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自然界の最高速度「光速C」を超える

超光速は実現可能か(Newton10,2016)についての考察4


著者 田 敞

(以下{ }内は上記本よりの引用)

 

問題

{「真空中の光の速さは,止まっている人から見ても,高速で動いている人から見ても,つねに一定である」という「光速度不変の原理」をもとに構築されています。}

{加速器において,光速の99.975%という速度で飛ぶ「パイ中間子」という粒子から放出された光の速さが測定されました。その結果光の速さは秒速約30万キロメートルでした。パイ中間子の速さが足されて超光速になることはなかったのです。}

問題1

二つの光速度不変の原理と特殊相対性原理の関係

考察

「光の速度は光源の速度に影響されない」という「光速度不変の原理」と、「何ものから見ても光速度である」という「光速度不変の原理」は異なります。

違う原理なのですから、「光の速度は光源の速度に影響されない」という「光速度不変の原理」を証明したからといって{「真空中の光の速さは,止まっている人から見ても,高速で動いている人から見ても,つねに一定である」という「光速度不変の原理」が証明されたことにはなりません。

「光速度変の原理」という同じ名前でくくって、同一視させているようなやり方は、科学のやり方ではありません。

 

また、「超光速3」で書いたように{パイ中間子の速さが足されて超光速になることはなかったのです。}ということは相対論でなくても慣性の法則で説明できます。

この著者は科学者でしょうから、慣性の法則を説明するのは変なのですが、一応説明します。

トラック上のピッチングマシーンの中のボールは、トラックと一緒に動いています。この速度をボ−ルは保存します。これを保存するのがボールの持つ慣性質量です。ボールに何もしないで離すと、ボールはトラックと同じ速度で動き続けます。これはピッチャーが投げたボールが手を離れた瞬間の速度を維持して飛び続けようとするのと同じです。ピッチングマシーンでも同じです。ボールが投げ出されると、その時投げ出された瞬間の速度をボールは保存して飛びます。真空無重力なら、直進等速運動をします。エネルギー保存則でもあります。

地動説の反論に、地球が動いていたら、手から落としたボールは地球に取り残されて後ろに行くはずだ、というのがありました。真っすぐ落ちたのだから、地球は止まっているというのです。それに対して、ニュートンが出した答えが、この慣性の法則です。

物資は慣性質量を持っていて、運動エネルギーを保存するというものです。

ところが光は電磁波なので、慣性質量がありません。だから光源の速度を保存できません。そのために、光は、光源の速度とは関係なく、光独自の速度で飛ぶしかないのです。これが、最初の方の「光速度不変の原理」です。

この時の光は、何に対して、光速度なのか、というのが、ニュートンと、アインシュタインでは異なります。

ニュートンは、「絶対空間に対して光速度」ということです。

アインシュタインは「何ものに対しても光速度」ということです。

この時、ニュートンの方は何もしないでも、光は絶対速度になります。しかし、アインシュタインの方は、そのままでは矛盾が生じます。そこで、空間と時間を伸び縮みさせて、光が何ものに対しても光速度になるようにしたのが、「特殊相対性理論」です。

「光の速度は光源の速度に影響されない」という「光速度不変の原理」はそれだけでは特殊相対性理論にはなりません。「何ものに対しても光速度」という「光速度不変の原理」方が肝心なのです。

何故、肝心な方の原理と異なる原理の説明にほとんどを費やして、肝心な方の説明をしなかったのでしょうか。原理の違いを理解していないのでしょうか。それとも、「何ものから見ても光速度である」という原理は、説明も、証明もできないからなのでしょうか。

そうなのです。まだ、この「何ものから見ても光速度である」という原理は証明されていません。また科学的方法で信頼される実証もありません。

 

問題2

{その結果光の速さは秒速約30万キロメートルでした。}

 これは、何に対して{秒速約30万キロメートルでした。}のでしょうか。本当に観測者に対して光速度が実測されたのでしょうか。

考察

 もし、この時の光が光速度なら、「光は何ものに対しても光速度である」ということの実証になります。動いている地球上の観測者に対してなのですから。ところが「約」です。

何故「約」なのでしょうか。肝心な時に「約」では科学ではありません。

約30万キロメートルということですが、言われている実際の光の速度299792458m/秒との差は、207542m/秒もあります。

これは地球が宇宙空間を飛ぶ速度の6割程度です。加速器のある場所の自転速度や、太陽に対する公転速度を加味しても、この30万キロメートルの「約」として切り捨てられた速度の誤差の中に入ってしまいます。

