シュレディンガーの猫について14
(「シュレディンガーの猫(下)」ジョン・グリビン,坂本憲一・山崎和夫 訳,地人選書)
(以下{ }内は上記本よりの引用)
著者 高田敞
問題
{われわれがのぞくまでは、猫は、死んでいると同時に生きている。あるいは生きていないと同時に死んでもない状態にあるのだ。}
考察
{死んでいると同時に生きている}猫はどのような猫なのか。説明がいる。この猫は心臓が動いているのか動いていないのか。同時に心臓が動いており又動いていない猫はどのような猫なのだろう。かなり詳しい説明がいるはずだ。生命とはなにかの根源にも関係する大問題である。
もちろん、そんな猫はこの世に存在しない。屋根の上にも、炬燵の中にも、どこにもいない。炬燵の中の猫は誰も見ていないとき{死んでいると同時に生きている}のだろうか。そんな猫がこの地球上のどこにいるというのだろう。見せてほしいものだ。見世物にすれば、いっぱい儲かるよ。
もちろんそんな猫がこの世にいるなんて生物学者は思ってないし、量子学者だって本当は一つも思ってはいないんでしょ。だから困っているんでしょ。問題が難しいということにして逃げてるんでしょ。認めると波動関数を否定しなくちゃならないから。そうすると量子学会から放逐されるかも、と思ってたりして。
猫が死んだのはいつか。心臓が止まった時だ。素晴らしい量子学者が確認した時ではない。その証拠に箱をそのまま放置しておけばいい。5年待って箱をのぞいてみよう。量子学者はその途端に猫が死んでいる状態と、生きている状態の重ね合わせから一方に収束したというだろう。しかし、素晴らしい物理学者が選ぶのは必ず猫の白骨死体である。生きた猫を選べない。量子学者は素晴らしい天才かもしれないが、魔法使いではないから生きている猫の方を絶対に選べない。
もちろん選んでいるのではない。ただ猫の白骨死体を発見しただけだ。
では、いつ猫は白骨死体になったのだろう。見た瞬間に収束して白骨死体になったのだろうか。猫は素晴らしい量子学者がのぞく前にすでに死んでいたのである。その後、身体が腐り、5年かけて骨になったのである。素晴らしい量子学者が見ようが見まいが、猫が死んだのは猫の心臓がとまった時である。人間の見た、見ないはなんの関係もない。
人間でもよくある。独居老人が亡くなっているのが発見されたというニュースがある。死後1カ月たっていた、とかいうこともある。決して発見されるまで{死んでいると同時に生きている}状態でいたわけではない。死後1カ月と、判定されたとき大急ぎで、1カ月前に戻って、そうだったんだ、1か月前に死んでいたんだ、よく知らせてくれました、と言って死ぬことになるわけでもない。死んだ時が死んだときである。発見者とはなんの関係もない。
生物が死ぬのは素晴らしい量子学者が観測したから起るのではない。勝手に死ぬのだ。地球上で無数の生き物が毎日死んでいる。天才量子学者が見ようが見まいがである。
恐竜の化石が発見されたとしよう。この恐竜は、発見されたとたんに、1億年の時間をさかのぼって死に、それからもう一度現在まで時間をたどり、大急ぎで化石になったのだろうか。見られた、大変だ、と大急ぎで死に、大急ぎで化石になったのだろうか。発見されたとたんにそれだけを一瞬でやり遂げたのだろうか。
素晴らしい量子学者がいない時代に恐竜は勝手に生きそして勝手に死んだ。素晴らしい量子学者が化石を発見してくれたから、時間をさかのぼって生まれ、生き、そして死んだわけではない。見てくれないからといって、{死んでいると同時に生きている。}の重ね合わせで1億年を過ごしたわけではない。
