シュレディンガーの猫について12
(「シュレディンガーの猫(下)」ジョン・グリビン,坂本憲一・山崎和夫 訳,地人選書)
(以下{ }内は上記本よりの引用)
{シュレーディンガーの猫}
問題T
{放射性崩壊は完全に偶然に起こるので、統計的な意味でしか予測できない}
考察
そのとおりである。量子論者も時々は常識を思い出すようだ。
応用すれば、天気は{完全に偶然に起こるので、統計的な意味でしか予測できない}といえる。そのようなことは常識だ。量子に限ったことではない。
予測は事実でも出来事でもない。人間の勝手な妄想にしか過ぎない。統計とか高等数学とか使っても予想は予想であり、存在しないことで、事実ではない。天気予報も、スーパーコンピューターを使って計算している。しかし、どんなに高度な計算をしても、予測は、紙やコンピューターに書いた絵そらごとだ。実際の出来事ではない。
出来事(事実)はたった一つしかない。そして人間とは関係なく存在する。もちろん人間の予測とは何一つ関係はない。それが常識なのだが、この常識は量子学者は否定する。量子学者の統計的な予測は、実際の世界に絶大なる影響を与える。それどころか、予測がリアルであるとまで言っている。量子世界は、量子学者の予測どおりに動くと言っている。量子学者の考えたことが、現実の事象であるというのだ。SF漫画などでは時々みかける題材だけど、科学の世界まで、想念と現実が同じだというのは、どんなものなのでしょうかね。
問題2
{二つの孔の実験において電子がどちらの孔を通るかが等しい確率であり、二通りの可能性が重ね合わせの状態を作り出すのと全く同じ}
考察
天気を見てみよう。翌日の天気予報の、晴れと雨の確立が等しい確率としよう。この論からすると、晴れと雨が重ね合わせの状態を作って翌日の出番を待っているというわけだ。そして翌日気象予報官が観測すると、晴れと雨は予報官の観測した方の一つに収束するということなのだろう。
疑問T
重ね合わさった天気はどこで出番を待っているのだろう。
疑問2
予報官が2人いて重なっている天気の確立の中から一人が雨と言って、他の一人が晴れと言ったらどうなるのだろう。同時に両方はできないから、空もどっちを取っていいか大変だろうな。予報官を3人にするといいのかも、すると多数決がとれる。でも、晴れ、雨、曇りのとき、意見が割れると困りものだ。難しいことだ。
電子は、孔を通るまで重ね合わさって進んでいる。人間が見ないと、勝手に両方を通り抜け、人間が見ると、どちらか一つに収束して通り抜けるという。
電子は、見つからなければ自由奔放にしている癖に、上司に見つかると、ヒョイッと上司のお気に入りの行動を取る。裏表があるんだ。
疑問T
1個の電子が二つになり重なり、人が見ると眼力でどちらか一方になるのだろうか。観測で人間の目からどのようなエネルギーが出て、電子を一つにするのだろうか。その説明がない。
疑問2
2人の人が観測して、一人がAの穴を通った、他の一人が、Bの穴を通ったと観測したときはどうなるのだろう。電子はどちらに収束するのだろう。早い者勝ちなのかな。くじ引きなのかな。それとも見た人の地位の上下関係かな。頭のよさなのかな。
結論
確率は、おこる可能性にしか過ぎない。出来事ではない。人間の頭の中の想像にしか過ぎない。天気予報の確立がどうであれ、予報された天気は人間の頭の中と、コンピューターの中と、お知らせの中にしかない。実際の天気ではない。実際の天気は一つしかない。実際の天気に確率はない。
電子がどちらの孔を通り抜けるかの確率は人間の想像の中にしかない。実際の現象は人間の想像とは関係なく電子が通った方が実際の現象なのだ。おこることは一つしかない。確立が5分5分なら,5分5分で重なって見てくれるのを待っているとか、6、4なら6,4で重なって見てくれるのを待っているなどということはない。それは人間の脳みその中にある妄想にしか過ぎない。妄想、すなわち、脳みその中の電気の流れにしか過ぎない。
一個の電子が、波動の場合と同じ回折パターンを記すのは、電子が波であれば起こることだ。通常世界の水の波と同じ現象で、何ら不思議なことではない。もちろん、重ならなくても、二つに分離しなくても起こる。