シュレディンガーの猫について6 

(「シュレディンガーの猫(下)」ジョン・グリビン,坂本憲一・山崎和夫 訳,地人選書)

(以下{ }内は上記本よりの引用)

著者 高田敞

     


問題
{量子世界の通常のコペンハーゲン解釈のもっとも奇妙な点は、それが系を観察する行為でありながら、系に強制されて選択肢の一つを選ばざるをえず、選んだときに現実のものとなるということだ。}

考察

{系を観察する行為でありながら、系に強制されて選択肢の一つを選ばざるをえず}というのは実験観察では普通のことである。

 たとえば水温を測ってみよう。あらゆる温度の中から、その水温計が示す温度を観測者は選ばなくてはならない。水温計が、39度を示しているのに、観測者が57度を選ぶわけにはいかないのは当たり前だ。それを{系に強制されて選択肢の一つを選ばざるをえず}というのは、考え方が間違っている。天才量子学者が宇宙を思い通りに支配していると信じ切っているとしか思えない。その考えこそ{奇妙な点}である。系は強制などしない。系に意思はない。系はただあるだけなのだ。

{選んだときに現実のものとなるということだ。}

 もちろん、観測者が39度にしようと思った時に、水がそれじゃ水温を39度にとしたわけじゃない。水の温度がまずあり、それが水温計に作用してそうなったのである。観測者が選んだから水温が39度になったわけではない。水温はエネルギー不変則にのっとっている。これを観測するか否かはエネルギー不変則に関係はないから、観測の有無は水温に影響はしないのだ。先に現実がある。天才量子学者はそれをただ観測するだけだ。

 ただ、マクロの世界と違い、量子の世界では観測は世界を決定する力がありそうだから、眼力というものすごいエネルギーが放射されているのかもしれないが、その時は水温はその眼力によって上下する可能性もある。しかし、量子の世界にしか通用しない眼力のようでもあるから、微々たる力しかないのであろうから、無視していいということだろう。

 人間はそんなに偉くないんだから、出来事は出来事である。見ただけで世界が動くはずはない。それが量子の世界であっても。現実は天才量子学者が観測しようとしまいと関係なく現実である。天才量子学者が{選んだときに現実のものとなるということ}だというけど、いつから天才量子学者は世界の物質を自由に現実のものにしたり、幽霊{ゴースト}にしたりできるようになったのだろうかね。世界の天才量子学者のおれが選んでやったから、お前は現実のものとなれたんだぞ、ありがたく思えっていうことなのだろう。偉くなったもんだねえ!確かに奇妙だわ。

 

@{見てもいないのに電子がどちらかの孔を通過すると推断すると誤りを犯すことになる。}

A{起こりうる干渉は、銃を飛び出た電子が視界を離れたとたん消え去り、代わりに多くのゴースト電子がそれぞれ違った道を通って探知スクリーンに達するとして、解釈できる。}B{われわれが見ると一つを残してすべてのゴーストが消え、その一つのゴーストが本当の電子になる}

(考察)

ア @とAの矛盾

 @では見てもいないのに推断すると間違う、と述べている。しかし、Aでは、見てもいないのに、ゴーストになると解釈できる、という推断をしている。どちらが正しいのか

イ @とBの矛盾

 Bは、天才量子学者が、ゴーストが飛んでいるところを見てもいないし、消えるところも見ていないのに、ゴーストが消えて、一つが本当の電子になると言っている。やはり{見てもいないのに}{推断}している。天才量子学者だから{推断しても}{誤りを犯すことに}はならないようだ。都合がいいこと。まあ、天才のやることに間違いはないって鼻高々なんでしょう。

ウ B電子とゴースト電子の関係

 Bにはそのほかに大きな問題が含まれている。電子と電子のゴーストの関係だ。本当の電子が、無数のゴースト電子に分かれるときの、エネルギーはどこから来るのか。又、消えるときはゴースト電子が持っていたエネルギーはどこに行くのかである。

 物が二つになるときは、それぞれがもとのエネルギーを分けて持つ。増えも減りもしない。ではゴースト電子は、どのように本当の電子のエネルギーを分けて持っているのだろう。分けて持っていたエネルギーを、見られた途端に本当の原子に素早く返すのはどのような方法なのだろう。解明できていないでしょう。その気もないでしょう。幽霊だから、幻で、エネルギーも、実態もないのだからというのかもしれないが、実態がないものが干渉するのはどのような、ゴースト世界の反応なのだろう。干渉の波は、エネルギーの増幅と、打ち消し合いで起こるといっている。ゴースト電子もエネルギーを持っているということだ。そのあたりの解明をするべきである。

まあ、幽霊の世界のことだからわれわれの世界とはまるで違った法則で動いているから、いいんだ、というのだろうか。

 もうひとつ、無数のゴーストが、人に見られたと感じるのは何によってなのだろう。ゴースト電子に目があるわけじゃなし、耳があるわけじゃなし。人間に見られたと感じるのはゴースト電子のどのような器官によるどのような感覚なのだろう。幽霊だから、勘が鋭いし、人間には説明できない不可思議な感覚を持っているというのでしょうが、そりゃちょっと都合がよすぎはしないでしょうか。

もうひとつ。{われわれが見ると一つを残してすべてのゴーストが消え}ということは、天才量子学者の{われわれ}はゴースト電子を見たということになる。そして、{一つのゴーストが本当の電子になる}というのだから、観測者は、ゴースト電子を直接見、その後、ゴースト電子が本当の電子に変化するのを観察したことになるはずだ。

ゴースト電子と、電子の違いとか、ゴースト電子の収束する現象とかを観測できたはずだ。

しかし、そんな反応は観測できなかっただろう。実際に、ゴースト電子を観測したこともないし、ゴースト電子を見たら、ゴースト電子が収束して電子に化ける姿も観測していないはずだ。みんな空想にしか過ぎないのだ。科学者が嘘をついたらだめだ。見たことと見なかったことはちゃんと区別しなくてはならない。科学の常識だ。あ!そうか。常識を否定することが量子学者の得意技だったのだ。

 

結論

{われわれが見ると一つを残してすべてのゴーストが消え、}という現象のうち{われわれが見ると}ということは今まで一度もなかったということだ。見もしないのに、ゴースト電子は、普通の電子になったということだ。論理が破たんしているといえる。

実際は、量子学者の理想と違って見ようが見まいが最初から最後まで電子であったということだ。

まあ、科学にゴースト(幽霊)が出てこなければならないのだから、科学も地に落ちたものだ。SFなんてものもあとで出てきてるから、そのうち蛇使いとか、手品師とか、霊能者とか、魔法使いなんかも出てくるのじゃないかしら。神様も出てきそうだけど、量子学者がこの宇宙を現実化しているようだから、神様はいらないみたいだ。楽しそう!

 

 つづく 2014,2,11