このことから、この現象によって、光が、地球に対して光速度であるか、絶対空間に対して光速度であるのかの判定はできません。そのためには厳密な測定が必要です。{秒速約30万キロメートル}では何の証明にもなりません。

したがって、この光の速度が、{「真空中の光の速さは,止まっている人から見ても,高速で動いている人から見ても,つねに一定である」という「光速度不変の原理」}によっているとはいえません。ひょっとして、光速度ではなかったから「約」として、面倒な部分は切り捨てたりして。

問題3

「パイ中間子」と「そこから出た光」の速度の関係

考察

{「真空中の光の速さは,止まっている人から見ても,高速で動いている人から見ても,つねに一定である」}ということは、パイ中間子から出た光は、パイ中間子に対しても、光速度でなければならないはずです。ところが、「パイ中間子」と、「パイ中間子」から放出された光との離れる速度は光速ではありません。光速の、0.025%にしかなっていません。何ものにも光速度であるということと異なります。なぜパイ中間子に対して光は光速ではないのでしょうか。その説明がありません。

これは高速で飛ぶ「パイ中間子」の時間が相対論効果で遅くなったことから来る現象なのでしょうか。そうすると、パイ中間子を観測している人にとって、パイ中間子の速度も遅くなってしまうことになります。外部の観測者の1秒に対して、「パイ中間子」の時間が0.1秒しか進まないとしたら、見ている外部の人にはパイ中間子の速度も10分の1になってしまいます。1秒で、約299043kmで飛んでいる「パイ中間子」は、0.1秒では29904.3kmしか飛べません。外からの観測者はこれを1秒で見ているのだから、速度は、29904.3km/秒に見えるはずです。

 外部から見ると、光速の、0.025%で離れている光が「パイ中間子」から見ると、光速の100%になるなら、「パイ中間子」の時間の進み方は極端に遅くならなくてはならないでしょう。すると、外部からそれを観測している人から見ると、「パイ中間子」の速度は非常に遅く見えるはずです。

ところが高速で飛んでいます。

 どうもつじつまが合いません。

問題4

「パイ中間子」と「特殊相対性理論」

考察

上で述べたように、光速で飛ぶ「パイ中間子」の時間は遅くなっているはずです。これを観測している人から見ると、パイ中間子はゆっくり進んでいるように見えるはずです。ところがそうはなっていません。

 もし、見えている速度がゆっくり進んでいる速度だとすると、実際の速度は、光の速度を超えていることになりますから相対論の「何ものも光の速度を超えられない」に反します。

 また、パイ中間子の時間がゆっくりになり、パイ中間子が、ゆっくり進むと、その速度はゆっくりなのだから、時間の進み方は速くなることになります。すると、その速くなった時間に合わせて、パイ中間子の速度が速くなります。すると、パイ中間子の速度に合わせて、また時間が遅くなります。すると、その時間に合わせてまた速度が上がります。原因と結果が、連動して、速度も時間も、際限なく遅速を繰り返します。おかしな現象です。

 まあ、矛盾だらけの話です。そこが、相対性理論の素晴らしさということなのでしょうか。でも、変なものは変です。

問題5

{加速器において,光速の99.975%という速度で飛ぶ「パイ中間子」という粒子}

を「相対性」で考える。

考察1

光速で飛ぶロケットから見ると、地球が動いているように見えるという特殊相対性理論の主張から考えると、「パイ中間子」から見ると加速器が光速の99.975%という速度で飛ぶように見えるはずです。そして、相対論ではどちらが正しいと決めることができないということです。

加速器は地球に固定されているので、地球が光速の99.975%という速度で飛ぶことになります。月や太陽を置いてきぼりにするわけにはいきませんので、月や太陽も、光速の99.975%という速度でとぶことになります。そうしないと、地球は太陽系から飛びだしてしまいますから。もちろん星もそうなります。地球だけ銀河系の中を勝手に飛ぶわけにはいきませんから。

「パイ中間子」から見ると、宇宙全体が光速の99.975%という速度で飛ぶことになります。

不思議な現象です。天動説です。こんなことは実際には起こっていません。

列車の窓から外を見ると、景色が動いているように見えます。でも実際には、見えるだけで実際の現象ではありません。錯覚という現象です。列車のモーターのエネルギーで、地球が時速100kmや200kmで動くはずはないのです。ところがそれが動くというのが、相対性理論です。不思議な考え方です。

