空いっぱいに蝉時雨第1章の6

 シャワーをしてからというのを無視して,エイサはシモーンを抱きしめる。シモーンを苦しくさせているのも気づかない。その強さに身を任す。

「メモール公園覚えているかい。」
 仰向いたシモーンの腹の上に手を置いてエイサは話す。
 シモーンは思い出そうとする。かすかな記憶をたどって
「最初のうちはよかったんだけどね。一月もしたらやることなすこと同じことの繰り返しでね。大きいといってもロケットの中だろ,シモーンのことばっかり思い出してたよ。」
「シモーン,聞いただろ,あの時。」


 シモーンは,藤棚の下で,エイサと並んで,くすんだ黄色いベンチに座っていた。この椅子は空気から作られた。そんなことが書かれてある。
 シモーンはエイサにもたれてじっとしている。
「帰ってこれないかもしれないのに。」
「大丈夫だよ。科学の粋を集めて作ったロケットだ。」
 シモーンは三十年は長すぎると思う。自分だけどんどん飛んでいって,私はじっと待っているなんて、そんなのずるいと思う。
「私,どうして待っていればいいかわからない。」
「悪いと思ってる。だから待たなくていいよ。シモーンにはシモーンの人生があるんだから。」
 先ほどホテルで話したことをまた繰り返す。エイサは少し疲れてしまう。エイサの頭の中は,もう,宇宙のことでいっぱいだ。あさっての今ごろは地球周回軌道にいるはずだ。
「ごめんなさい。楽しく送ろうと思っていたのに。こんなこと言って。」
 別れらしいわかれはシモーンにとって始めての経験。
 光になれば一億の距離だって,あっという間に越えてしまうという。
「私,毎晩あの望遠鏡を見るわ。」
 何度か,シモーンはエイサの部屋でエイサが行くはずの星を見た。望遠鏡でその星を探し出す方法も習った。だけど,いくら目を凝らしてもエイサの行く星は暗く,小さかった。
 最後のさいごに,二人は気まずい。先ほどまで,ホテルで抱き合っていたときは,別離の哀しさによっていたのに。


「あの時は行きたいばかりで心がはやってて,君のこと考えてるゆとりが少しもなかった。分かれるのはわかっているんだから,女々しく引き止めたりしないで欲しい,俺は,おまえの持ち物じゃないんだ、なんてね。」
 シモーンはよく思い出せない。あまりに昔過ぎるのに,あらためて気づく。
その後にもいくつもの別れがあった。一つ一つの別れなど区別できない。
「ずいぶん後悔したんだ。帰ったら,そのことを真っ先に謝ろうと思ってたんだ。」
「いいの,そんなこと。もう忘れてしまった。」
「そうな。」少しの沈黙の後,しみじみ言う。
「俺には三年でも,君には三十年だものな。」
「私のほうこそ。待つって言ってたのに。待ってなくて。」
「そんなことないよ。こうしてまた逢えたじゃない。」
 エイサはシモーンにキスをしながら上にかぶさる。
 シモーンは,そんな風にエイサがまた求めてきたのを喜ぶ。そう,シモーンは自分の歳にこだわっている。寿命がここ千年の間に倍に延び,おそらく千年前なら二十歳といっても不思議ではなくても,今は,四十は四十なのだから。だが,そんなことも,エイサの荒々しい愛撫の中に沈んでいった。

空いっぱいの蝉時雨第1章の6終わり 
空いっぱいに蝉時雨1章の7に続く

 
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