シュレディンガーの猫について20

(「シュレディンガーの猫(下)」ジョン・グリビン,坂本憲一・山崎和夫 訳,地人選書)

(以下{ }内は上記本よりの引用)

著者 高田敞

 

     


問題

{多重世界理論の私の解釈によれば、世界を知覚するわれわれの意識に関する限り、未来は確定していないが、過去は確定している}

考察1

 常識者の{私の解釈によれば、世界を知覚するわれわれの意識に関する限り、未来は確定していないが、過去は確定している}

 

 気象を考える。明日の天気は予報である。これは確定していない。だからよく外れることがある。昨日の天気は決まっている。これはすでに起こったことであるからである。今の瞬間に、その時の天気の現象が起こる。その時天気は決まる。そしてそれが過去になるから、過去の天気は決まる。なんの不思議があるのだろう。

といっても過去の天気など存在しない。あるのは今だけであるから、過去はもう存在しない。昔あった天気ということだ。今起こっている天気には確率はない。起こっていることは一つしかないからだ。しかし「今」という時より未来のことはまだ何も起こっていないから、現実の事象は存在しない。あるのは人間のする予測だけだ。予測は人の頭の中の思いであって実際の現象ではない。

天気予報は、あすの天気や明後日の天気など未来の天気が既に存在していて、それを人間が知らないから予報しているということではない。未来はまだ起こっていないから、どうなるかわからないから、統計的なデーターから推論して、予報を出しているのである。未来の天気が確率的に既に存在していて、ゴーストになって重なって出番を待っているわけではない。まだどんな天気もないのだ。

結論

これが一般的な常識である。したがって、上記のことは、「古典物理学の常識的理論の私の解釈によれば、天気に関する自然現象に関する限り、未来の天気は存在していないが、過去の天気は確定している」と言い換えられる。

要するに、未来は現象は存在していないから、想像するしかない。現象が確定するのは今の瞬間である。だから、過去も確定しているというのは、{世界を知覚するわれわれの意識に関する限り}などというのは関係ないことである。われわれの意識など、今この瞬間の天気になんの関係もない。われわれが晴れを選べば晴れになり、雨を選べば雨になる、というなら、やってみてください。干ばつに苦しんでいるところに行って雨を選んであげると大喜びされますよ。

いや、この天気は、われわれが、あるべき確率の中から選んだ結果なのだ、というのですかね。干ばつ地帯で雨を待っている人たちはどうして、晴れを選ぶのかね。

{世界を知覚するわれわれの意識}とは何なのか。それは質量があるものなのか。重力は持っているのか。強い力や弱い力は持っているのか。どのような方法で意識を自然に伝えるのか。自然はどのような受容体で{われわれの意識}を受け取るのか。自然はそれをどのような手段で具現化するのか、そのあたりを科学的に究明する必要がありますね。

まあ、大げさなこと言ってるけど、{未来は確定していないが、過去は確定している}なんて、当たり前のことでしょ。子供だって知ってるよ。それを、{世界を知覚するわれわれの意識}なんて、量子学者は神に匹敵する素晴らしい生き物なんでしょうが、ちょっと鼻が高すぎやしないですか。