空いっぱいに蝉時雨第1章の4
ロビーは人でごったがえしていた。野次馬や、カメラマンや、それらの人々に 取り囲まれている家族たち。
 シモーンは、花束を持っていくのは自分でないのを理解する。
 歓迎のためにそろえられた花束と若者たちの群。着陸間近の喧噪の中で、家族 たちがうろうろする。華やかな人々の中で、カメラを向けられている彼らだけ が歳をとりすぎている。それが緊張のためによけい場違いに見える。シモーン は自分がその仲間だと思う。
 「お帰りなさい」と片手を上げて会いたかった。「待った。」と、以前のよう に何気なくあいたかった。だが,もう片手を上げる歳でもないのに気がつく。 着陸艇が着き、彼らが降りてくる。延々と続く歓迎のセレモニー。そして家族 との涙の対面。だが、実際はそうはいかなかった。帰ってきた人々は、自分の 親や兄弟たちが見分けられなかった。出発したとき赤ん坊だったのに、帰って みると自分よりはるかに歳をとっているなんて、頭でわかていても、身体がつ いていかない。
 三十年の歳をとっているのは解っていたのだろうけれど、いざ,自分の前にい るのが両親であり、兄弟であるのを信じるのには時間がかかった。弟を父親と 間違ったり、姉を祖母とさえ間違ったりした。カメラはそういう場面を選んで いく。彼らが撮りたかったのは,英雄でも、涙の再会でもない。ただ、歳をと らなかったことだけ。

 シモーンはロビーを出る。のこのこ出ていって、母親と間違われてもお互いつ まらないだけだ。せっかく持ってきた蘭の花が無駄になったが、何もかも台無 しにするよりは少しはましだ。とにかくエイサは若い。電話でみたときも若い と感じたが、今、人混み越しに見たエイサは、それよりいちだんと若い。

 恋人もいる。子供もいる。過去を呼び戻すことなど自分には似合わないと思う。 そのくせ、電話のコールのたびにエイサの名が浮かぶ。違う相手にがっかりし ては苦笑する。
 シモーンは立体テレビで何度かエイサを見た。彼らは皆嬉々としてインタビュー に答えていた。その質問の多くが帰還してからのことなのにがっかりした風で はあったが。それでも、最初の内は、皆興奮の渦に巻き込まれているように見 えた。
 彼らの成果も、冒険のこともおざなりにしか聞いてやらないのは、あまりに失 礼じゃないかと、シモーンは憤慨する。

 五日目に電話があった。
「やっとこさだよ。」
 エイサは言う。
「忙しくてね。」
 まんざらでもないにこにこ顔。
 シモーンはその顔をまじまじとみる。
「おい、映像を送れよ。」
 昔は、そんなに断定的な言い方はしなかったと思う。
「いいでしょ。会ったときのお楽しみで。」
「解ってるよ。親父にもあったし、友達にも会ったから。そりゃ最初はびっくり したよ。」
「すぐ慣れちまったから。本当にこっちでは三十年立ってたんだな。理屈では解 ってたけど、本当だったとはね。」
「そうよ、私だっておばあちゃん。がっかりするは、あなた、たぶん。」
「大丈夫だよ。俺はそんなこと気にしないから。」
「だったらいいわね。」
「まあ、そう言わずに。」
「ごめんなさい。私も会いたい。」
「今夜暇とれるかい。」
「いいわ。私暇だらけなの。」
「いつも行ってたアリ、まだやってるかい。」
「さあ、あのあたりも昔の面影は少しもないから。」
「そうか。」
 エイサの声が少し沈む。
「しゃあないなあ。どこか、俺に解るところないか。」
「迎えに行く。」
「そうか、そうしてくれると助かる。どこ行っても、ほかの星にいるみたいでな。」

 車は、滑るように走る。目的地のキーを触るだけで、あとは全部自動的に連れて いってくれる。
 エイサがいた頃は,まだ少しは自分で運転していたんだが。シモーンはエイサと ドライブに行ったときのことを思いだそうとする。だが,それも,本当にエイサだったのか、ほかの誰かだったのか思い出せない。
 あまりに遠くなりすぎたから。シモーンはそれを区別しようとも思わない。いつ だってどんな喜びも、かすみながら、同じ色合いの中に沈んでいくのだから。楽 しみを追う一時その事を忘れる。しかしそれもまた淡いもやの中に沈んでし まう。生きることはそういうことかもしれないとこのごろシモーンは思う。
 そして,今また,いっときそのことを忘れて出かけていく。自分がもうエイサに似合わないのを心のどこかにぶら下げながら。 (1章の4おわり)
(空いっぱいに蝉時雨第1章の5へ続く))


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