超光速は実現可能か目次 | 超光速5 | 超光速7 | メッセージ |
著者 田 敞
(以下{ }内は上記本よりの引用)
問題
{宇宙船の速度が速くなるほど,地上から見て,宇宙船の時間の流れはゆっくりになり,進行方向に対する縮みは大きくなります。なお,高速で進む宇宙船の中の人から見ると,逆に地球が同じ速度で動いているように見えます。そのため,宇宙船からは地球の時間の流れがゆっくりに見え,さらに地球がちぢんで見えることになります。}
考察
これにはいくつかの問題があります。
(1)地球時間の速度
今地球では時間が進んでいます。この時間の進む速度は、何を基準にしているのでしょうか。
ニュートンは、この時間の進み方は決まっていると考えました。「絶対時間」と言われています。宇宙のすべてが決まった同じ速度で時間が流れているという考え方です。
これは、宇宙の誕生から今まで、138億年だという、ビッグバン宇宙論でも採用されています。宇宙のさまざまな速度(超新星の爆発の速度、ブラックホールのジェット、銀河の回転等)によって、宇宙の部分部分が異なる時間にあるとは考えていません。すべての星や星間ガスや、それをいれている真空という空間は、速度や重力によって時間がさまざまな速度で進み、今という時刻にさまざまな時刻が同時に存在するとは考えていません。あの銀河は重力が大きいから時間がゆっくり進み宇宙誕生後百七億年たっているとか、こちらの星間雲は重力が少ないから、時間が速く進み、今、百三十八億年たっているとか、こちらの空間はほとんど物質がなく、分子がほんの少しで重力が小さいから、時間が速く過ぎ、今、198億年たっているというようには考えていません。宇宙のすべての物質(恒星、星間物質、星雲、等)は、宇宙誕生後138億年たっていると、宇宙全体を同じ時間で考えています。
また、宇宙論者のいうインフレーションは超光速で宇宙が広がります。その時も、時間の速度は、普通に進んでいると考えています。超光速だからといって時間の流れが、マイナスになったりするとは考えていません。ビッグバンでも、時間経過は、普通の通りだと考えているようです。速度によって、時間の進み方が遅くなったり、早くなったりするとは考えていません。普通の流れ、すなわち、絶対時間です。
多くの宇宙の現象も時間の流れが速くなったり遅くなったりすることは考慮されていません。超新星爆発で高速になったガスも、爆発をしないゆっくり動く小さな星間ガスも時間の流れは同じと考えています。速い物質と遅い物質が、異なる時間の流れとは考えません。こちらの物質は高速だから、時間の進み方が遅いからまだ昨日だが、こちらは飛び散る速度がゆっくりだから時間も速く進み、もう明日にいっているなどとは考えません。
どうせ、時間の進み方の違いは非常に小さいから、考慮しなくていいというのでしょうが、時刻が1日違おうが、100日違おうが、0.01秒違おうが、異時刻の物が同時に出現することはあり得ないことです。
そして現実の宇宙も、今、同一時刻にあると考えられます。太陽や、地球や、木星や月や小惑星は、それぞれ速度も、重力も異なります。そのそれぞれは、相対論からすると時間の進み方が異なります。1日では計れないほど小さな違いかもしれませんが、それが太陽系ができてから46億年積み重なると、大きな違いになるはずです。(相対論者は太陽と地球は1年で1分時間の進みかたが違うと言っています。今、太陽の時刻は、地球より46億分遅れています)ところが、今それらは同一時刻に存在しています。過去の時刻の太陽の周りを現在時刻の地球が公転し、その周りを未来時刻の月が公転しているということはありません。みんな同一時刻です。46億年間太陽系の物質の時間の進み方に違いはなかったということです。銀河系でも同じことがいえます。銀河系ができてから100億年超経っているということです。相対論によると中心のブラックホールは重力のために時間が止まっているはずです。するとブラックホールは100億年前の時刻を指しているということになります。100億年過去のブラックホールの重力が、現在の時刻にある太陽系を引き付けているということになります。相対論では、重力は光速で伝わるということです。太陽系は、銀河系中心から約3万光年ほど離れているということです。すると、太陽系に影響している銀河系中心のブラックホールの重力は3万年前に出たということになります。100億年前の時刻にある銀河中心のブラックホールを出た重力は99億9997万年前に太陽系を通りすぎたはずです。では今太陽系に影響している銀河中心のブラックホールの重力はどの時刻に出たのでしょうか。今から3万年前の時刻には銀河中心のブラックホールは到達していません。そこには何もないはずです。
