シュレディンガーの猫について13

(「シュレディンガーの猫(下)」ジョン・グリビン,坂本憲一・山崎和夫 訳,地人選書)

(以下{ }内は上記本よりの引用)

 著者 高田敞

     

問題1

{放射性崩壊が起こる確率と起こらない確率は重ね合わせの状態になるはずである。}

考察1

確率が重ね合わせの状態であるというのである。確率はまだ起こっていない事象についての憶測である。すなわち架空の話である。重ね合わせようが、反対向きであろうが、逆立ちしてようが、確率は、1から10まですべて頭の中の憶測にしか過ぎない。実際の出来事ではない。5対5であろうが、99.9対0.1であろうが、憶測は憶測である。出来事でも実際の事象でもない。

出来事は起こったことしか存在しない。天才量子学者が確率を計算してやれば、事前に確率が重ね合わさってリアル(実在)になり、天才量子学者の観測を「私を選んで」とドキドキしながら心待ちにしていることになることなどない。確率は事象ではない。妄想にしか過ぎないことを知らないのかしら。不思議だ。

量子学者が観測しないと何事も重ね合わせの状態でいつまでも待っているなんていうのは、量子学者の、おごり高ぶりもいいとこだ。世界一の頭脳かもしれないけれど、少しは謙虚になったらどうだろう。

考察2

{なるはずである。}といっている。見ていないのだ(まあ、当然だが。そんなものは存在しないのだから見ることはできない。空想を見ることなどできない。ないものはないのだ)。見ていないものは知ることはできない、と著者は言っているのだから、見ていない電子が、{重ね合わせの状態}であるということは知ることはできないはずだ。だが、重ね合わせになっているのはわかるという。矛盾である。都合のいいことだけは見ていなくても知ることができるらしい。

出来事は、放射性崩壊が起こったか起こっていないかのどちらか一方しか存在しない。出来事が重なることはない。起こったことと起こっていないことが重なることはない、そのような状態が現実の現象になることもない。

結論

{確率は重ね合わせの状態になる}ことはない。確率はパーセントで表せるが、それは数学上の机上の空論なのだから、実際になにかがその割合で存在することではない。事実は一つしかない。

 

問題2

{われわれが実験装置をのぞくまでは重ね合わせが「現実」であり、われわれが見たとたんに波動関数は崩壊してあるべき二つの状態のうち一つになるという法則に、猫も含めて実験全体が支配されているのだ。」

考察

のぞくまでは重ね合わせが「現実」であり}

 のぞくまで}ということはそれ以前は見ていないということである。量子論者は見ていないものは知りえないといっているのに、見ていないのに、どうして{重ね合わせが「現実」であり}ということを知りえたのか。

これもご都合主義だ。自分の都合に良いように理論を理由もなく変更する。

重ね合わせが「現実」であり}

崩壊が起こった状態と、崩壊が起こっていない状態がどのように重なり合っているのかその重なり方について説明しなくてはならない。どちらかが上になっているのか、あるいは、横に並んでいるのか、入れ子状態になっているのか、ホラー映画にあるように、肉体と魂が癒合するような形なのか。

現実なら必ず重なった状態があるはずである。それを示さなくてはならない。見るとなくなるから、想像か高等数学で計算するかして推測しなくてはならないだろう。重ね合わせが「現実」}というのが推測できたのだからできるはずだ。

推測でも計算でもいいけれど、崩壊の状態と、崩壊になっていない状態は、相反する状態である。それが一つの放射性粒子に同時に起っているというのは常識では矛盾があるから、とても計算しがいがあるのじゃないだろうか。

問題3 雲のような状態

重ね合わせの状態が分からないから雲のようになっていると適当に言っているわけではないはずだ。天才科学者が適当なことを言うわけはない。きっと根拠と、難しい計算があるのだろう。しかしここではそれが説明されていない。

重なるとどうして雲のようになるのか。空の雲は何一つ重なっていない。雲は水滴か、氷の粒でできている。これらは重なってはいない。くっつくと、落ちていき雨や雪になる。くっつきはするが重なりはしない。人間にはもやもやにしか見えないが、ちゃんと秩序だって、この世界の物理法則を一つも逸脱していない。人間が見るとはそんなものでしかない。いくら雲が物理法則どおりに動いても、人間はそれを一つも解っちゃくれないのだ(気象学者はわかっているようですが)。重なる状態と、雲の状態はまるで違う。重なるともやもやっとした状態になるといいたいのだろうけど、根拠など何もない。もちろん高等数学で計算したわけでもないのだろう。まるっきり漫画の発想だ。なんかわからないから、もやもやっと描いとこう、くらいなのだろう。なんにしろ、重なると雲状になるという原理と根拠を示すのが科学である。そんなことは現実には起こっていないのだから、できるわけないでしょうけど。

