シュレディンガーの猫について4

(「シュレディンガーの猫(下)」ジョン・グリビン,坂本憲一・山崎和夫 訳,地人選書)

(以下{ }内は上記本よりの引用)

 著者 高田敞

     



問題

{電子が、ある確率で一方の孔を通過できるのなら、同じ確率で他方の孔も通れるし、干渉が探知スクリーンに回折パターンを生む確率だってある。}

考察

1 {干渉が探知スクリーンに回折パターンを生む}

干渉は、二つ以上の波が重なりあってできる。回折は孔を通った波が、孔の向こう側で広がっていく現象である。現象が違う。したがって、干渉が探知スクリーンに生むのは、干渉パターンのはずである。{干渉が探知スクリーンに回折パターンを生む}というのは間違っている。これくらいのことは、学者なら知らないはずはない。この本にも、ちゃんと説明してある。

ではなぜまぜこぜにしているのか。簡単である。不確定性をでっち上げるためである。干渉と回折が同じものであるかのようにしないと、不確定性原理が生まれないからである。

1個1個の電子は回折パターンを生むが、干渉パターンは生めない。しかしここで混同させておけば、回折と干渉は同じになる。だから、回折なのに、干渉しているになる。すると、1個の電子が本来回折しかおこしていないのに、干渉を起こしたことになる。干渉を起こすには複数の波が重なる必要がある。複数の波があるということは、1個の電子が、多数に分かれ、二つの孔を通り、多数の波になり、重なり合ったということが言えるということになる。

反対に、回折と干渉が違う現象であると明確にすると、回折パターンだから干渉パターンではないことになる。電子は孔を通っても、干渉しないことになる。干渉しないと、電子は重ならない。電子は1個のままでよくなる。すると孔が二つあっても電子は1個の孔を通ってそのまま一つの波として回折だけしてスクリーンに到達してしまう。同時に多数に分かれて二つの孔を通ったとはいえなくなる。不確定性原理が言えなくなってしまう。

それを言いくるめために干渉と回折をわざと混ぜて使っていると思われる。

この本では{探知スクリーンに回折パターンを生む}と述べている。これからすると、1個の電子は、1個の孔を通り、その後回折し、スクリーンに回折パターンを生んだということになる。波の普通の現象である。量子学者の望む、1個の電子が多数に分かれて二つの孔を通り、その後回折し、回折した電子の波が重なって干渉するという現象は起こらない。干渉したなら、スクリーンに回折パターンではなく干渉パターンを描かなければならないはずである。それが回折パターンであるというのだから、干渉は起こっていないといえる。1個の電子は最後まで1個の電子のままであるといえる。不確定性はないということである。

結論


科学はインチキをしてはだめだ。科学の議論はディベートではない。ディベートは、言いくるめるために議論する。云い負かした方が勝ちだ。だが、科学の議論はなにが事実かを見つけるためにするものだ。議論をすることで、互いに、真実に近づこうとするためにするのだ。方法を間違ってはならない。