空いっぱいに蝉時雨第8章の1
   ある日、シモーンの家に、警察から来たと、人がやってきた。
「シフスさんは、あなたのお子さんですね。」
「ええ。」
「ご在宅ですか。」
「いいえ。」
「そうですか。最近何か変わったことはありませんでしたか。」
「いいえ。別に。」
「今、どこにいるかご存じですか。」
「さあ、最近は、あまり連絡もないものですから。」
 シモーンは平静を装って答える。
「そうですか。もし何か連絡でもあれば、こちらに連絡をお願いできますか。」
 男はカードを差し出す。
「ええ、それはよろしいですが、シフスがどうかしたのですか。」
「いえ、大したことではないんです。彼の友人のことで、少しお聞きしたいことがありまして。」
 そして、挨拶もそこそこに帰っていく。その後ろ姿を見送りながら。シモーン は、はっとする。ここ何日か前から、家の周りでよく見かけた後ろ姿。
 ずっと見張っていたんだと思うと、シモーンの胸は暗澹となる。
 「友達のこと。」その言葉にすがろうとするが、そんなわけはないことをシモ ーンは知っている。だけど探しているということは、生きているということ。 「生きていてくれさえすれば。」シモーンは思う。

 そんな数日後、突然カホリが帰ってきた。
「ごめんなさい。すぐ来ようとは思ったのだけど。」
「疲れたでしょ。」
「大丈夫。それより、なんだかおっかなかったのよ。変な人が後を付けているよ うでさ。そのときは、どっかで見たことある感じがしただけで気にもしなかったのよ。そしたら、空港でもあたしのこと見てんのよ。それで思い出したの。カナダでも、家の周りうろついてたのよ。」
「どんな人。」
「四十前後で、スペインかポルトガル地方の血が濃い顔立ちね。私に気があるのかしら。それならそう言えばつきあったげるのに。」
「そうしたら。」
「いやよ。声一つかけられない人なんて。」
「あらそう。そんな人にもいい人いっぱいいるわよ。」
「そうかしら、暗っぽいのって大嫌い。」
「変わらないわね。」
 カホリはソファーに座って足を投げ出す。短いスカートから足がすらっと伸び る。
「そんな格好してるからよ。」
「あら、似合ってるでしょ。」
「かわいいわ。」
「ありがとう。ねえ、イーシャ大丈夫なの。」
「今、眠ってるの。このごろ少し昼寝してくれるので助かってるの。」
「おきてるうちはなんにも出来ないのよ。」
 思わず愚痴が出た。
「そうよね。私に出来ることある。」
「そうね。別に何もないわ。大概は介護ロボットがやってくれるから。」
「いいのよ。遠慮しなくても。」
「私がそばにいないと、寂しがったり、不安がったりするからそばにいてやるだけなのよ。」
「わあ、大変だ。いつも起きてる間中そばにいるの。」
「まあ、だいたいはね。」

