空いっぱいに蝉時雨第3章の4
   緊急のチャイムが鳴る。シモーンがこの病院へ来て初めて聞くチャイム。 誰もがその音に驚き、誰もがその意味を理解できない。
「職員の方は近くのモニターにお集まりください。」
 院長の声がする。シモーンが、控え室のモニターの所に行くと、もうそこ には何人かの同僚が来ていた。
「なんなの,こんなの初めてよ。」
「あのことじゃないの、ほら、昨日はネーションさんが倒れたっていうじゃない。」
 一人が答える。シモーンはみんなのひそひそ話す声を聞いている。
「あなた、受けた。」
「受けたわよ。だって。」
「私も。」
「ひどいじゃない。」
「大丈夫よ。ティーチングじゃないわよ。原因はほかにあるのよ。最新の技術で絶対害はないって保証してたでしょ。」
 立体モニターに、院長の映像が浮かぶ。
「今日お集まりいただいたのは、みなさまもお気づきの、新しい患者たちのことです。現在の所、原因も、治療法も暗中模索の状態ですが、昨今治療法 は発見されることと信じております。しかし、現在の所、状態は、当病院の看護、治療能力をはるかに越えているのも否めない事実です。この状態がし ばらく続くことを考慮していかなくてはなりません。
 私たちがモットーとしていました、人間による治療、看護ももはや限界に達したことを認めないわけにはいきません。
 どのように機械化されようとも、人間は、人間との関係の中にこそ生を見 いだすという、当病院の信念は変わらないことを信じております。
 当病院が、今日まで、人の手によって運営されてきたことに感謝いたします。これは、みなさまの多大な努力のほかありません。しかし、これ以上を 望むことは許されません。今日より、順次自動化して行きたいと思います。最終的には、完全な自動管理になります。
 計画書を送りますのでモニターからお取りください。意見のある方は意見 をお願いします。」
「病気の原因はわかっているんでしょ。」
 どこか別の部屋から興奮気味の質問が出た。
「わかっております。ただ、それは憶測だけにしか過ぎないのです。あなたもそれはおわかりだと思います。何らの確証もつかめないのです。」
「知ってますよそれくらいのこと。世界中のどの医師も、医療チームも何一 つ答えを持っていないのは。だからといって、手をこまねいているわけには いかないでしょう。どう考えてもティーチングが原因としか考えられないで しょ。」
「そうですそうです。だけど、どうやって元に戻せばいいんです。世界中で その問題に取り組んでるんですよ。もし出来たとしても、それで一度いじら れた脳が元に戻るとは考えられないでしょ。換えってダメージを大きくしな いともかぎらないし。」
「確かにその通りです。だけどやってみるしかないでしょ。このままでは全滅でしょ。」
 話に気を取られて、院長の顔から汗が噴き出しているのに誰も気がつかな い。
「いや、それは大丈夫です。ティーチングしていない人もかなりいます。そ れに,今から産まれてくる子供たちは大丈夫です。」
「ティーチングしてない人って、いるんですかそんな人が。赤ん坊だって、 誰が育てるんですか。」  
「そんなことじゃないでしょ。われわれティーチングした者がどうなるかの問題でしょ。」
 話はそこまでだった。院長は机に顔を伏せた。そしてゆっくり床にくずお れていった。自動カメラが、その姿を追っていく。
「発作だ。」
 誰かが叫んだ。みんな、一斉に走り出した。

 数日後、シモーンは院長に言われたボタンを押してみた。それは、あの後 誰もが目を通した病院の改革と同じものであった。ただ違うのは、実行キー がついていたことだけ。
 シモーンは、キーを押した。
 この後、何年も、何十年も、いやひょっとしたら何百年も、静かに、清 潔に、音ひとつたてないロボットたちの手で、病院は患者を迎え、治療し、 送り出すだろう。いや、ずっと迎えるだけで、送り出すことはないのかも知れない。

  人々は、事態の重大性に気づき始めていた。あちこちで騒ぎが持ち上がろ うとしていた。噂は入り乱れて、電光のように飛び交っていた。
 世界中の人々が、恐怖に震え上がり、世界中の医師や学者が(といっても、 学者か、患者以外はいないのだが。どこかにひっそりと、ノンティーチングのひとびとがほんの少しいたが)
 研究を続けても答えは出てこなかった。 メーンコンピューターは何一つ答えない。そして、誰も、この病気のことに 関しては、ティーチングされていない。創造することができない千年も前の コンピューターのように、インプットされていないことは決して出てきはし ない。どんなに研究しても、自分たちの力は、インプットされたものを一歩 も出ないことにだれもが気がつき始めた。しかし、だからといって、諦めるわ けにはいかない。
 絶望が、澱のように沈殿していった。

不安が世界の中心になったまま日が過ぎていく。病院が完全に自動化された後も,何回か,決められた日に出かけたが,何もすることがないのでそのうち行かなくなった。頼むという言葉が引っ掛かりではあったが,音もなく動く介護ロボットの間で働く不安には耐えられなかった。
 ついこの前まで,誰がこんな事態を想像しただろう。快楽と,永遠の命を求めていた人たちが、今,いつ訪れるかも知れない知性の死の影に怯えている。古今東西,森羅万象を知り尽くした人たちの足元が腐り始めている。

 

(3章の4おわり、4章の1に続く


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『妹空並刻』