空いっぱいに蝉時雨第11章の1

夕闇の中を,船は真南に進路を変えた。右舷からの風に,船は大きく傾きながら疾走した。
 操舵室の四人は緊張してレーダーを見つめている。
海上のすべての船の位置は,人工衛星によってメーンコンピューターに送られている。それは,海難事故から船を守るためのシステムであった。しかし,今,それをテイオウ捜査委員会が利用しているのは決まりきっている。南極に近づくものはすべてチェックされているはずだ。
 南へ進路を変えて三日たったが,何事も起こらなかった。それでも、二人ずつ組になって,4時間交代で見張った。レーダーには時折,接近してくる船や飛行機が映った。どれもが,見破って攻撃に来るテイオウ捜査委員会の船や,飛行機に思えた。だが,大概は,ずっと北の方を過ぎていった。

 風が正面に変わった。舟は時折ターンを繰り返す。なかなか距離が稼げなくなった。二日かかかって50キロも進んでいない。
「少し遠いが,ここから行くしかないか。」
「まだ五千キロはあるぞ。帰れないぞ。」
「そのときは,歩いてくるさ。」
 ホーバークラフトの航続距離が足りない。その上,ミサイルを積めばとてもじゃないが帰り着けない。
「まだ疑われてはいないさ。とにかく予定どおりハーグ島まで行こう。のんびり行けば良いさ。何も慌てることはねえ。」
「いや、わからんぞ。俺たちは,ずいぶんまっすぐ南へ来てしまった。疑ってなくても,目をつけてることは確かだろう。このまま,日に二三十キロじゃ,向こうだってなんらかの行動に出ないともかぎらんだろ。」
「だけど,最初から帰れないのがわかってて行かすわけにはいかない。」
「いや,目的を遂げることを第一義に考えなくちゃいけない。やっとここまで来て,何もせずに終わるなんて悔いしか残らん。」
「私もそう思う。進まないのは,風ばかりじゃないのよ。南からの海流に捕まったのよ。これで風が落ちたら一気に元に押し戻されてしまうわ。」
「ここからでも,シャボン玉をぎりぎりのところから発射すれば,ここに帰れなくても,ハーグ島までならたどり着けるわ。そこまで迎えに行くから。舟が軽くなればあっさり乗り切れると思うわ。」
「よし。」
 誰ともなく言う。押し殺した,声にならぬ声。

 だめだろう。シフスは思う。みんなで,何度も話したように,数百年の間,地球上のすべてを支配してきたからといって、テイオウが不滅である理由にはならない。誰も攻撃を仕掛けなかったのだから。この地球上から,武器という武器が廃棄されてから,もう数世紀を越える。戦う力を持っているのは俺たちだけのはずだ。テイオウの出す強力な電波に乗せて,シャボン玉を打ち込めば,百発百中だ。水爆は氷の下のテイオウを確実に破壊するだろう。と。
 だが,それでも,これは失敗するだろう。とシフスは思う。
 こんなことは、テイオウにとっては、おそらく子供だましにもなりはしないだろう。あの最後の危機のとき,何千,何万のミサイルが飛んできても,完全に防御できる機能を備えていたと噂があるテイオウに,たった一発のミサイルで何ができるか子供でもわかる。仲間は,みんなそのことを知っている。そして,そのことをまともに話し合ったことがない。

       

(11章の1おわり、11章の2に続く



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『妹空並刻』