「宇宙,無からの創生」(Newton別冊)への疑問と反論 22

著者 高田敞

 

     

(以下{ }内は上記本よりの引用)

 

{時間をさかのぼると,とんでもない一つの「点」に行き着く}(P64)

 

問題

{一般相対性理論は,太陽付近での光の曲がりや,水星の正確な軌道など,実際に観測されていながら,相対論より前の理論では説明できないような現象を正確に説明できる非常に信頼性の高い理論なのです。}

考察

ア {太陽付近での光の曲がり}について

 これは太陽付近の太陽大気による屈折現象である、と{相対論より前の理論で}{正確に説明できる。}地球付近の星の光が、地球大気で屈折している現象は多数観測されている。星のまたたき現象がその例の一つだ。その他、日没時間と実際の日没の時間差などいくらでも実例はある。

相対論者はこれ(大気による屈折)を科学的に否定できないから無視しているだけだ。そうでないというなら、{太陽付近での光の曲がり}が、太陽大気の屈折現象でないと証明しなければならない。できないだろう。

根拠

・ エディントンの観測した星の光は、太陽コロナの中に写っている。大気は必ず光を屈折させる。

・ エディントンの観測した値はばらつきがあった。太陽重力がそのばらつきを与えるほど、瞬時に大きく変化することはない。したがって、相対論者は、エディントンの観測を誤差だといっている。中には、あの当時の観測機器の精度では測れなかったと、完全否定している人さえいる。しかし、{相対論より前の理論}で考えると、太陽大気は激しく変化しているから、星の光がまたたき現象を起こしているとしたらつじつまは完全に合う。

イ {水星の正確な軌道}について

 これは、太陽が楕円球であれば{相対論より前の理論}で{現象を正確に説明できる。}

 相対論者は水星の軌道の変化について、バルカンという星がなければならないと言っている。そして、バルカンはなかったから相対論の勝利だと述べている。

 しかし、もう一つの理由、太陽が楕円球だと水星の軌道は説明できるという説は無視している。バルカン星の存在は、太陽楕円説の反論を抑えるために、相対論者が言いだしたのではなかろうかという疑念さえ浮かぶ。センセーショナルなことをでっち上げて、わざわざ否定することで、平凡な真実から目をそらすという手だ。なぜかそれにそっくりだ。

バルカンがないことはちょっとした天文学者なら探す前から見当はつく。太陽が楕円球であるということは、太陽の自転から観測前から見当はつく。それなのにないとわかっているバルカンをあえて大きく取り上げて否定して、反対に、予想できる太陽が楕円球であることは知らんふりしている。かなりインチキくさい。

根拠

・ 太陽は楕円球であるのが観測されている。

・ 太陽は自転しているのだから、力学的にも、楕円球であることを裏付けている。地球も赤道付近が膨らんだ楕円球である。

・ 月も、楕円軌道を通りながら水星と同じように軌道を変えている。これは地球が楕円球であることからである。

以上のように、{相対論より前の理論}で{現象を正確に説明できる。}

結論

{相対論より前の理論では説明できない}ことはない。{相対論より前の理論}で{現象を正確に説明できる。}

科学は、それまで分かっている定説で説明できる現象を、それを否定する新たな理論の証明には使えないという原則がある。だから、あえて、{相対論より前の理論}を無視することで相対論の証拠としているのではないだろうかと勘繰ったりする。実際に、太陽大気の屈折であるということと、太陽が楕円球であるためであるという2点を、科学的に否定できるだろうか。できないだろう。{相対論より前の理論}は、相対論のように三段論法を使った言葉巧みさだけで証明しているのと違って、地道な研究と、検証で成り立ってきた理論である。そうたやすく覆せるものではない。

 

 このことから、相対論を証明する事実は存在しないといえる。なければならない事実が観測できないということだから、すなわち相対論は間違っていると実証できたといえる。不在証明である。

問題
{時間をさかのぼると,とんでもない一つの「点」に行き着く}
考察
これは何の証拠もない。又、理論は、相対性理論だといっていながら、{「一般相対性理論のみでは宇宙誕生の瞬間を解明することはできない」}と述べている。相対論で計算して、宇宙は1点に行き着くといって、それではだめだといっている。途中まではいいが後はだめだといっているのだろうが、そんな理論が信用できるわけがない。理論もでたらめだということだ。

 1点でも、半径10kmでもいいが、そこから、全宇宙の物質を、宇宙のかなたに吹き飛ばすとき、膨大な位置エネルギーがいる。この本でhア宇宙はほぼ無限大にまで膨張しているというのだから、その位置エネルギーだけで、ほぼ無限大になるだろう。そのエネルギーはどこから湧いて出たのだろう。「無」それとも,真空のエネルギー?この両者にそんなエネルギーがあるわけがない。
 インフラトンとか、真空の相転移とかいっているが、そんなものがあるわけがない。インフラトンは、謎以外何もない、理論も実証もない。真空の相転移も、もちろん理論も実証もない。科学的根拠も実証もないものを根拠にしているのが、インフレーション論である。
結論
 {時間をさかのぼると,とんでもない一つの「点」に行き着く}のは空想以外の何物でもない。おとぎ話である。