相対性理論では、時間がどんなに早くても、遅くても、止まっても、物質はすべて「今」に存在します。相対論効果による時間の遅速で、時刻がどんなに異なっても、地球の存在する「今」というところに存在します。相対性効果で時間の進み方が異なり、1965年8月13時15分24秒の時刻の物質も、紀元前20年6月23日6時30分の時刻の物質も、3026年4月30日23時11分の時刻の物質も、すべて、地球の「今」と同時に出現しています。相対論効果があろうとなかろうと、「今」という絶対時刻にすべての物質は出現しています。ニュートンの絶対時間と同じ現象です。相対論効果は、物質には何の影響も与えていないといえます。すなわち、相対論で時間が伸び縮みするということは事実と異なるので間違いであるということが言えます。
相対論では、地球の「今」に宇宙のすべての異なる時刻にある物質が存在するということになります。地球が宇宙の中心ということになります。これが相対論です。しかし、ニュートンの絶対時間では、宇宙のすべての時刻は同じですから、地球中心ではありません。地球の時刻もその一部であるということになります。
(2) 観測者による時間の速度の違い
{高速で進む宇宙船の中の人から見ると,逆に地球が同じ速度で動いているように見えます。そのため,宇宙船からは地球の時間の流れがゆっくりに見え,さらに地球がちぢんで見えることになります。}
特殊相対論では時間の速度は観察者から見た時間の速度になります。地球の歴史は約46億年と言われています。この46億年は何から見た時間なのでしょうか。
観測者の速度によって時間の速度は変わってきます。したがって、基準が変わると、地球の時間の速度が変わってくるはずです。46億年経過が、30億年になったり68億年になったり、あるいは2000万年になったりするはずです。
この46億年は何から見た時間なのでしょうか。ニュートンでは簡単です。絶対時間だから、それが唯一の時間経過になります。どこから見ても同じです。
しかし、相対論では違います。太陽から見た地球の時間と、月から見た地球の時間が異なることになります。宇宙を飛ぶニュートリノから見た時間は、ほとんど止まっていることでしょう。すると、地球の年齢は1億年とかになってしまいます。生命はその間に進化しなくてはなりません。
そんなことはありません。地球誕生から、現在までの地球の経過した時間は決まっています。速度や、重力で、変化したりはしていません。
もし、地球上から見ると地球は相対的に止まっているから、止まっている時間の流れとします。すると、停止している時の基本の時間の速度があることになります。それは絶対時間ではないのでしょうか。その時間に対しtえ、速度によって、時間の進み方が変わるとしたら、やはりそれは、基本の時間の流れが決まっているということになりますから絶対時間が根底にあることになります。
相対論の計算では速度によって時間の進み方が決まっています。やはり、基本の時間の流れがあり、それに対する割合になります。やはり決まった時間の速度があるということになります。それが絶対時間になります。
地質時代を考えるときは、絶対時間で考えているようです。
ただ、地球は球体で、自転しています。地表の速度は場所によって、かなり異なります。それぞれで時間の経過も異なってくるはずです。北極の表面の地質年代と、赤道の表面の地質年代は違っていることになります。赤道は早いので、時間が遅くなります。現在の時刻は、北極の方が未来にあります。未来の地面と、過去の地面が同時刻に存在していることになります。不思議な現象です。
{宇宙船からは地球の時間の流れがゆっくりに見え}ということから、時間は見る人の速度によって、影響されるという考え方です。ではそれはどのような時間の流れから比べてゆっくりなのでしょうか。問題は、ゆっくりに見えると、地球の実質の時間もゆっくりになるのか、ということです。
見る人によって、時間が変わるというのが、アインシュタインの考え方です。{相対性理論では,光速が常に一定で変化しない一方で,従来の常識では絶対に変化しないと思われていたものが変化します。それが「時間」と「空間」です。}と述べているように、「見える」だけではなく、実際に変化する、と述べています。
また、アインシュタインは、相対性についても見え方だけではなく実際の現象だと述べています。列車と軌道の関係です。軌道を基準にすると列車が動き、列車を基準にすると、軌道が動く。どちらが動くか決められないと述べています。どちらも実際に動くと述べているのです。
このことから、さまざまな速度のロケットを基準にすると、基準が変わるたびに地球の時間の進み方が変化します。地球の時間の進み方は決められなくなります見え方だけでなく実際に変化するといのが相対論です。
たとえ話だけではなく現実でもこのことは起こっているはずです。寝ている人、車で走る人、飛行機で飛ぶ人、人工衛星の人、月を基準としたり、彗星を基準とすると、地球時間の進み方は無数に存在することになります。速度はそんなに速くないから、違いはほとんどないから無視していいということなのでしょうか。そうではありません、宇宙には、高速なものはいっぱいあります。銀河中心のブラックホールから出るジェットは非常に高速です。宇宙を飛ぶ宇宙線は高速です。ニュートリノがたたきだす電子はほぼ光速で飛びだします。加速器の中の陽子は、ほぼ光速で飛んでいるということです。
