空いっぱいに蝉時雨第6章の1
  長男のシフスは、ニューヨークで暮らしている。全体が歴史博物館のような町に、どこが気に入ったのか、もう二年近くいる。
 シモーンも昔行ったことがあったが、古いビルが林立し、コンクリー トの谷間のような町は、特別な興味を引かなかった。何百年か前に、そ こが世界の中心だったというだけで、よくこんな所に人が住めたものだと思ったことくらいが感想だった。
「宝探しだよ。」
 シモーンの問いに答えて、シフスが言ったことがあった。
「宝探し。」
「そう、宝探し。」
 シフスの明るい声を思い出す。ダイヤが、ビー玉工場のビー玉のよう に機械の中から溢れ出たときから、いや、金銭なる物がなんの意味も持 たなくなった時からか定かでないが、それと前後して、宝物という物は子供にさえ通用しなくなったものなのだが。
 冗談が好きで、冗談の固まりみたいな子だからと、シモーンは笑った。 そんなだから、ティーチングだって、受ける振りだけして、さっさと逃 げ出した。
「肥満体の頭なんて魅力零だね。せっかくの八頭身が、五頭身なんて事 になったら彼女もできやしない。」
 そんなこと言って。だけど、本当は子供の頃から、注射一本打つのさ え大騒ぎで、一日、床下に隠れていたことさえあるのだから。
 そのシフスもさすがに黙り込んだ。
「すぐ行くから。」
そう言って電話を切った。
 意識のない弟に会いに来たってと、シモーンは涙ぐむ。長女のかほり も帰ってくる。こんな時にしか集まらなくなった。

 シフスは、ベットの脇に呆然と立っていた。イーシャはベットに 座って、おびえたようにシフスを見ている。イーシャは、自分で動ける くらいには回復していた。シフスはイーシャに語りかける言葉を失って た。
「いつから。」
「もう二月になるかしら。」
「まいったな。」
 シフスは無意味につぶやく。
「だから、いわんこっちゃない。みんなと同じだ。終わりだ。」
「そんなことないわよ。みんな一生懸命治療法考えているから。」
「無理だ。改造された脳味噌なんてなんの役にもたちゃしないさ。テイ オウの端末機にすぎないんだぜ。」
 語気が荒い。
「テイオウってなに。」
「南極にある、メーンコンピューターさ。あいつが考えつくことは修理 さ。せいぜいその程度なもんだ。」
「あいつは、俺たちを端末機と同じだと思ってやがる。それも、かなり 旧式のやつだというわけだ。改造して、できなければ廃棄するというつ もりなんだぜ。修理する気さえないぜ。」
「まさか、シフス、考え過ぎよ。」
「そうありたいね。」
「だって機械でしょ。」
「そう、機械だよ。俺たちの生活すべてを知って、支配してるね。」
「今話してることだって、この、化け物みたいに何でも出してくる部屋 や、あのロボットを通してあいつにつながってやがんだ。いや、この部屋や、あのロボットがあいつの体の一部なんだ。ティーチングした頭だ って、本人が知らないだけで、あいつの一部なんだぜ。」
「そんなことないわよ。ただ便利にするために、人間が全部自動にしたのよ。コンピューターが悪意で便利な部屋を作った訳じゃないわ。」
「そりゃそうさ。あいつは機械だから、人流の悪意なんてないさ。ただ 計算し、反応するだけさ。」
 ニューヨーク。歴史博物地区。文明拒否者が住む町。ティーチング拒否者が住む町。メーンコンピューターをテイオウと名付け、それを破壊 しようとするグループが住むといわれている町。彼らの聖地。シフスもそこに住む。
「ぎせいしゃさ。」
 シフスはイーシャの手を取ろうとする。イーシャはびくっと手を引っ 込める。
「機械は所詮機械さ。人の脳も、自分と同じように、必要なところに必 要な情報を打ち込めば事は足りると思っていやがる。人間の脳は情報の集積回路じゃないんだ。」
 シフスはゆっくり部屋を出る。シモーンはその後に付いていく。
「あいつから見れば、俺たちは、容量の小さい、めちゃ旧式の端末機に しかすぎないのさ。全人類あわせたって、新式の一台分にも足りない。」
 シモーンは、シフスの広い肩を見る。昔、家を出るときにはほっそり していたのに、今はその肩は筋肉で盛り上がっている。それは、見る者 を思わず後ずさりさせる。闘争のにおい。
 ママ、ママ、と、甘えていたのがこの前のことなのに。
「シフス。」
 シモーンは呼びかける。
「あなた、何か怖いこと考えてるでしょ。」
「別に、なにも。」
 シフスは、困ったような顔をして振り返る。いたずらを見つけられたとき、いつもそんな顔をしていた。
「話してちょうだい。」
「大したことじゃないよ。」
「それより、イーシャをあんなふうにしていていいのかい。」
「あんなふうって。」
「機械に面倒見さしてさ。」
「他に仕方ないのよ。」
