空いっぱいに蝉時雨第12章の5
  「取り引きしようとしていた俺が悪かったんだ。イーシャには乗船するための ちゃんとした資格も権利もあることを認めさせてやる。」
 夜、いつものように、イーシャを寝かしつけてきたシモーンに、居間にいたエイサが言う。
 シモーンは、驚いて立ちすくむ。ちらっと液晶盤を見る。スクリーンは暗く消えている。エイサが居間にいたとは思わなかった。
  エイサの表情からはなにも読みとれなかった。
「考えたんだが、やっぱり取引しようなんてやり方がまずかったんだ。」
 そんなシモーンにお構いなくエイサは話を続ける。
 シモーンは、ガウンの襟元に手をやったまま、突っ立っている。頬に朱がさ している。目は潤んだままだ。
「座ったら。」
 シモーンは裾を気にしながら座る。イーシャの部屋からそのまま来たものだ から、まだ下着もつけていない。
「見ていた。」
「えっ。」
 エイサは怪訝そうに見る。そして、シモーンの顔に、意味を読みとる。
「いいや。」
 エイサの声は落ち着いている。シモーンの顔はよけいに赤くなる。
「やはり、本当のことをちゃんと話しておこう。俺は、シモーンのことが好きだから、心を測られるなんて耐えられないからな。」
 シモーンは足をぴったり閉じて、体を堅くして座っている。
「見なかったのは本当だ。だが、シモーンが今してきたことはもちろんわかっている。ただ、悪いけど、今日は今までそのことに気が回らなかった。今日は考え事がいっぱいあったからね。だから、日によっては、イーシャを寝かせに行った後、シモーンがしていることを考えることもあるよ。だけどスイッチを入れたりはしないよ。俺はシモーンのことを何でも知りたい。でも盗み見たり はしないよ。ただ、一度だけ見たことがある。十日ほど前かな。シモーンを探そうと思ってスイッチを入れたんだ。言い訳っぽいけど悪気はなかったんだ。」
「言ってくれればよかったのに。」
「そんなこと言えないよ。」
「でも、ずっとなんでもない顔してたじゃない。」
「そうかな。平気な顔してたかもしれん。そうでなかったかもしれん。こうい うことというのは難しい。スイッチを入れたいと思ったこともあったし。いや、 もちろん入れなかったよ。そんなことでシモーンにいやな思いさせたくなかっ たから。」
「ありがとう。」
「こっちへ来たら。」
 エイサはシモーンに手を伸ばす。シモーンはつられてふっと立ち上がる。エ イサの脇に座ると、顔をエイサの肩に埋める。
「私怖いの。」
「なにが。」
 言いさしたまま黙り込んだシモーンに言う。
「そのうち天罰が当たるんじゃないかと思うの。」
「まさか。」
「まさかだわね。」
 言い聞かせるように言う。
「シモーンはイーシャのために頑張ってる。この前言ってただろ、誰だって幸福にならなきゃだめだって。俺はイーシャに対して偏見を持ってたのを思い知 らされたね。頭の良し悪しで人をはかってたんだな。違うんだよね。確かに。」
「そうなんだと思うよ。それでイーシャが幸せになれるんならすばらしいこと じゃないのかな。」
「神様っていると思う。」
 シモーンは珍しくエイサの話を聞いていない。自分の考えを追い続ける。
「神様か。わからないな。そのことは。いても不思議じゃないし、いなくても不思議じゃない。宇宙を飛んでたときは神様がいるような気がしてたものな。 かなり本気で。」
「いるといいと思うの。」
「そうだよな。」
 意図をはかりかねてとんちんかんに答える。
「イーシャが、あっちへ行ってやり直せる。」
「そうか。そうだよな。」
「私はだめだけど。」
「どうして。イーシャのためだって、俺のためだってすごく頑張ってるのに。」
「だめよ。本当はね、私、このごろ、自分の喜びのためにイーシャを抱いてい るような気がしてるの。イーシャのためだなんて嘘っぱちなの。エイサのときだってそうなの。」
「そんなことは言わないんだよ。愛するってそういうことなんだから。愛する人と一緒になることはすばらしい喜びなんだから。もし違ったっていいじゃな いか。命を生み出すために性を与えた神様に考えがあるんだろうから。悪いこ となら、一番大切なことをそれに託すはずないだろ。」
「そうね。ありがとう。」
 一つも信じてない「そうね。」だ。
「気にしない方がいいと思うよ。と言っても無理だろうけど、なんどもいうようだけど人を喜ばせるのはいいことだよ。それは神様がいたらわかってると思うよ。俺だってそれくら いのことは、わかるんだからまして神様だろ。」
「そうね、気が休まる。」
 エイサが何とか自分を慰めようとしているのがいたいほど伝わってくる。
「この前も言ったけど、もしかして、その罪悪感からロケットに乗るのなら苦 しいだけだよ。」
「ううん、イーシャの希望を叶えてあげるの。」
「犠牲かい。」
「違うは。私にはあなたがいる。見送ってばかりじゃ、ふるさとがかわいそうでしょ。」
 シモーンは笑って見せる。

   


(12章の5おわり、12章の6に続く



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『妹空並刻』