   それから、二人はしばらく昔の話に花を咲かせる。ここ数ヶ月話をしなかっ た会話への飢えが吹き出たように、シモーンは話す。
「ねえ、兄さん、テイオウに関係があるんじゃないの。」
 話が一段落したところでカホリが何気なさを装った顔を創っていう言う。
「どうして。」
「ほら、さっき話したでしょ。変な男のこと。私、警察の人じゃないかと思う の。兄さんのこと聴いてたって、近くの人が言ってたことあったの。」
 それから、少し迷って。
「兄さん、前にテイオウの話したことあったの。一年ほどになるかな。」
「心配することないと思うけど。」
 あわてて付け足す。
「お母さんも聴いたは。でも、違うわよ。シフスは人を殺したり出来る子じゃ ないわよ。臆病で、優しいもの。」
「そうよね。私もそう思う。」
 二人は黙り込む。
「連絡が取れないのよ。」
 カホリが小さく言う。
「あのことがあってから、何度も電話したのよ。繋がらないのよ。ここへくる前に 家にも寄ってみたの。あの日以来帰ってこないって。警察の人が見張ってて、家 に入れてくれないの。妹だって言ったら入れてくれたけど、何も触っちゃだめ だって、ずっと見張ってるの。」
 最後は泣き声になる。
 だからここへ助けを求めてやってきたと、シモーンは思う。二人はとても仲 が良かったから。
「大丈夫よ。きっと関係ないわ。」
「捕まったら死刑になるの。」
「大丈夫よ。人を殺したりしないは。」
「でも、みんなは全員死刑にしろって騒いでるでしょ。」
 最近、彼らにだけは死刑を復活させなければならないという主張が様々なマ スメディアで喧伝されていた。殺された人たちの住む町ではデモまであったという。
「そんなことは出来ないはずよ。それにそんな野蛮なこと、誰が許すものですか。」
 シモーンもそのことに関しては、いろんなニュースを集めていたので、そう いう世論の動きは知っていた。
「それに、シフスがテイオウの仲間だと決まったわけじゃないでしょ。」
「そうね。」
 二人は黙り込む。
 そのとき、小さく音楽が聞こえてきた。静かに、優しく。
「イーシャが起きたは。」
「えっ。」
「起きるとこの曲が鳴って、明かりがつくようになってるの。」
「昔の曲ね。」
「そう、大昔。まだ人が作曲していた頃の。」
 言いながら、壁のオレンジの光に手を上げる。その光がふっと消え、イーシャ が映る。
「便利になってるのね。」
「でも、あまり使わないわ。勘で分かるようになったの。」
 二人はイーシャの部屋にたっていく。

 イーシャは、シモーンの顔を見ると笑みを浮かべた。そしてすぐ顔がこわばっ た。カホリに気づいたのだ。
「イーシャ、姉さんが来てくれたのよ。」
「イーシャ、ただいま。どう調子は。」
 イーシャは、ベットの上で後ずさりする。
「すごく人見知りするの。このごろ私以外の人と合わないから。」
「忘れたの。カホリよ。姉さんよ。」
 カホリは、ベットの脇に近づいて手を差し出す。イーシャは、びくっとして壁際までずり下がる。
 カホリは悲しそうに、手を引っ込める。
「起きたばかりだから。」
 シモーンは取りなすように言う。
「すぐ思い出すわよ。」
 カホリは明るく言う。
 遠い昔のことを、イーシャが思い出せる日が来るのかしらとシモーンは悲しく なる。
 イーシャは救いを求めてシモーンを見ている。
「私あっち行ってるから。」
「すぐ慣れるわよ。」
 シモーンの言葉にかまわず、カホリは、
「後でね。」と、イーシャに手を振って部屋を出た。
 イーシャは、すばやくシモーンの影に隠れてカホリの後ろ姿をのぞき見る。カ ホリが出ていったのを確かめると。シモーンから離れ、せかせかと歩き回る。
「興奮している。」
 病院で襲われたときのことが、瞬間脳裏をよぎる。シモーンはあわててそれを 否定する。
「イーシャ。」
 イーシャはなんの反応も示さない。ただ、部屋の壁から壁へ歩き回る。それも ドアから一番離れたところを。
「イーシャ、カホリ姉さんよ。怖いことはないのよ。」
 イーシャは反応しない。言葉の意味は分からなくても、最近はシモーンの声に 聞き耳を立て、喜びの表情をするようになっていたのだが。
 シモーンは、それでも話しかける。イーシャはいつまでも歩き回っている。
 シモーンは、いつの間にかシフスのことを考えている。
「本当に仲間なのかしら。そうだと死刑になるかもしれない。いえ、シフスは人 を殺せるような子じゃない。」
 そう思いたいと思う。不安ばかりが大きくなる。    

(8章の1おわり、8章の2に続く


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『妹空並刻』