「あれじゃ、かわいそうな気がするな。」
「大丈夫よ。必要なことはお母さんがしてあるから。」
「それはそう思うけど。機械ってのはどうも馴染めないな。」
「お母さんだってそうよ。しかたないのよ。」
 シフスは、何か言いたそうにしていたが、黙って次を待つ。
「イーシャに人生があるように、私にも人生があるのよ。私の人生を全部イーシャにかけたら、いつか二人で死ななくちゃならなくなるは。少 し大げさね。でも二人とも今よりもっと苦しくなると思うの。これから何年かかるか、何十年かかるかわからないから、できるだけ負担を軽く しなくてはだめなの。本当に必要な事だけで折り合わないと。それだけでも苦しいのよ。ひょっとしたら、私が死んだ後もイーシャはあのまま かもしれないし。」
「今、世界中で、何億人もがあの機械のおかげで人間とおさらばだ。そのほかのやつだって、恐怖の中でのたうってやがる。機械と競争したっ て勝ち目があるわけないだろうに、英知こそ人間だなんて宣伝に乗せら れて、哀れなものだ。テイオウと競争したって、勝負になりっこないのは 分かり切ってるのに。たかだか、人間にしかすぎないことをわきまえればいいんだ。それを、テイオウより偉くなれるなんて信じて。テイオウの力に何もかもおんぶしているくせに。わかってるのかね、本当に。ばかな話さ。」
 シモーンには話が分からない。ただ彼の興奮だけが伝わってくる。シ フスの身体からにじむ恐ろしさ。彼は憎んでいる。
「だけど、ティチングマシーンは、みんなの頭が良くなるようにってい うので、政府が作らせたのでしょ。」
「いや、違うね。みんな信じ切っているけどね。あの、テイオウを動かせる人間なんてどこにもいないんだぜ。人が考えつく前にテイオウが全部考えつくんだぜ。」
「だけどテイオウは人が作ったんでしょ。」
「そうさ、最初はな。だけど、あいつに、自己改造のシステムを組み込んだのが間違いの元だ。あいつは人と関係のないところで、勝手にどん どん膨れちまいやがった。その上にだ、あいつの元々の役割が、世界戦争の阻止システムだったから、誰も悪用できないように、外部からの人 の命令をいっさい遮断できるような防御システムがついっていることなんだ。早い話、人はどんな手段を使ってもあいつに手出しできないようになってるんだ。ばかな物を作ったもんだぜ。」
「だけど、役立ってるでしょ。あれがなければ人は暮らしていけないで しょ。」
「そうだよ。あいつがなければ、パン一個作れやしないんだからな。ばかな話さ。人は、自分の手で自分を食わせるべきなんだ。それをあんな奴に頼って、食っちゃ寝を決め込んでやがる。みんな腑抜けだ。誰かが目を覚まさせてやらなくっちゃ気が付きもしない。」
「大概の人は、物事の裏を見るのを陰険だって嫌うだろ。だけど事実は事実なんだ。表だけ見て、きれい事並べてはいよくできましたで済んでるうちはいいよ。だけど気が付いたらこのざまだろ。誰かが事実を話さなきゃだめなんだ。もうきれい事いってる場合じゃないんだ。」
「でもそれが事実かどうか分からないじゃない。今まではうまくいって たんだし。」
「そう思いこんでただけさ。昔はあれはただのコンピューターにすぎなかったかも知れないさ。だけど今は違う。得体の知れない怪物になってる。」
「なぜか分かるかい。それは、俺たちが自分の力で生きていくことをやめたからなんだ。すべてをコンピューター任せにしたからなんだ。そこであいつが俺たちに変わって生きだしたんだ。人は自分を形成することまであいつ任せにしたんだぜ。あいつはテイオウになるしかなかったんだ。」
「そんなことないわ。手に入れたのは知識だけよ。心まで機械任せにし たわけじゃないわ。」
「いや、そう思ってるだけさ。心はその知識の総体なんだから。」
「違うわよ。知識は愛を生まないは、優しさも憎しみも。」
「そうかな。毎日のんべんだらりと暮らしていてさ、何一つ人間 らしいことやらないじゃない。それじゃ、生まれて、食って、死ぬだけだろ。」
「他の人のことをそんな風にいうものじゃないのよ。誰も十把一からげの人はいないのよ。みんな、かけがえのない、自分だけの人生を生きているんだから。」
「なら、もっと大切に生きたらいいんだ。そうじゃない。みんなあまり に下らなさすぎるよ。」
「そんなことないわよ。人のことは分からないものなのよ。ひとにはひ とのやり方があるんだから。」
「そんなのあるわけないじゃない。みんなテイオウの思うままで。のん びり、ぐうたら、楽しみばかり追っかけてる。そんなだからこんなこと になったんじゃない。努力しないで何でも手に入れようとしたからさ。 額に汗しないで得たものなんてなんの意味もないのさ。」
「そうね。私も働くの好きじゃないから。でも、無理やり働かなくちゃ ならないのも悲惨よ。自由に選びとる事のできない人生こそ十把一絡げ の人生よ。」
