シュレディンガーの猫について19
(「シュレディンガーの猫(下)」ジョン・グリビン,坂本憲一・山崎和夫 訳,地人選書)
(以下{ }内は上記本よりの引用)
著者 高田敞
問題
{われわれが実験で測定するのが量子世界のうちのどれであるかを決めるのは、したがってどの世界にわれわれが住むことになるのかを決めるのは、選択であって偶然ではない。}
考察1
{どの世界にわれわれが住むことになるのかを決めるのは、選択であって偶然ではない。}
問1 いつ、どのような理由で決めるのか。
ゴースト電子が、A孔を通っていることにするのか、B孔を通っていることにするのかを、いつ、どのような方法で決めるのだろう。
今日はA孔にしようとか前もって決めているのだろうか。それを決める根拠は何によっているのだろうか。どうせ、ゴーストはどちらの孔も通っているから、見た方に収束するから、どちらを選んでも必ず電子はあるのだから、どちらを選んでも電子に当たるのだから、どちらを選んでもいいということなのだろうか。量子学者が見た方に電子は来てくれるということなのだろうか。
はずれのない宝くじだ。どちらも1等賞だ。そんな宝くじ買ってみたいものだ。でもこれは宝くじどころではないですよ。A孔の時空に暮らすのか、B孔の時空に暮らすのかという怖い選択なのだから。今いる世界から、どこか、まるで違うこの宇宙でない宇宙に飛ばされるかもしれないんだから。多重世界の、SF小説でいえばパラレルワールドのどの世界になるか決められるのだから。
この宇宙は、観測されているだけで、120億光年ある。そこからさらにどこまで広がっているかわからない。その世界の中には観測した限りでは他の世界はないようだから、選んだほうが、この世界ならいいけど、違う方を選ぶと、その先に飛ばされるということになる。大変なことですよ。私なんか歳だから、思い切りジャンプしても、1mくらいしか飛べないのに、120億光年以上の距離を飛ぶんだから、命が無くなっちゃいますよ。心してかからないと。
いったい違う世界はどこにあるのですか。それを明示してくれなくちゃお話にもなりませんよね。SFだってちゃんと行先は書いてありますよ。
問2、誰がそれを選ぶのか
私は今まで、電子を観測したことがない。だから、選ぶのは私ではない。私の知り合いにも電子を見た人はいない。ひょっとして誰かとても優秀な量子科学者が勝手に選んで、勝手に彼の選んだ宇宙の住人として私を引き連れていっているのだろうか。
今これを書いている私は少なくともこの世界を他の宇宙から選んではいない。民主主義じゃないね。量子学者主権主義(量子学者がこの世のすべてを決定する主権を持った主義)ですね。怖いですね。知らない間に、何の相談もなく、違う宇宙に連れて行かれるんですから。
A孔を選んだ量子科学者の選んだ宇宙の住人になった私と、B孔を選んだ量子科学者の選んだ宇宙の住人になった私と、どちらの私が今これを書いてるのでしょう。感じている私は一人しかいない。もう一人の私は、何を感じているのでしょうね。もちろん同じことをしているわけはないですよね。他の世界の私と手紙でもネットでもやり取りしていないのですから。
事前に言ってくれれば、別れていく私にもう少ししっかり別れの挨拶をしたのに。もう2度と会えないのだから、せめて送別会くらい開けたろうに。やっぱり量子学者は孔を選ぶとき、事前に世界中の人たちに孔を選ぶから送別会をしとけよ、と知らせるべきですよね。でも知らされたって、誰と送別会を開けばいいのか困るけどね。相手が私なんだから。
結論
別の世界ができるなんて、SF小説じゃあるまいし。本当だというなら実証して見せるべきですね。実証は科学の常識だから。実証が必要だというのは、古典物理学の世界で、今の物理学は、実証などという旧態然とした常識は捨てた、というのでしょうね。相対論しかり、ビッグバン宇宙論しかり。量子論しかりですか。時々針の先ほどの現象を持ち出して、実証できたと胸をそらしてはいるけど、大概手前みそな解釈にすぎないんだから。
