シモーンもその宇宙ステーションを見ていた。巨大な木星を背景に、音もなく地球に向かっている光子ロケットの周りには、地球から出迎えに行ったのだろう、いくつかのロケットが点々と散らばっていた。
「木星の方に向いているけど、お尻りの方に飛んでいるから、木星から離れているんだよ。」
末の息子のイーシャが言った。シモーンは
「そう。」
と、柔らかい声で答えた。シモーンは珍しくノンティーチングだった。ノンティーチング。その言葉の中には少し毒があった。ほんの少しの軽蔑。人はいつも何かしら上下をつけたがる。
「お母さんは臆病だから、とてもそんなの無理よ。」
シモーンは、イーシャの進めに笑って答えたものだ。
「これだけあれば十分よ。今までだって幸せだったし。これからだって。」
イーシャもそれ以上何も言わなかった。母がティーチングしなければならない理由はどこにもなかった。それに、イーシャは十七歳にもなって、まだ母親べったりだった。ほかの子供たち、長男のシフスや、その下の長女のカホリは、もう一緒には住んでいなかった。
婚姻の制度がなくなっているので、昔のように、結婚して外にでるというのではなく,一人で気ままに生活していた 。 外にでた二人からは、ときたましか連絡はなかった。
シモーンは、その事が寂しかった。でも、その事は仕方のないことだと諦めていた。だれもいつか一人で出発していくものだから。私もそうしてきたのだからと。
シモーンは、イーシャの肩に手を置く。イーシャは、少しの間そのままにしていたが、いつとはなく身体をずらす。
−この子も、そろそろ出ていく頃になった。−シモーンは手を自分の膝に戻した。
−だれだって、いつまでも一つの愛を持ちこたえられはしないのだから。いつか愛されていることが煩わしくなって飛び出していく。違う愛を求めて。同じ煩わしさに帰結するのに。−
「本当に歳とってないと思う。」
イーシャが聞いた。
「お母さんにはわからないは。」
「理論ではそうなんだ。でも、見た人がいないからな。」
映像はなかなか進まなかった。
「どうしたんだろう。ドッキングできないみたいだ。あれは
かなり旧式だし、光速で飛ぶといろいろ問題も起こるんだろうな。」
イーシャは一人で得心している。シモーンにはイーシャの話が分からない。それに興味もなかった。ロケットのことも、光速のことも、皆が気にしている歳をとらないということも。その、人類最初の光速艇が地球を飛び立ったとき、シモーンは十七歳だった。そう、イーシャと変わらない。
ロケットのように家を飛び出してと、シモーンは思う。世界中を駆け回った。臆病なくせに。そのきっかけになったロケット。
シモーンは四十五歳になる。
最初は、シモーンは思いだそうとする。そう、ロンドン。そこで知り合った人たちの顔を思い出そうとする。思い出せそうで思い出せない。それは、最近ごくたまにだが使い始めたサイコビジョンのせいかもしれない。それを使う前は、一様に古ぼけて、輪郭も定かではないが、それでも思い出すのに苦労はなかった。今は、何もかもごっちゃになって順もなく浮かんでくる。品物の溢れてしまったタンスのように。生きた時間より経験の方が多くなりすぎた。
そう、それからアンカレッジへ行った。誰かと一緒だった。だれだったろう。楽しくて、まじめだった。そう、ロンドンで知り合った。でも、そこにも長くはいなかった。都市から都市へ,夢のように歩いた。あんなに楽しかったことは後にも先にもなかった。自由で、自由以外の何もなかった。
シモーンは思いだそうとする。思い出せない顔の方が多い。
(一章の1おわり、一章の2に続く)