空いっぱいに蝉時雨第1章の7
「ずいぶん変わったな。」
二人は,海を見下ろすがけの上に立っている。
「変わったわね。私も,もうずっと来ないから。」
そのあたりから東のほうへ,昔二人できたころは,松林と砂浜が視界の果てまで続いていた。くぐりぬけた松林も,焼けて熱く,踊るように海へ走った砂浜も,今はどこにもない。あるのは波に洗われているテトラポットの群れだけ。
エイサは呆然と波を見つめていた。
「海が見たくてね。」ややあって言う。
「乙女チックだろ。だけどああいうところに閉じ込められてると,地球じゃばかばかしいことでも,やけに切実でね。地球に帰ったら,真っ先に行こうと思ってたんだ。」
「そうかもしれないわね。」
「チョット変わりすぎだな。」
エイサは寂しく笑う。
(そう私も。変わってないのはあなただけ。)シモーンは思う。
「行くか。」
二人は,黙って車に戻る。
「今は何でもロボットがやるんだって。」
「そう,ほとんどね。でも,週二回は仕事しなくちゃだめなのよ。健康のためにね。」
「週二回か。俺のいたころは週4回だったな。健康のためじゃなかったけどね。」
「でも,あまり良い仕事はないのよ。大概のことはロボットのほうが上手だから,大切なところはみんなロボットがやってしまって。」
「ふうん。」
「ティーチングマシーンができたでしょ。誰でも,すごく難しいことを簡単に考えられるようになったのにだめなのよ。」
「ああ,聞いたよ。すごいものができたものだ。」
「ロボットはもっとすごいのよ。考えだって,力だって,技術だってとても人は適いっこないわ。」
「じゃ,どうして人は,ティーチングマシーンで脳を改造してんだい。」
「よくはわからないけど,えらくなりたいからでしょ。」
「シモーンはどうしてなんだい。」
「私。私はそのまま。ティーチングしてないの。」
「へー、どうして。」
「たいした理由はないんだけど。そんなことしなくても,十分幸せでいられるような気がしたから。」
「そうか。そうだよな。」
「どうしょうか考えてるんだ。受けようかなとか。」
自分の考えを,覗き込むように言う。
「受けたら。いっぱい研究しなければならないんでしょ。」
「そうだよな。でも,そうすると,何のために宇宙の果てまで行ったのかわからなくなってしまうんだな。」
「どうして。」
「だってそうだろ。一時間で,その何千倍もの知識が得られるんだろ。三年もかけて,苦しい思いして,それじゃ,あんまり馬鹿みたいじゃないか。」
「そうね。」
かなりおざなりなそうねだ。
「俺らのころは,自分で何もかも学んだものだがな。いろんなことをああでもないこうでもないってやって、それでもわからなくってな。でも,結構そうやってるのが楽しかったのかもしれないな。」
「今でも同じよ。みんなそうしてる。みんな本当に物知りななったけど,それと生きていくこととは関係ないことよ。エイサは,帰ってきたばかりで,びっくりしているだけなのよ。すぐ慣れるわ。ティーチングしてもしなくても人は人なのよ少しも変わりないのよ。人は,知識じゃないでしょ。」
「まあ、それはそうだよな。ま,急ぐことでもないし。」
エイサは,それでもぼんやりと考え込んでいる。シモーンはエイサの髪をなでる。いつのころからか,シモーンはそんなふうに髪をなでたり,頭を抱いたりするようになった。ある男から,母親みたいだねと笑いかけられたとき,シモーンは始めてそのことに気がついた。もう,母も終わりなのにと,半分おかしがったり,寂しがったりしたものだが,最近は別に気にもしない。
「うちに寄る。」
「どうするか。いや、またの日にしよう。」
「そう,じゃ送っていく。」
「また逢える。」
車から降りたエイサに聞く。いつもと違って、半分本気なのを自分でも驚きながら。
「うん,また連絡する。」
シモーンは軽く手を振って,車を発進させる。小さくかかっていた音楽を消すと,椅子を倒して深々ともたれこむ。
いつもの再開と同じ。もう連絡が来ることもないだろうし,連絡することもないだろう。さよならのやり直しなんて間が抜けてるったらありゃしない。
急に疲れを感じる。なぜ,また逢えるなんて聞いたのだろう。シモーンは少しいらいらしていると思う。
シモーンの車は音もなく木立の下を滑っていく。
突然,電話のコールが鳴る。シモーンは大儀そうにスイッチを入れる。
「やあ,シモーンかい。」
エイサが小さい画面から笑いかける。
「そう。どうしたの。」
「さっきは悪かった。俺はどうも別れぎはが下手だな。」
エイサの声が笑う。
「そうみたい。」
シモーンの声も笑う。
「とにかく,どうも変なんだ。浦島病だなんて言うやつがいるんだ。冗談だけどね。まあ,とにかくまた逢おう。な,連絡するから。」
「ええ,待ってる。」
それで電話は切れた。
再開の再開もあるもんだと思うと,シモーンはおかしくなる。
だけど,とシモーンは一段落した後考える。結局連絡はないだろう。今までと同じように。そして私も連絡しないだろうと。一度目のさよならは心残りばかりだが,二度目のさよならは,思い出までも流し去ってしまうものだから。
先ほどのちょっとした苛立ちはもう消えている。
空いっぱいに蝉時雨1章の7終わり
1章の8へ続く
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