シュレディンガーの猫について5

(「シュレディンガーの猫(下)」ジョン・グリビン,坂本憲一・山崎和夫 訳,地人選書)

(以下{ }内は上記本よりの引用)

 著者 高田敞

     


問題 物事の確率を現実に見ることができるか。
考察
 確立とは、起こっていないことが前提である。起こったことに確率は存在しない。そして、この世界は起こったことしか存在しない。だから、事実には確率は存在しないといえる。物事の確立を見ることはできない。

 天気予報を見てみよう。明日の天気の雨の確率が30%、晴れの確率が30%、曇りが40%と発表された。このとき、明日は雨と晴れと曇りが、30,30,40の割合でまざって存在しているといえるだろうか。否である。なぜなら明日はまだ存在していないからである。まだ存在していない明日のすべての出来事の中で明日の天気だけが存在することはできないからである。

 確立とは、人の想像の産物である。事実の中ではなく想像の中にしか存在しない。

 今日の天気は晴れていれば、100%晴れである。その他の天気は0%である。いや%そのものが存在しない。出来事は起こったことしか存在しない。明日の天気は起こっていないからいくらでも高等数学による計算や統計から予想はできる。晴れや曇りの確立が出る。なぜなら、人間は完全に翌日の天気を予想できないから起こる確率になる。翌日、実際に起る天気は一つである。人間の想像の中には様々な状態が空想できても、実際に起こることはたった一つしかない。それを知りようがないから、人間は確率を持ち出すのである。もし千里眼があったら、翌日の天気を見て、100パーセントあてられるだろう。当たり外れの確率はない。

今現在の天気は見ることができる。しかし、予報は、見ることができない。それはコンピューターの中の 計算にすぎない。実際の自然現象ではない。


{「見てもいないのに電子がどちらかの孔を通過すると推断すると、誤りをおかすことになる。」}

 そのとおりである。人間はどちらの孔を電子が通るか、ちゃんと当てることはできない。そこで、こっちが50%こっちが50%とか予想する。

 大きなゲージがある。その中に鳥がいる。ゲージには穴が二つあいている。鳥がいなくなった。見ていないときは、鳥がどちらの孔を通って逃げたかわからない。{「見てもいないのに」鳥{がどちらかの孔を通過すると推断すると、誤りをおかすことになる。」}

 鳥がどちらの孔を通ったかわからないけれど、こちらの孔から逃げたのが50%他の方から逃げたのが50%の可能性がある、と考えられる。このとき、鳥は、2匹のゴーストになって二つの孔を通り抜けたのだ、などということはない。鳥はどちらかの孔を通ったのである。見てないからといって、2匹になって二つの孔を通ったなどということはない。

 マクロの世界だから2匹になれない、量子の世界では1個の電子がが2個になることができる、と言いたいのだろうけど、{「見てもいないのに電子が}二つに分かれるなんて{推断すると、誤りを犯すことになる。}」

 二つになるなんて推断してるとは書いてない、というかもしれない。{誤りを犯すことになる}という言い方でうまく尻尾をつかまれないようにしているだけだ。こういうのを、言葉巧みに良い抜けしているという。
 予想も、予報も、確率も、すべて、人間の想像の産物である。実際に起こったこと、あるいは起こっていることではない。存在しないことなので、もちろんみることはできない。

 

 2014,2,10
つづく(予定)