これらを基準にしたら、地球の時間はほぼ止まってしまいます。
高速で時間が進むことから、ほぼ停止するまでのあらゆる時間の進み方が地球に同時に存在することになります。これをどのように処置すればいいのでしょう。あちらを立てればこちらがたたずで、地球は大変です。とても対応できないでしょう。
もし光速で飛ぶ電子を基準にしたら大変なことになってしまいます地球の時間が止まってしまいます。時間が止まったら、地球の自転はどうなるのでしょう。24時間で1回転していたのが、時間が止まると回転できなくなります。勿論公転も止まります。困ったことになります。
遠すぎたり、小さすぎたりするのは、基準にはならない、ということでしょうか。似音源が観測しなくてはだめだということでしょうか。
では地球時間は何を基準に動いているのでしょうか。地球ができてから46億年間というのは何の速度を基準とした時間なのでしょうか。太陽の時間は何の速度を基準とした時間なのでしょうか。一日に24時間とは、どこから見た時の時間の速度なのでしょうか。相対性理論には絶対速度はありません。速度が決まらないのだから、時間の速度も決まりません。
地球ができてから46億年という時間は、どうも、絶対時間のようです。地球の自転時間も、公転時間も決定された時間のようですから、絶対時間のようです。{宇宙船からは地球の時間の流れがゆっくりに見え,さらに地球がちぢんで見えることになります。}というような現象は起きえいないようです。見えるだけで、実際は関係ないと逃げるために、このような言い回しを使っているのでしょうが、相対論は実際の現象と述べています。
P46では{ここで視点を宇宙船に移しましょう。宇宙船から見れば,光速の60%の速さでえ遠ざかっているのは地球です。これは時速100キロメートルで走っている自動車から見れば,外の景色すべてが時速100キロメートルで後方へ動いてくのと同じことです。宇宙船からすれば,動いている地球の方が時間の流れが遅くなっています。}と述べているように、実際の現象と述べています。
勿論これは変な話です。{自動車から見れば,外の景色すべてが時速100キロメートルで後方へ動いてく}というようなことは現実には起こっていません。そのように見えるだけです。外の景色すべてということは、もちろん地球全体が動いているということです。景色の中には、月も含まれます。太陽も含まれます。夜だと星も含まれます。これらが車のタイヤが回転すると、動きだすというのです。来るものエンジンのエネルギーで、地球が動くはずがありません。離れている月をそのようにして車は動かしているのでしょう。太陽は8分光年離れているということです。すると8分遅れで太陽は走り出すのでしょうか。星hなど、何百光年も離れたのがあります。どのように、車のエネルギーをつたえているのでしょうか。
月や太陽や星が動いているように見えるからといって、天動説が長く支持されていました。でもそれは間違いであることが分かっています。動いているのは地球の自転の方だけだということだったのです。動いているように見えても、実際は止めっていると考えられていた、地球の方が動いていたのです。
地球からすれば動いている太陽の方が地球を回っている、というのは間違いです。だから、{宇宙船からすれば,動いている地球の方が時間の流れが遅くなっています。}というのは間違いです。ロケットのエンジンのエネルギーで、遠く離れた地球が動きだすはずはありません。エネルギーと質量の問題と、エネルギーの伝達方法の問題です。物理的に不可能です。見え方がすべてというのは間違いです。
そこで、この本では、「・・・のように見えます」と、基準からの見え方のように書いて逃げています。見え方だけなら実際の現象とは関係ありませんから。たとえば、列車の中から見ると、外の景色が後ろに動いているように見えます。でもこれはそう見えるだけで、実際には動いていません。錯覚だけの話です。この本ではそれと同じ現象のように匂わせていますが、相対論はそうではありません。基準を列車にすると外の景色が実際に動いているというのが相対論です。私はばかばかしいと考えています。列車のモーターが回転すると、景色が動くとは考えられません。景色が動くには地球が動かなくてはなりません。列車のモーターに地球を動かすエネルギーはありません。ニュートンの運動エネルギーの法則をすべて否定しなくてはなりません。
この本でも「・・・のように見える」と「・・・になる」をはっきりさせなくてはなりません。勿論、相対論なのですから、「・・・になる」でなくてはなりません。その説明はできないでしょう。
(2)時間の速度2
ロケットの時間にしろ、地球の時間にしろ、ゆっくりにならない時の時間の進み方は、どのような速度なのでしょうか。もし、時間に決まった速度があるならば、それは絶対時間になります。絶対速度を否定している相対論に反する考え方です。
一方、時間に決まった速度がないなら、何を基準にゆっくりとか早いとかになるのかが、決定できないはずです。