ということで、えらい量子学者X氏が選んだA孔世界と、天才量子学者Y氏が選んだB孔世界の、どちらがこの世界で、どちらがあの世の世界なのか、実際に見せてほしいものです。
問題2
{われわれが実験で測定するのが量子世界のうちのどれであるかを決めるのは、選択であって偶然ではない。}
考察
天気予報で翌日の天気の確立が、晴れ50%雨50%と予報された。翌日になり晴れを選ぶのは、われわれなのだろうか。雨を選ぶのも、われわれなのだろうか。違う。天気が自然現象として、人間とは関係なく、雨になったり晴れになったりするのだ。われわれはただそれを観測するだけだ。われわれが晴れを選んだのではない。雨を選んだのではない。マクロの世界では、自然現象は人間が選べるものではない。魔法使いじゃないのだから。
ではミクロの世界では、なぜ自然現象を人間が選べるのだろう。簡単である。思考実験であるからだ。実際の実験では現象はかってに起る。人間は観測するだけだ。しかし、思考実験は、実験道具も、実験経過も、実験結果も、みんな頭の中で空想するだけだ。中には紙に書いたり、コンピューターに計算させたりする人もいるが、それにしたって、実権者の考えた通りのグラフや計算である。自然現象と違い、考えている現象は、かってには動いてくれない。すべて、実験者が選択するしかなくなる。
ではなぜ実際の実験や観測ではなく、思考実験に頼っているのかというと測定ができないからだ。小さすぎて、正確な測定ができないからだ。不確定性原理が生まれた理由の一つに、電子を見ようとしてガンマー線を当てると、電子が動いて測定できないというのがあった。正確に測定する測りを量子学者も持っていないのだ。だから想像に頼るしかなくなるから、思考実験なるものを持ち出してきたのだ。
ここで問題なのは、ジョン・グリビンは、見ていないものは知り得ない、と言っている。2つの穴を通るのが本当の電子か、ゴースト電子かは観測していないから知りえないことになる。すると、いかに思考実験でも、電子がどうなるか想像しようがなくなるはずだ。ところが量子学者はそれを知っているのである。量子学者は神様だから、何でも都合次第で作ったり、知ったり、知らなかったりできるようだ。というより、思考実験だから、何でも好きに考えればいいから何でもできるのだ。電子が幽霊になろうが化け物になろうが、怪獣になろうが、宇宙人になろうが、思考実験者の勝手なのだ。
ところが自然はそうはいかない。電子がどちらを通るかは、電子の軌道による。電子の自然現象の動きだけに支配されている。天才量子学者が選択したからではない。そうだというなら、天才量子学者の目から何が飛び出して、電子の何に影響して、電子を量子学者の思う通りの穴に移動させるのか、理論を示し、実証しなければならない。天才の素晴らしい高等数学を駆使して、証明してみせるといい。
ゴースト電子は、見ると電子になるから見ることはできない、と言って、実証できないから、実証しなくていいと言い訳するのだろうけど、決して観測できないもの、は、そんなものがないことの証明にはなっても、ある事の証明にはならない。どんなことをしても見えない、どんなことをしても観測機器で観測できないということは、限りなくないということだ。幽霊でさへ見たという人がいるのに、いないというのが定説なのだ。
自分たちの理論の証明の為に観測できないものを持ち出して証明する。まるでSF小説の手法だ。SF小説も、架空の実験や物質や現象を持ち出して、いろいろな化学原理や、現象をもっともらしく証明している。SF小説の中だけに通用する原理が出来上がる。
この本の量子論もそうだ、量子論の中だけに通用する原理が出来上がっている。しかし共に、実際には通用しない原理である。
結論
この実際の世界は、いかに量子学者が天才でも、思い通りにはならないものですよ。残念ながら。