相変わらず、これも電子が雲のようになっているということを観測したわけではない。見ていないのに、雲のようになっていると言っている。

自分たちの論理に都合が悪いことは、見ていないのにわかるわけがないだろうと言って反対の証明もしないで退け、自分たちの論に都合がいいことは、見ていなくても推測でわかるというのだろう。

問題

{われわれが見たとたんに波動関数は崩壊してあるべき二つの状態のうち一つになる}

考察

 われわれが見たことが、どのような力を発揮して、重ね合わせの一つを消すのか。眼力なのか、それとも何か特別な光線が目から出ているのか。その科学的仕組み(もちろんSF的仕組みではなく)を究明すべきだ。

科学なら、仕組みを述べて、高等数学で計算し、実証で証明しなくてはならないはずだ。そんなことが{現実}に起こっていないからできないでしょう。

もし、電子を測るのに、γ線を当てると電子が飛ばされて正確に測れないから、観測者の行為が測られる物に影響するなんてことから眼力も影響するなんて思っているなら大間違いである。γ線はエネルギーを持っている。眼力はエネルギーを持っていない。だから、γ線は電子に影響する。しかしエネルギーを持たない眼力は電子に影響することができないはずだ。そのあたりの科学的な仕組みを書くべきである。

一歩譲って、波動関数なるものがこの世界のどこかに実態として存在し、それが崩壊して一つになるとしよう。その時どちらが残りどちらが消えるのかの選択はその瞬間にどのように行われるのか。観測者の意志によるのか、眼力によるのか、偶然決まるのか、それとも、ほかのなにかが決めているのか、はっきり根拠とともに示さなければならない。

 又、見てからどちらかを選ぶのだから、最初に二つの重ね合わせの状態を見なければならない。二つを見るから二つから選べる。見ないと二つか一つか百個(この本では多数に分かれると言っているところもある)かそれすらわからない。見ないことには選べない。見てから選んで、選ばれた方に収束し、そして孔を通ることになる。

この本では、そうではなく、なぜか見たときにはすでに選んだ1つになっているようだ。重ね合わせは見ていないようだ。

重ね合わせが、いつひとつになったのだろう。観測者が見て選択して始めて一つに収束するのだから、見ないうちは必ず重ね合わせのはずだ。選択するのだから、必ず両方を見なければならないということもある。見た瞬間に選択し収束し一つになるということなのだろうか。では、重ね合わせから一つになる間の反応時間はどれくらいなのか。ゴーストだから反応時間もゴーストなのだろうか。

見たときは、重ね合わせの状態なのだろうから、見たときには、両方の重ね合わせ状態が見えているはずである。崩壊したのと、崩壊しないのが重なっている状態はどのように見えるのか説明しなければならない。

そのあたりは非常にあいまいである。おそらく、考えたのだが矛盾を解きほぐせなかったから、知らんふりすることに決めたのだろう。どんな矛盾かというと、見たときは一つである。しかし選ぶには重ね合わせを見なければならない。しかし見たときはすでに一つだから重ね合わせを見ることはできない。しかし重ね合わせを見なければ選べない。と際限ない。この矛盾が解けないのだろう。

 

 また、われわれということだから、複数の人が見たことになる。一人が、崩壊した、一人が崩壊していないと観測したらどうなるのだろう。観測するまでは重ね合わさったままだし、確率は5分5分なのだから見方によってどちらも選べるはずだ。われわれが事前に相談して、どちらかに決めていない限り、人によって選ぶものは異なるはずだ。

 そのあたりはどうなっているのだろう。

 

結論

のぞくまでは重ね合わせが「現実」であり}が間違っていることから矛盾が生じている。重ね合わせは想像の産物である。重ね合わさった状態は、超高等数学の計算の中にはあるかもしれないが、実際の現象の中には存在しない。だから、雲のようなという適当な表現を使うしかない。どのような状態なのかを言葉でさえ表現できない。証明するなら、実物を観測して証明するしかない。それが科学の常識だ。量子の世界は常識では図れない、というのでしょうけど。