昔太陽や月や星が東から昇り西に沈むのを見て、天動説が信じられていました。それが地動説に変わりました。ところが、アインシュタインによって、それがまた天動説に変わりました。科学者は何の疑問も抱かずにそれを信じています。不思議な現象です。また中世の科学に戻っています。

考察2

上に述べたように、相対論では、「相対性」ということも原則の一つです。すると、観測者によって対象の速度が変わります。地球に停止している人から見ると、トラックの速度は時速60kmですが、トラックと同方向に時速50kmで走る観測者から見ると、トラックは時速10kmになります。反対方向に走ると、トラックの速度は時速110kmになります。

観測者の速度によって、トラックの速度は、どのような値も取ることになります。そしてそのどれもが正しいのです。

同じように、「パイ中間子」の速度も、観測者の速度よって、どのような速度にもなります。観測者が光速の99.975%という速度で同方向に飛んでいたら、「パイ中間子」の速度は0m/秒になってしまいます。

相対論の「相対性」とはそういう法則のはずです。ところが、この本では、「パイ中間子」の速度は光速の99.975%と決まっているように書いてあります。ではそれは何に対しての速度なのでしょう。観測者に対してでしょうか。観測者に対してでは、上に書いたように値は決定できません。このパイ中間子の速度は、地球に対してでしょうか、月に対してでしょうか、太陽に対してでしょうか。相対論ではそれぞれで「パイ中間子」の速度は変わってきます。

しかし、実際は、「パイ中間子」の速度は決まっているかのように書いてあります。これは、アインシュタインが否定したニュートンの絶対速度です。

ニュートンでは、パイ中間子の速度は絶対速度です。他の物、地球上の観測者にしろ、太陽にしろ、月にしろ、絶対速度です。したがって、パイ中間子の速度はそれぞれの物に対して、相対速度を持ちます。相対速度はそれぞれで変化します。相対速度が変化しても、パイ中間子の絶対速度は変わりません。

しかし、相対性理論では違います。観測者によって変化した速度がパイ中間子の速度になるはすです。(相対性は、絶対空間が存在しないから基準か決められません。だから、基準によって速度が変わります。これは、基準が変わると相対速度は変わるけれど絶対速度は変わらないというニュートンとは異なり、基準が変わると、速度そのものが変わるというのが相対性です)

しかし、ここでは、パイ中間子の速度は決まっているようです。速度が決まっているということは、相対性ではなく、絶対速度を認めたということです。特殊相対性理論では絶対速度は光だけです。便利だからといって、否定した理論をちゃっかり導入するのはいかがなものでしょう。

 

問題6

「相対性」と「特殊相対性理論」の関係

考察

 物の速度が相対的であるなら、その速度によって決まる時間の速さや物質の縮む率も、相対的になります。{宇宙船からは地球の時間の流れがゆっくりに見え,さらに地球がちぢんで見えることになります。}とあるように。

物質の、速度も、時間も、縮み方も、観察者によって変化し、何一つ決まらないということです。われわれの時間も観測者次第で、早くなったり遅くなったりするということです。そうでしょうか。そんなことはありません。観測者がなんであろうと、地球ができてから、46億年たっています。観測者によって、これが、50億年になったり、15億年になったり、500年になったりすることはありません。宇宙を光速で飛ぶ宇宙線を基準にすると、地球は光速で飛び、時間は極端に遅くなります。地球ができてから、500年くらいしか経ってない、ということになります。それでは、生命は進化できません。それどころか、地球は、最初の衝突の熱が冷めきらず、熱すぎて生命どころではないでしょう。

 地球の歴史上の時間は絶対時間です。もちろん太陽系の歴史時間も同じように、絶対時間です。インフレーション宇宙論でも、宇宙の歴史は、138億年と絶対時間で考えています。私たちの一生も、やはり絶対時間で考えています。

 この現実世界の現象は、すべて絶対時間で過ぎて行くと考えられます。相対論では、太陽の年齢は、相対論効果で、地球より数千年若くなるはずですが、そんなことはありません。銀河系の中心のブラックホールは重力のために相対論効果で、時間が止まっているはずです。すると、100億年前にできた時の時刻のままです。今銀河中心のブラックホールの年齢は38億歳です。100億年前のブラックホールの重力が太陽を引き付けているということです。異時刻の物が同時に存在しているということになります。矛盾です。ニュートンの、絶対時間で考えると、このような矛盾は一切生じません。

 

結論

相対性理論は、何ともまあ矛盾だらけなことか。それが常識を打ち破った、「特殊相対性理論」の素晴らしいところなのでしょうが、理屈は素晴らしいのでしょうが、事実とは相いれません。