緊急のチャイムが鳴る。シモーンがこの病院へ来て初めて聞くチャイム。 誰もがその音に驚き、誰もがその意味を理解できない。
「職員の方は近くのモニターにお集まりください。」
院長の声がする。シモーンが、控え室のモニターの所に行くと、もうそこ には何人かの同僚が来ていた。
「なんなの,こんなの初めてよ。」
「あのことじゃないの、ほら、昨日はネーションさんが倒れたっていうじゃない。」
一人が答える。シモーンはみんなのひそひそ話す声を聞いている。
「あなた、受けた。」
「受けたわよ。だって。」
「私も。」
「ひどいじゃない。」
「大丈夫よ。ティーチングじゃないわよ。原因はほかにあるのよ。最新の技術で絶対害はないって保証してたでしょ。」
立体モニターに、院長の映像が浮かぶ。
「今日お集まりいただいたのは、みなさまもお気づきの、新しい患者たちのことです。現在の所、原因も、治療法も暗中模索の状態ですが、昨今治療法 は発見されることと信じております。しかし、現在の所、状態は、当病院の看護、治療能力をはるかに越えているのも否めない事実です。この状態がし ばらく続くことを考慮していかなくてはなりません。
私たちがモットーとしていました、人間による治療、看護ももはや限界に達したことを認めないわけにはいきません。
どのように機械化されようとも、人間は、人間との関係の中にこそ生を見 いだすという、当病院の信念は変わらないことを信じております。
当病院が、今日まで、人の手によって運営されてきたことに感謝いたします。これは、みなさまの多大な努力のほかありません。しかし、これ以上を 望むことは許されません。今日より、順次自動化して行きたいと思います。最終的には、完全な自動管理になります。
計画書を送りますのでモニターからお取りください。意見のある方は意見 をお願いします。」
「病気の原因はわかっているんでしょ。」
どこか別の部屋から興奮気味の質問が出た。
「わかっております。ただ、それは憶測だけにしか過ぎないのです。あなたもそれはおわかりだと思います。何らの確証もつかめないのです。」
「知ってますよそれくらいのこと。世界中のどの医師も、医療チームも何一 つ答えを持っていないのは。だからといって、手をこまねいているわけには いかないでしょう。どう考えてもティーチングが原因としか考えられないで しょ。」
「そうですそうです。だけど、どうやって元に戻せばいいんです。世界中で その問題に取り組んでるんですよ。もし出来たとしても、それで一度いじら れた脳が元に戻るとは考えられないでしょ。換えってダメージを大きくしな いともかぎらないし。」
「確かにその通りです。だけどやってみるしかないでしょ。このままでは全滅でしょ。」
話に気を取られて、院長の顔から汗が噴き出しているのに誰も気がつかな い。
「いや、それは大丈夫です。ティーチングしていない人もかなりいます。そ れに,今から産まれてくる子供たちは大丈夫です。」
「ティーチングしてない人って、いるんですかそんな人が。赤ん坊だって、 誰が育てるんですか。」
「そんなことじゃないでしょ。われわれティーチングした者がどうなるかの問題でしょ。」
話はそこまでだった。院長は机に顔を伏せた。そしてゆっくり床にくずお れていった。自動カメラが、その姿を追っていく。
「発作だ。」
誰かが叫んだ。みんな、一斉に走り出した。数日後、シモーンは院長に言われたボタンを押してみた。それは、あの後 誰もが目を通した病院の改革と同じものであった。ただ違うのは、実行キー がついていたことだけ。
シモーンは、キーを押した。
この後、何年も、何十年も、いやひょっとしたら何百年も、静かに、清 潔に、音ひとつたてないロボットたちの手で、病院は患者を迎え、治療し、 送り出すだろう。いや、ずっと迎えるだけで、送り出すことはないのかも知れない。人々は、事態の重大性に気づき始めていた。あちこちで騒ぎが持ち上がろ うとしていた。噂は入り乱れて、電光のように飛び交っていた。
世界中の人々が、恐怖に震え上がり、世界中の医師や学者が(といっても、 学者か、患者以外はいないのだが。どこかにひっそりと、ノンティーチングのひとびとがほんの少しいたが)
研究を続けても答えは出てこなかった。 メーンコンピューターは何一つ答えない。そして、誰も、この病気のことに 関しては、ティーチングされていない。創造することができない千年も前の コンピューターのように、インプットされていないことは決して出てきはし ない。どんなに研究しても、自分たちの力は、インプットされたものを一歩 も出ないことにだれもが気がつき始めた。しかし、だからといって、諦めるわ けにはいかない。
絶望が、澱のように沈殿していった。
不安が世界の中心になったまま日が過ぎていく。病院が完全に自動化された後も,何回か,決められた日に出かけたが,何もすることがないのでそのうち行かなくなった。頼むという言葉が引っ掛かりではあったが,音もなく動く介護ロボットの間で働く不安には耐えられなかった。
ついこの前まで,誰がこんな事態を想像しただろう。快楽と,永遠の命を求めていた人たちが、今,いつ訪れるかも知れない知性の死の影に怯えている。古今東西,森羅万象を知り尽くした人たちの足元が腐り始めている。
(3章の4おわり、4章の1に続く)