ハッブルディープフィールドの写真がある。ここには初めて発見された銀河が無数に写っている。この銀河は、発見されるまで、あるとないが重ねあわさっていたのだろうか。否である。写真に撮られて、人が見たとたんに、100億年もさかのぼって、銀河があると銀河がないの重ね合わせを銀河があるに収束させたのだろうか。人が見るだけで、巨大な銀河が生まれるのだろうか。銀河に比べ量子にもならないちっぽけな人間が見ただけで銀河ができるというのだろうか。太陽の動画を見るといい。あぶくに見える燃え盛っている一つ一つが地球の何倍もある。地球の何十倍もの炎が噴きあがる。それを、量子学者が見るだけで、リアルにできるというのだ。銀河にはそれが1千億はあるという。銀河を生むエネルギーはどこから持ってきたのか。もしそんなことができるなら、地球上で、見ただけで石油を作ればいい。見ただけで、米を作ればいい、見ただけで麦を作ればいい。百億光年も先の宇宙に、地球上の米と麦をすべて合わせたものの、1兆倍の1兆倍の1兆倍より巨大な銀河を作るよりよっぽど簡単なはずだ。
なぜできない。簡単だ。量子学者ができることは、小さすぎて見えない量子の世界の中だけなのだ。誰もまだ正確には何もわからないから推測だけの世界の中だけなのだ。わからないから反論もできない、言ったもん勝ちの世界の中でしか、何もできないのだ。正確に事実を観測し実験できるところでは、米粒一つ選べないのだ。
結論
なぜ、シュレディンガーの猫は、生きていると死んでいるが重なるのだろう。簡単である。シュレディンガーの猫の実験は空想の産物であるからである。この実験を実際にやった人はいるのだろうか、いないだろう。いろいろ理屈をこねくり回す人はいっぱいいても本当に実験した人はいないだろう。だから、猫が重ね合わせになるのである。実験そのものが空想であり、事実でないからである。空想なら何でもできるのは周知のとおりだ。象が耳をはばたかせて空を飛び、机の引き出しに入ると違う時空に飛んでいき、蜘蛛と人間が重ね合わさったり、と何でもありだ。
ではなぜ量子論学者は科学の方法論では必ず行わなければならない実証実験を行わないのか。難しい実験ではない。箱と、猫と、それから少々の放射性物質があればできる実験である。学者なら簡単にできる実験である。人道的見地から、猫がかわいそうだからとでもいうのだろうか。1時間して箱を開け、生きている方を選べば猫には害はない。
理屈ばかりこねまわして決して本当にやろうとしない。なぜか。簡単だ。猫が重ね合わせになんかならないことをちゃんと知っているからだ。常識を馬鹿にしていながら、実際は猫の死は観測した時ではなく猫の心臓が止まった時だという常識に完全にとらわれているのだ。ま、それが事実なのだけど。
問題
{量子世界について確かにいえるのは、常識を信用すべきではなく、信じられるのはわれわれが直接目にする計器で持って疑いようもなく探知できるものだけということだ。目で見ない限り、箱の中で何が起こっているか、われわれは知らないのである。}
考察
ア 常識と非常識
そのとおりである。見ていないのだから知らないのは当然である。これは人間の認知力が限界を持っているということの証である。神ならば、見なくてもすべてお見通しということになるのだろうが、人間はそうはいかない。なにも、太線にするほどのことでもない。常識以前の常識である。{常識を信用すべきではな}い量子学者が、常識どおりの考え方をしている。
イ 知らないのに知っている
{箱の中で何が起こっているか、われわれは知らないのである。}と言いながら、箱の中では猫の生と死が重ね合わさっていると断言している。知らないのに知っている。何故それがわかったのか。量子学者に都合のいいことだけはわかるものらしい。
結論
量子世界は違うというのだろうけど、世の中のことは、常識で動いているのである。古典力学で必要十分に説明できるのである。手柄を立てたいために奇想天外なことを持ち出すのは、駆け出しの芸術家によくある手法だ。
問題
{死にかつ生きている猫の「リアリティー」を認めなければ、厳密な意味でのコペンハーゲン解釈とは折り合いが付けられない。そのためにウィグナーとジョン・ホイラ―は原因と結果が無限に回帰するのだから宇宙全体の「本当の」存在とは理性的な人々によって観測されるという事実のみによって成り立っているのではないか、と考えるまでに至った。}
考察
{死にかつ生きている猫の「リアリティー」を認めなければ、厳密な意味でのコペンハーゲン解釈とは折り合いが付けられない。}
死にかつ生きている猫の「リアリティー」は存在しない。あるなら見せなければならない。言うのだろう。見たとたんにどちらかに収束するから見ることはできないと。うまい言い訳だ。
