空いっぱいに蝉時雨第3章の1
  生活はまた元に戻った。シモーンは、また、週二回半日病院に出る。エイサはぶらぶらしている。イーシャにはまだ就労の義務はない。
 シモーンがいないとき、エイサとイーシャはよく連れ立って外に出た。 といっても、イーシャは、モヒナと出歩くことの方が多かったのだが。そ んなときは、エイサは半日温室で暇をつぶしたり、古典的なビデオを見た り、時には、もっと古典的な、本を読んだりしてぶらぶらしていた。まだ 一人では決して町へ出なかった。
 シモーンがいるときは、ソファーに並んでお茶を飲んだり、昼寝につき あったりしていた。時々は、いっしょにテニスに出かけたり、泳ぎに行ったりも出来 るようになった。そして夕方になると、決まって二人で温室に入った。
「変な精神病が流行ってるの。」
 カトレアを植え替えながら、シモーンが言った。
「ふうん。」
 空気から合成された植木鉢に、やはり空気から合成された木くずのよう な植え込み材料を入れながら、エイサは生返事をする。
「ここに三ヶ月でもう四十人を越えたの。あっと言う間。」
「新種の伝染病なのか。」
「それは大丈夫みたい。おそらく。」
「ティーチングが原因らしいの。まだはっきりしないけど。」
「へー。」
 エイサは顔を上げた。そら見ろいわんこっちゃないとでも言いたそうな顔だ。それから、また、植え込み材料を根と根の間に丁寧に詰め込み始め る。
「これ内緒よ。世界中が大混乱するでしょ。」
「どうして。」
「だってそうでしょ。ほとんどの人がティーチングしてるでしょ。してな い人は赤ん坊か年寄りだけよ。」
「そんなに普及してるのか。」
「ほとんど。半強制的な時もあったけど。今では当たり前で、ちょっとし た予防接種みたいなものよ。」
「でも誰もが罹るとは限らないんだろ。」
「そうならいいのにね。」
「そんなひどいのか。」
「私のいってる病院でも、病人の半数を超えたの。世界中の病院がおそら くこの病人で埋まってるは。」
 葉が大きすぎてうまく立たないカトレアをエイサは支えの棒に縛り付け ている。
「それどんな病気なんだい。」
 シモーンは、植え替え台の前のいすに座って、やはり海水から合成されたはさみをいじっている。 「そうね、一言でいえば頭がパンクしてしまうのね。」
 エイサは、鉢に回したひもをやっと縛り終える。
 「知的なことが全部だめになってしまうみたい。ご飯は手づかみだし、服 は着られないし、おしっこだって平気でズボンの中にしちゃうのよ。」
「汚いなあ。」
「でも、そういう世話は介護ロボットがするからいいの。」
「なんでそうなるんだ。」
「はっきりは解らないらしいの。何でも、普通なら眠っている細胞にまで 情報を入れたのが原因じゃないだろうかって。でも、それも憶測よ。」
「すると、誰もがひっくり返るわけか。」
「それも解らないみたい。」
「何だ、みんな解らないんじゃないか。」
「そうなの。脳の問題はみんな解き明かされているものだと思っていたの に。今度のことでは、メーンコンピューターがまるで役に立たないそうな の。」
「シモーンはやってないんだろ。」
「私はね。イーシャが受けてるのよ。」
「そうか。そうだよな。」
「でも、あの子は全課程を終わらせたわけじゃないから大丈夫だと思うの。」
「ほかの子供たちは。」
「シフスとカホリは受けてないの。私と同じで、そういうの好きじゃないから。知識なんかに縛られるのは嫌だって逃げ出したのよ。」
「何が幸いか解らないわけだ。俺なんかもロケットに乗らなければ真っ先 に受けてたろうな。」
「ところで、イーシャは本当にクエーサーに乗るのかな。」
 エイサはシモーンの心配が解らない。
「さあ。」
「今日はスカイダイビングへ行くって言ってたな。」
「そうみたい。でも、あの子昔からそんなことが好きなのよ。」
「ほかにもいろいろ通っているみたいだよ。訓練のつもりなんだよ。おそらく。」
「そう。」
 エイサも、ロケットに乗る前はずいぶんと訓練した。
「しかたないわ、イーシャがそうしたいなら。私がどう言ったってしかたないもの。」
「そうな。」
「私が我慢するか、あの子が我慢するかどちらかしかないから。イーシャ の人生なのに、イーシャが我慢することないのよ。」
「俺も飛び出したものな。」
 エイサは冗談ぽく言う。
「そうよ、悪いんだから。」
「ごめんごめん。」
「三日も泣き明かしたわ。」
「後は、けろ。」
「人生は忙しいのよ。」
「そうな、こんなふうにのんびりしているなんて嘘みたいだ。」
「歳とったのよ。」
「歳か。」
 エイサは、ふっと考え込む。
「降る雪は、楽しい季節の残し文。たれ知らず闇の中、過ぎにし日々を埋 め尽くし、積もりつもる。」
「誰の歌。」
「年寄りのひがみ。」
「イーシャはいくよ、きっと。」
 シモーンは頷く。そして、
「間に合えばいいけど。」
とつぶやく。
「テストがあるだろうからな。」
 シモーンは答えない。
 イーシャより若くても、入院している子がいる。ティーチングを全部やっ ていなくても発病している人もいる。誰が、いつどこで発病し、病院にかつ ぎ込まれるか予測がつかない。シモーンはその事をよく知っている。
「ふう、疲れた。終わり。」
 エイサが、大きく延びをする。

(3章の1おわり、3章の2に続く


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『妹空並刻』