空いっぱいに蝉時雨第1章の3
 電話のコールサインが鳴っている。シモーンは夢の中でそれを聞く。 そして、はっと気づいて、急いでスイッチにさわる。こんな朝早くか らと、機嫌が悪い。
 本当のところは、昨日恋人の独りとのデートがあまり楽しくなかった のだ。一緒に寝ていても、何かちぐはぐだった。男がおざなりなん だとシモーンは思った。宇宙船の男のことかもとはひとつも思わずに。
「あなた、昨日サイコしたでしょう。」
 珍しく、棘を含んで言う。男は照れ笑いをする。
 何もかも、サイコヴィジョンがだめにする。
「悪い。君から久しぶりにテレもらったろ、そしたら、会いたくなって 今日が待てなかったんだ。だから、ちょっと君と会ってたんだ。」
 そう言われると,何となく許す気になる。それでもやっぱりつまらな さは消えない。
 結局、おざなりのセックスとおざなりの会話で別れてしまった。

 その気だるさが朝まで残っていた
「シモーン。」
 元気のいい声と同時に、男の姿がぱっと現れる。
「エイサ。」
 シモーンの声が弾む。三十年の隔たりが嘘のように聞き分けられた。 この声を待っていたために、サイコヴィジョンも、恋人も色あせてい たのに気づかない。
「帰って来れたよ。」
 声が弾む。
[映像送ってくれないか。君が見たい。」
 シモーンは、自分のカメラのスイッチをまだ入れていない。
「私、起きたばかりで、ひどいかっこうしてるの。」
「そっちは朝か。ごめん、ごめん。時間の感覚がなくて。でも、いい じゃないか気取ることないだろ。」
「恥ずかしいからだめ。あなた変わらないわね、でも、なんだか映像 変よ。べたっとしてて。」
 シモーンは話題を変える。
「ああ、そうだろ。こっちのがあんまり旧式で、うまくいかないらし いんだ。驚いちまうよな。最新鋭中の最新鋭だったんだぜ。」
「エイサ、どこにいるの。」
「ここか。宇宙船の中だよ。太平洋の真上だ。君の日本がよく見える よ。」
「着いたのね。」
「やっとこさだ。な、映像送れよ,シモーン。」
 シモーンはベットから立ち上がると、映っているエイサに近づく。そ こには昔とほとんど変わらないエイサがいた。ひどく見ずらい画面だ が、昔よりなんだか若く見える。別れたときは、年上でずいぶんとし っかりして見えたのだが、今はまるで子供だ
 こんなに若かったのかしら、とシモーンはつくづくエイサを見る。歳 をとったのは自分ばかりではない。思い出も自分と一緒に歳をとって いたのだ。
「エイサ、あなたがっかりするわよ。」
「そんなことないよ。」
 シモーンはスイッチに手を伸ばしかけてやめる。
「やっぱり今度ね。ひどいかっこしてるから。きれいにおめかしして それから。」
「君と会えることばかり楽しみに帰ってきたんだぜ。」
「ありがとう。私も会いたかった。でも,会えるんでしょ、すぐ。」
「ああ。でもな、まだ1週間は無理だな、きっと。」
「検疫だなんだってうるさいんだ。いくら大丈夫だって言ったってだ めなんだ。俺たちが矢も盾もたまらないってこと理解しないんだ。三十年だぜ。土踏まずで。」
「今まで待ったのよ。あと一週間なんて夢の間よ。」
「わかっちゃいるけどね。そこが地獄だ。」
「旅行、楽しかった。」
「まあね。少しきつかったけど。」
「あっちもよく似てるんだな。金星とか,土星とか、そんな感じだな。 ま、生物など期待薄とは思ってたけどな。」
「それで、シモーンはどうだった。元気。」
「ありがとう。元気よ。」
「それで、だんなとかなんかいるのか。」
「いるような、いないような。」
「そうか。」
「子供もいるのよ。」と言おうとしてやめる。
「会うと迷惑か。」
「そんなことないわよ。とても会いたい。」
「よかった。いや,なんというか、こう、だんなに悪いかなと思って。」
「大丈夫よ。」
久しぶりに、シモーンは少女のようにくすくす笑う。
「それにね。結婚制度なくなったのよ。」
「へえ。そう言えば、俺が出掛ける頃なくなるとか、なくならないとか いってたな。まあ、実質的に破綻してたからな。」
「あなたが出て行ってからすぐよ。」
「できたら早く会いたいな。」
 できたら早く。シモーンは思う。でも,昔の亡霊など呼び出しても,と。
「あなた、忙しくなるは,きっと。」
「おりたら連絡するから。来週の火曜日だ、たぶん。うまく行けば昼過 ぎ。」
 エイサは陽気に言う。
「迎えに行くは。」
 シモーンはもうこだわらない。歳をとってしまった自分を見せるのは気後れするが,そんなことにいつまでもこだわっているほど若くもない。 会ってみたい、それだけ。もし、苦しみだけが残ったとしても会わないよりはいい。
「いいね。そいつはいい。俺がタラップを降りていく、君が花束を持っ ている。俺は笑って片手をあげる。君が駆け寄ってくる。俺たちはしっ かり抱き合う。絵になるね。」
「いいわね。」
 エイサは、ずいぶんと変わったと、シモーンは思う。
「おれさ、ずっと考えてたんだ。シモーンとの再会の場面さ。暇だった んだな。」
「暇だったはよけいでしょ。」
 笑いながら言う。
「そうだ、そうだ。忙しかったんだけど、ついつい考えてしまったんだ。」
 エイサもすまして言う。
「答えが出なくてね。時間のギャップがあるはずだろ。理解できないけ ど、計算では三十年だっていうし。結婚もしてるだろうし、それに,俺 のことなんかひとつも覚えてないんじゃないかって。」
「ありがとう。」
 シモーンはただそう答える。
「あいたいね。あって、ぐちゃぐちゃにつぶれるほど抱きしめたい。」
「私もつぶされたい。」
 割り当ての時間だと、エイサが言うまで、二人はそうやって話した。余分な機械がないので順番待ちなんだ、と。
 シモーンは飛び跳ねるように部屋を横切ると、シャワー室に入る。湯を浴びながら歌を口ずさむ。それから、シャワーを止め、鏡に全身を映す。 前から映し,後ろから映し、乳房を持ち上げてみたり、妊娠線の残って いるおなかを押してみたりする。

(1章の3おわり、一章の4に続く


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