「働くことをそんな風にとるのはよくないな。働くってのは、自分が生 きてくために自分の力を振り絞るって事だと思うな。その苦しみが人生 そのものじゃないのかな。それが人間をより高見へ押し上げていく原動 力になるんじゃないかな。」
「そうかもしれない。でも、だからといって、苦しみを賞賛してはいけ ないわ。苦しみは苦しみにしかすぎないことが多いものよ。」
「そりゃそうさ。僕だって苦しみを賞賛しているわけじゃないよ。ただ 今の世界が、何一つ人間の手でなされていないのが頭にくるんだ。全部 機械任せで、人はほんの少しお茶を濁す程度さ。自分の手で作ってこそ 本当の喜びがあるはずだ。昔は食べ物だってなんだってみんな自分で作 ってた。そうしなければ生きていけなかた。生きるために働く、これこ そ人間の姿だよ。その中に、喜びや悲しみや苦しみが詰まってた。そう 言う喜びや悲しみこそ、本当の喜びや悲しみだと思うんだ。それがなん だ、あのサイコビジョンてのは。寝ころんでいて、恋したくなれば、は いクリック。スポーツだ、それクリック。遊びだ、はいクリック。スイ ッチを押しさえすれば、出前一丁、フルコースで経験させてくれる。最低だね。己がないよ。テイオウに管理されて。あれじゃ、テイオウの意 志にすぎないじゃないか。こんなことしてたらみんな骨抜きにされて軟体動物になっちまう。それからじゃ手遅れだぜ。今、もう一度、自分の力で大地を耕す生活を取り戻すのさ。人が、人の手で生きていくようにするのさ。」
 それはそうかもしれないとシモーンは思う。
「自分の手で生活することができるかしら。」
「つい、五、六十年前までは少なくとも半分くらいはそうやっていたって聞くぜ。お母さんの生まれる少し前だろ。」
「そうね、そんな話をよく聞かされたは。本当に大変だったって。」
「人は、何十万年もそうやって暮らして来たんだぜ。俺たちにできない ことないんだ。」
「そりゃ、働くことはできるでしょう。だけど誰が、牛や豚を殺すの。 シフス、食べられる。食べ物は皆生き物になるのよ。」
「食べられるよ。それが自然なんだから。」
「自然は理由にならないは。私は、動物の肉なんか食べられない。」
「大丈夫だよ。今の肉だって、元々、それに似せて作ってあるんだから。 すぐなれちゃうもんだよ。」
「おう、気持ち悪い。」
「気持ち悪がることないと思うけどな。人だって、動物なんだから。本来そういう本能が備わっているんだから。」
「殺して、食べること」
「そういえば残酷に聞こえるけど、そういうこと。」
「自然の摂理だよ。生きていくのは、すべて他の命の犠牲の上に成り立 っているんだから。人は別になっちゃってるけど。本来それがアメーバーから人までの進化の原動力だったし、これからだってそうだろうと思 う。戦いとることが進化の源動力だったのに、それを拒否したらおしまいだろうに。」
「殺さないで暮らせるなら一番いいじゃないの。」
「そりゃそうさ。だけど、その結果がこの有様さ。生きる価値を見失ってる。ほしいものは、思うだけで何でも手に入る。何一つ価値あるものがなくなってしまった。愛も、優しさも、色あせた服のように捨てられてしまった。夢も、希望も、正義も、みんな戸棚に放り込まれて、それっきり だ。」
「そんなことないわよ。捨てたのは欲望だけよ。後は何でも持ってるは。 みんな大切に。」
「そうかな。大事に持ってるのは、ティーチングマシーンやサイコビジョ ンだけじゃないの。」
「それだけじゃないでしょ。」
「そうだよ。お母さんは違っても、みんなはそうだよ。命取りだぜ。あ いつの陰謀なんだ。人類史上最大の敵だぜ。人類が初めて、知能を持っ た奴と戦うのに、敵がだれだかもはっきり分かってないんだから。攻撃 されてるのさえ知らないんだ。もう人類の三十パーセントを失ったんだぜ。歴史上のどの戦争だってこんなに多くの犠牲者を出したことは無いんだぜ。その上、今年中に後三十パーセントは確実だ。来年どれだけ残れるか分かるかい。それでもあいつが人類の敵ではないのかね。皆の気がしれんよ。 そうなんだ。本当の敵が誰だか、人はいつも騙されてきたんだ。本当の ことを知ってる奴はいつだって抹殺されてきたんだ。黙ってやられはし ないぜ。」
「そんなのだめよ。」  シモーンは思わず叫ぶ。
「イーシャをこんなにした奴を黙ってみているのかい。」
「何か飲みたいな。」
 シフスは、もうその話には二度と乗らなかった。そして、二日ほどしてニューヨークへ帰っていった。

 

(6章の1おわり、6章の2に続く

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『妹空並刻』