では、見ていない猫が{死にかつ生きている猫の「リアリティー」}を持っているとどうして知ったのか。矛盾である。
先に書いたように、見て選ぶのだから、見た瞬間は{死にかつ生きている猫}を見るはずである。見たとたんに一つに収束するから観測できないということはない。
心臓が動いている、かつ、心臓が止まっている猫など存在しない。{死にかつ生きている猫の「リアリティー」}は存在しないということである。このことから行きつくのは、量子学者にはショックであるだろうけど、{厳密な意味でのコペンハーゲン解釈}が間違っているということを実証しているということだ。
考察
{宇宙全体の「本当の」存在とは理性的な人々によって観測されるという事実のみによって成り立っているのではないか}
理性的な人がいなければ、{{宇宙全体の「本当の」存在}がないということになる。西暦1500年には、理性ある人たちは、地球を中心に宇宙が回転していると言っていた。地球は宇宙の中心で静止していた、と言っていた。その時宇宙は地球を中心に回転していたのだろうか。そんなことはない。その以前は、地球の端から、海が滝のように流れ落ちていたと言っていた。又、亀が地球を支えていた、とも言っていた。現在の理性ある人たちは、宇宙は、10−23秒で全宇宙の物質が生まれたと言っている。こんな短い時間では文字一つ打てない。そんな短い時間で地球を含めてすべての星を作る元の素粒子ができたという。宇宙論も奇想天外だ。観測が不正確なところでは何でもありだ。否定する観測もないから言った者勝ちだ。
{目で見ない限り、箱の中で何が起こっているか、われわれは知らないのである。}のとおりだ。人が知ろうと知るまいと、中で起こっていることは確実に存在する。見ていないからといって、猫が人間になったり、放射性物質がリンゴになったりはしない。もちろん{死にかつ生きている猫}なんてものになることはない。天才量子学者が知らないだけだ。奇想天外な空想はしっかりするのだから、少し、理性で想像したらどうなんだろう。
もちろん、10−23秒で宇宙のすべてができたなんて、宇宙学者が言ったとしても、そのとおり宇宙ができるわけではない。
{理性的な人々によって観測される}{宇宙全体の「本当の」存在とは}高々そんなものだ。
宇宙も大変だ、そんな理性的な人々の認識で、あっちへうろうろこっちへうろうろしなくてはならない。この広大な宇宙の塵より小さな地球の、その中の塵より小さな人間の、その中のごくごく一部の理性的な人を探し出して、その言うとおりに動かなければならないのだから、まあ宇宙様、ご苦労をお察しいたします。
そういう非常識を正しいと認めなければ成り立たない、コペンハーゲン解釈が正しいという根拠は奇抜であるというだけである。
結論
{宇宙全体の「本当の」存在とは理性的な人々によって観測されるという事実のみによって成り立っている}とある。宇宙は観測されたことしかわかっていない。ビッグバン宇宙論は、観測されていないことで成り立っている。観測されたということもほとんど、手前みそな解釈だ。ハッブルディープフィールドは、それまで何もない空を撮影した。すると、無数の銀河が写った。もっと性能のいい望遠鏡ができたら、ハッブルディープフィールドに移っている、銀河と銀河の間の何も映っていないとk炉を映してみるといい。きっと無数の銀河が写ることだろう。ハッブルディープフィールドの銀河はハッブル望遠鏡で写したから、あわてたできたのではない。元からあったのだ。人間の生まれるはるか前から、厳然と存在したのだ。
人間なんて、地球に比べたら点にもならない。地球なんて、太陽系に比べたら点にもならない。太陽系なんて、銀河系に比べたら点にもならない。銀河系なんて、おとめ座超銀河団に比べたら点にもならない。おとめ座超銀河団なんて、宇宙に比べたら、無に等しい。その人間が見たからといて、何ができるのだろう。少しは机から離れて、空でも見上げたら。世界は広いぞ。見えないほど小さな量子ばかり考えてるから世界の大きさがどんなにすごいか見えなくなってるんでしょう。
2014,2,15 つづく