60キロメートルで走る}ことになる。トラックの場合、{外部の静止した観測者}は地表に対して静止している観測者になる。

 

 

 

・観測者の速度が変わると、この速度は変わる。

(観測者が、車と同速度で、同じ方向に走ると、観測者と、車の相対速度は、0m/時になる。絶対速度がないので、これが車の速度になる。)

相対性

観測者が変わっても、絶対速度は変わらない。

 ロケットの速度は、絶対速度であり、地球の速度も絶対速度であるので観測者が変わっても速度に変化はない。

観測者が変わると、動く方が変わる。

地球から見ると、ロケットが動き、ロケットから見ると、地球が動く。

アインシュタインは「軌道から見ると列車が動き、列車から見ると軌道が動く」と述べている。

 

問題

{光速の0.6倍で進む大型ロケットから,光速で進む光を発射}するとき、{アインシュタインによる速度の足し算}では、大型ロケットの速度と、光の速度が足し合わされている。

考察

ニュートンの慣性の法則では慣性質量が運動エネルギーを保存することになっている。光は慣性質量がないので、運動エネルギーを保存できないから、ロケットの速度を光の速度に足すことができない。

しかし、この本では足している。慣性質量のない光が運動エネルギーを保存する仕組みを述べなければならないはずだ。それがない。

結論

慣性質量のない光は運動エネルギーを保存できないから、これは明らかな間違いであるといえる。

 

問題

 式に代入する速度は、確定できるか。

考察

l  特殊相対性理論では、物質の速度は観測者の速度(たとえば、地表に立っている人から見たトラックの速度と、月に立っている人から見たトラックの速度は変わる)によって変化するので、{単純な速度の足し算}の式に確定した速度を代入することができない。代入する数値が、あらゆる値に変化するので、答えもあらゆる答えになる。{アインシュタインによる速度の足し算}の場合も、一方が光の場合は答えは光速一つになるが、物質の場合は、物質の速度は、観測者の速度によって変化するので、答えも観測者の速度次第になる。

結論

式がいくら素晴らしくても、代入する値が不確定では、何にもならない

 

問題

{外部の静止した観測者}はどこにいるか

考察

l  {外部の静止した観測者}が宇宙空間に静止している場合

ロケットは光速の0.6倍で飛ぶことは可能である。

しかし、トラックは地上を走っている(トラックは宇宙を走れない)。すると宇宙空間の{外部の静止した観測者}から見ると、トラックは地球と共に自転しているし、公転しているし、その他の動きをしている。時速60kmで走るトラックは不可能である。

l  {外部の静止した観測者}が地上に停止している場合

トラックの速度は、観測者に対して時速60kmは可能である。しかし、ロケットが{外部の静止した観測者}に対して、光速の0.6倍の相度で飛ぶことは不可能である。なぜなら、地上にいる{外部の静止した観測者}は地表と共に、自転し、公転し、宇宙を飛んでいるからである。そこから見ると、ロケットは直進すらできない。

結論

 同一の{外部の静止した観測者}は実際には不可能であるといえる。

トラックの速度を計る地上の{外部の静止した観測者}と、ロケットの速度を計る宇宙の{外部の静止した観測者}の二人が必要である。

地上の{外部の静止した観測者}からは宇宙の{外部の静止した観測者}は動いて見える。反対に、宇宙の{外部の静止した観測者}から地上の{外部の静止した観測者}は動いて見える。相対論ではどちらも正しいとなっている。

トラックと、ロケットの速度はどちらの{外部の静止した観測者}から計るかで速度が変わる。決まった速度は計れない。

 

問題

{外部の静止した観測者}は何に対して「静止」しているか。

考察

ニュートンでは絶対空間があるから、「静止」は絶対空間に対して静止である、いわゆる絶対静止である。

 しかし、特殊相対性理論には絶対空間がない。したがって、「静止」は相対的になるしかない。上に書いたように、トラックの速度を計る時は地表に止まっている観測者が静止になる。地表と共に動いているにもかかわらず静止ということになる。

宇宙を飛んでいるロケットは地上に停止している観測者から計ると、地球の自転や公転の影響を受けて回転してしまうので、宇宙のある一点の観測者を静止と仮に決めて計らなければならない。しかし、この観測者が静止しているということは決めることはできない。

また、相対性理論では、トラックから見るとトラックが静止し{外部の静止した観測者}が動くことになり、ロケットから見るとロケットが静止し{外部の静止した観測者}が動くことになる。これも正しいというのが、特殊相対性理論である。

 

結論

特殊相対性理論は絶対静止を否定しているのだから、{外部の静止した観測者}という状態は存在しないはずだ。

特殊相対性理論の計算式に特殊相対性理論が否定した「静止」の状態を持ちこむことが矛盾である。

 

問題

アインシュタインの計算式の答え

考察

計算式では足し合わせて光速を超えると必ず光速になるが、計算式は何に対する光速かは示していない。

また、光速以下の場合の答えの速度は、何に対しての速度なのか式からは出てこない。もしそれが確定した速度(相対速度ではない)なら、その速度に対して空間は動かないことになり、絶対空間になってしまう。

トラックとロケット双方が、0m/秒のときは、答えは0m/秒になる。これは絶対静止ではないのだろうか。

結論

{単純な速度の足し算}も{アインシュタインによる速度の足し算}も共に確定した速度を代入している。答えも確定している。光の速度以外には、特殊相対性理論では確定した速度は出てこないはずだ。ところが計算できるという。

 この代入した数値と、答えの数値は絶対速度ではないのだろうか。そもそものごまかしは「絶対静止」を否定しているのに{外部の静止した観測者}などという、特殊相対性理論にはあってはならない観測者を登場させていることにある。しかし、「静止」がなければ速度が測れない。速度がなければ計算式があっても計算できないというジレンマに陥る。

唯一絶対速度の光から測ればいいようなものだが、光に対しては、すべての物質は光速度になるという理論なのだから、ちゃんと計ってもトラックも、ロケットも、「光速度」、という速度しか出てこないから、個々の速度はすべて同じになってしまう。

 そこで苦肉の策として、{外部の静止した観測者}なるものに登場願ったのだろうけれど、この{外部の静止した観測者}が「静止」しているという理論的根拠がない。特殊相対性理論には絶対静止はなくすべて相対的なのだから{静止した観測者}は存在できない。そこで{外部の}と科学的定義のない言葉をいれてごまかすしかなかったのだろう。

 {外部の静止した観測者}の理論的説明がいる。「外部」とはどこを指すのか。特殊相対性理論の「静止」とはどのような状態なのかを示さなければならない。「静止」だから「静止」だということは相対論には存在しないのだから。