シュレディンガーの猫についてまとめ

(「シュレディンガーの猫(下)」ジョン・グリビン,坂本憲一・山崎和夫 訳,地人選書)

(以下{ }内は上記本よりの引用)

著者 高田敞

 

   シュレディンガーの猫について1


まとめ

1 測れない、という不確定性原理

電子を測るとき、γ線で測ると、電子が影響を受けるから測れない。

これは新幹線の長さを測るとき、100トンの物差しを上に乗せて測ると、新幹線がつぶれて正確な長さが測れないのと同じ現象である。 

 量子の世界も、マクロの世界も同じである。測れないのは量子の物理的特性の為ではない、人間が量子を測る物差しを作れないだけの話である。ミクロの世界が特別だということではない、人間がアホなだけである。

2 場所と速度は同時に測れないという不確定性原理

 新幹線を例にして考えてみよう。

 新幹線の速度を測ってみよう。速度を測るためにはA地点からB地点まで新幹線が動く必要がある。すると、速度が測れる。しかし、新幹線のいる場所は、A地点からB地点の間ということになり、ある特定の地点に決められない。場所はあやふやになる。

場所をA点と特定すると、今度は、距離と、その間の結果時間が0になる。速度=距離÷時間だから、速度が測れない。

新幹線の場合も、速度と場所は同時には正確に測れないということになる。

マクロの世界でもミクロの粒子で同じことが起こっているといえる。速度を測るためには、動くことで生じる、距離と、その間の時間がいる。動いているのだから、場所は1点に特定できない。反対に場所を特定すると、動いていないから距離と経過時間がなくなるから、速度は測れない。

 ミクロの世界もマクロの世界も同じである。量子の物理的特性によるのではない。物質の普通の物理現象である。

3 電子が二つの穴を通るときの不確定性

 電子も光子も、粒子であり、波であるという性質を持っている。

 だから、電子も、光子も、二つの穴を通ると干渉したり、回折したりする。水の波も、音の波も同じ現象を起こす。マクロも、ミクロも同じである。

 問題は、一つの電子を飛ばしたとき、観測すると、回折が起こらないが、観測しないと回折を起こす、ということだ。これは実証されたのだろうか。この本では、思考実験で行っている。実際の現象を観測したのではないということだ。不確定性原理が先にあって、それに合わせて電子がこう飛ぶだろうと推測したにすぎない。

観測していないときは、電子は二つのゴースト電子になり、それが回折して干渉し、模様を描くというのも実際に観測したのだろうか。観測していないのである。観測していないときはゴーストになると明言しているのだから。

 量子論者は、見ていないものは知り得ないことだ、と言っている。だから、観測していないときの電子については何一つ知らないということだ。ゴーストになったかどうかは知り得ないはすだ。

 電子を一つ一つ飛ばすと、回折のパターンが記録されるという。孔を通ると、波は回折する。これなら、普通の自然現象で、通常の物理学で十分証明されている。新たな証明はいらない。電子をゴースト(幽霊)にする必要もない。どうしても電子を幽霊にしたいなら、電子が、ゴースト電子になる化学反応を解明し、化学式を示さなければならない。ゴーストだから化学反応ではない、科学の域を超えた、神秘の現象だ。いや現象とさえいえない、などといわないでね。量子論も物理学の一つなのだから。ただ、この本ではその雰囲気はある。不確定性原理から生まれたゴーストは、もはや人知を超えた、不可思議である、というような。

原子が、孔を認識し、自らゴーストに化けるというのなども科学ではない。そもそも、幽霊など、科学には無縁のおとぎ話の中だけのことだ。

結論

 この地球上の物質は総て素粒子でできている。それ以外のものは混ざっていない、純粋な素粒子の塊だ。したがって量子の運動法則はマクロの世界も支配しているはずだ。

はっきり観測できないところには、想像という、不確定要素が侵入してくる。昔、小さな船しかなくて、海を渡れないときは、海の向こうには大きな滝があるとかいっていた。小さな望遠鏡ができたとき、火星に運河を発見した人がいっぱいいた。

 今もそうである。観測の正確にできる地球では今まで一度もかけらさえ発見されたことがないダークマターや、ダークエネルギーが、遠くて観測が非常に不正確な宇宙には、通常の物質の数十倍もあるというのだ。

地球も、宇宙開闢のとき、他の物質と同時に、無から、一瞬の1兆分の1の1兆分の1の時間でポンと生まれた(実際はポンと言えという命令が脳から0、1mmも進まないほど短い時間だ)というのだ。そんな短い時間では光でさえ0、1mmも進めないのに、この大きな地球が生まれたというのだ。その時地球はまだ生まれてなかったなんて言わないでね。ビッグバン宇宙論では、ビッグバンで宇宙のすべてが生まれたと言っているのだから、宇宙の一員である地球も形が違うだけでその時生まれているはずである。ビッグバン論者は、なぜか地球は最初からここにあると思っているみたいだが。なぜかビッグバン説の人は宇宙は地球中心説を端々で言っている。やはり、牧師さんが始めた理論だからかな。

まあ、誰も見たこともないし、これからも見られないからといって、宇宙論者も、相対論者も、量子論者も言いたい放題なのだ。

いかに量子論が常識を覆しているといっても、何ぼ何でも科学にゴーストやタイムマシーンはないでしょう。まあ、SFも出てきたし、魔法も出かかっているし、神様だってお出まししているし。科学は、また、中世の、神も悪魔も魔法も何でもありの、西洋科学の原点、神と、錬金術に還っていったみたいですねえ。えらい牧師さんたちは喜んでいるのじゃないかなあ。

 

これでおしまいです。おつき合いありがとうございました。

2014,2,20   高田敞記