何事もなくひと月が過ぎた。
エイサがまた話し出した。回復の兆しだ。シモーンは終日エイサ から離れられない。病院も休みを取った。
自分の挫折のことを終日くどくど話すエイサと一日中顔を合わせているのは,ひどく骨が折れた。仕事で、そういう患者に何人も接 してきて慣れているはずなのに、エイサの繰り言に苛立つ。
「息抜きしないからだよ。」
イーシャが、ある日見かねて言う。
「そうね。」と答えながら、自分がこのひと月ほど、外出さえしていないのに気づく。話と言えば、エイサの繰り言だけ。
人間らしいことなど何ひとつない。
「何も、そこまで犠牲になることないだろうと思うけどな。」
「お母さん見てると僕までいらいらしてくるよ。」
「でも、今目を離すわけにはいかないのよ。」
「それはそうかもしれないけれど。共倒れするよ。」
「そうね。」
シモーンは考える。そして誘惑に負ける。
「いい、自殺するかもしれないから。よく見ててね。」
「オーケー。しっかり見てる。」
シモーンは、エイサが帰って来てからずっとあっていなかった男友達に会いに行く。しかし、エイサが気がかりで少しも楽しめなかった。
そうそうに家に帰ると、家の中はしんとしていた。イーシャを呼ん でも返事がない。慌ててシモーンはエイサを探す。エイサがシーツを 引き裂いて綱を作っていた。じりじりと日が過ぎていった。一日は苦痛以外に何もなかった。だがそれもやがて終わり近づいた。長い冬が、ある日急に春めくように。
シモーンは、温室で,カトレアの交配をしている。
「これいいでしょ。私が交配したの。」
「ふうん。」
シモーンの脇にぼさっと突っ立って、エイサは気のない返事をする。 シモーンはそんなことにはひるまない。少なくとも返事はするように なったのだから。
「6年前に交配したの。今年初めて咲いたのよ。兄弟の仲ではこれが 一番きれい。」
「毎年、交配して種を採るの」
話しながら、ピンセットを、すっと火にかざして、花の蘂をすっと こする。
温室の中は、蘭の香りで満ちている。「バイオが出来ればもっと簡単なんだけど。禁じられてるからだめ なの。人の病気の治療以外は、遺伝子操作は出来なくなったのよ。」
シモーンは、そうやって毎日エイサを温室に連れ込む。そのうち、 エイサも少しづつ花に手を伸ばすようになった。
ある日、エイサはシモーンの腕の中で反応する。そして、ある日外
に出た。
(2章の4おわり、2章の5に続く)