地球と、ロケットが同速度の時は時間の進み方が同じになるというのは、絶対時間です。ロケットの速度と地球の速度が同じとしても、その時の時間の進み方は、決まっているのだろうか。決まっているとしたら、それもやはり絶対時間になります。
もし、地球の時計をロケットに積んだら、という条件にしたなら、その時計がその速度の正確な時間の進み方であるというのはどのように証明されるのだろうか。その時間が基準なら、それが絶対時間になる。
早いおそいがあるということは、基準の時間があるということだ。
ここには載っていないが、浦島効果のパラドックスというのがある。地球から飛び立ったロケットが、地球に帰って来た時、双子の兄弟は、どちらが年をとっているかという話だ。この時ロケットの時間が遅れて、地球の兄が歳をとっているということのようだが、問題は、ロケットの時間がいくら遅れても、帰ってくる地球の時間は現在である。ロケットの時間が10年遅れようが、30年遅れようが、ロケットは地球の現在に着陸する。どんなに過去の時間を指していても、現在に着陸する。地球時間が、絶対時間で、ロケットの時間が遅れて過去の時間になっても、進んで未来の時間になっても、着陸する所は、必ず、地球の現在である。
これは話だけではなく、相対論の証明に使う、ミューオンの時間が遅くなって過去の時刻になっても現在の地球時刻の観測器で観測されることや、太陽が、相対論効果で、時間が遅くなっても、いつも現在の地球の上空にあったり、同じく、相対論効果で月の時間が速くなって未来に進んでも、いつも現在の地球の上空に見えることなどもその例になる。相対論は必ず地球時間が基準である。すなわち地球時間が絶対時間であるようだ。
(2) 見え方と実際の現象と幻想
{高速で進む宇宙船の中の人から見ると,逆に地球が同じ速度で動いているように見えます。そのため,宇宙船からは地球の時間の流れがゆっくりに見え,さらに地球がちぢんで見えることになります。}
地球から見ると、太陽が東から昇って、西に沈むように見える。月も、星も同じように、東から昇って、西に沈むように見える。だから、昔の人は天動説を唱えた。
しかし、これはそう見えるだけで、実際とは異なっていたということになった。
観測や理論で、間違いであるということが証明された。
小さな地球の周りを大きな質量の太陽や星が回ることはできない。また、何光年以上も離れた星が、1日で、地球の周りを1回転することはできないということに気が付いたのだ。
見かけはそうでも実際の運動とは異なるということだ。見た目ではないということだ。
では、宇宙船から見て、地球が同じ速度で動いていると見えたら、やはり、地球が動いているということなのだろうか。これは、間違いである。宇宙線は、ロケットの噴射で、速度を上げたはずだ。運動エネルギーが働いたのは、宇宙船の方だ。新たなエネルギーがかからない時、物質は慣性運動をするとにゅーとんはのべた。
したがって、ロケットで速度を上げた宇宙さんはその後、慣性運動をしている。地球はロケットの力を受けていないので、速度を変化させていない。
見かけはどうであれ、動いているのは宇宙船の方だ。宇宙線の速度は地球の速度の何一つ影響しない。
この、地球が動いているように見えるという考え方は、天動説と同じ間違いを犯している。中世以前の考え方だ。
{そのため,宇宙船からは地球の時間の流れがゆっくりに見え,さらに地球がちぢんで見えることになります。}とあるが、そう見えたからといって、それが実際の現象でないのは、太陽が、地球の周りを回転しているように見えても、太陽の周りを地球が公転している事実に何の影響も与えないのと同じだ。
見え方が、実際の現象に影響することはないといえる。
(3)時間の見え方
{宇宙線の速度が速くなるほど,地上から見て,宇宙船の時間の流れはゆっくりになり,進行方向に対する縮みは大きくなります。}
これは情報が、地球に届く時の時間の違いでそう見えるだけである。情報が発信される場所が、高速の時は、距離が異なるから、情報が地球に届く時に時間差になってあらわる。それだけのことだ。実際の現象はロケットや地球の時間は同じ速度で動いている。見かけが違うだけだ。
これはドプラー効果でもみられる。波の周波数は同じでも、波に向かって進む時は波の周波数は高くなり、波と同じ方向に進むと波の周波数は小さくなる。しかし実際の波の周波数は、決まっている。
時間も同じである、観測者によって、時計の針の進む速度が異なっていても、実際の時計の進む速度が変化したわけではない。
これは、この説明が、実際の時間の遅速ではなく、「・・・に見え」と見かけだけに終始して、実際の現象には触れていないことからも分かる。
見かけで判断すると、天動説になるように、見かけで判断してはならない。
結論
アインシュタインは、そもそも、時間とはなにかが分かっていない。定義もしていない。時間は時計の針の進み方であるという、子供の考えで話を進めている。それでいいのだろうか。現在の物理学者がそんな時間の定義でいいと考えているのだろうか。