「宇宙,無からの創生」(Newton別冊)への疑問と反論 25

著者 高田敞

 

 

     

(以下{ }内は上記本よりの引用)

 

{私たちの宇宙が生まれた瞬間は,奇妙な時間が流れていた}

 

問題1

この本で述べている、虚数時間の性質

・ {虚数の時間と実数の時間では,物体が運動する方向が逆になるのです。}

・ {虚数時間の世界では,加速度の向きは逆向きになるのです。}

・ {実数時間の世界で,重力の働く向きである下方に落ちていく物体は,虚数時間の世界では,正反対の上方へあがっていってしまうのです。}

考察

虚数の時間では運動する方向が逆になるというが、その根拠となる理論はあるのだろうか。虚数はマイナスとは違うのだから、単純に反対になるとは思えないのだが。マイナスとの違いをはっきりする必要がある。2乗するとマイナスになるからということかもしれないが、そのときはなぜ2乗するのかを実際の世界の状態から説明する必要がある。われわれの時間は、決して2乗して流れているのではないのだから。

時間とは何かがわからないから、虚時間というものがあるかないかも論じようがない。もちろん実証もされていない。

しかし、時間を測りだしてから、普通の時間(実数の時間)以外の時間の流れが観測された実例はない。現在も、世界中で、普通の時間以外の時間が測られていないことから、虚数の時間はないといえそうである。100億年に一度とか、「無」が存在したときに(「無」なのに存在するというのは変だが)だけ現れるとか、あの世では現れるとかの特殊な性質を持っているとすればあるのかもしれないが、現在のところ、虚数の時間は存在しないという証拠しかない。

結論

{量子論では,計算のテクニックとして,この虚数時間が使われていました}{(流れている時間は虚数時間ではありません)}ということだ。それを、便利だからというので、実際にながれていることにしただけだ。

{計算のテクニック、すなわちごまかしということだ、それを今度は、実際にあったということにする。少しづつ、本当のことからずらして行く。そして、虚数の時間が流れていることになってしまった。観測や実験の世界には、虚数の時間などないのにである。現実の世界と完全に相いれない世界があったことになっている。相対性理論からこういう方法が始まっている。科学の方法の原点に帰るべきじゃないだろうか。事実と食い違うことは排除していく。そして、より事実に近づいていくということに。

虚数時間は、インフレーション論特有の、都合のいいことは何でもあり、ということの表れだ。これも、紙と鉛筆の中にしか現れない現象ということのようだ。数式は数式にしかすぎない。それ以上でもそれ以下でもない。現実が現実以上でも現実以下でもないのと同様に。数式の意味は現実ではない。数式の現実は紙とインクである。100ケース×100個のリンゴの個数の式と、実際の10000個のリンゴとは異なる。かたや紙とインクであるが、かたや、本当のリンゴである。数式は食べられないが、本物は食べられる。いくら数式でうまくつじつまが合っても、現実に本物が存在しなければなんの意味もない。計算式は果物屋では売れない。