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ブラックホールと時空の方程式(小林新平・森北出版株式会社)について 6

 

著者 田 敞

 

(以下{ }内は上記本よりの引用)

 

ローレンツ変換が導かれた理由

 

{高さhの箱に入っている人と、それを外から見ている人がいるとします。}

{この箱は水平に動くようになっていて、一定の速さVで動くとしてください。}

天井と床に鏡があって、光が天井と床で、跳ね返って上下することにする。

箱の中と外に観測者がいる。

{箱の中に乗っているS’の観測では光は箱の中を往復するだけですから、}S’には光は真っすぐ上下する。箱の外で観測しているSには、光は斜めに進む。

 これが相対論の主張です。

 

問題

{箱の中に乗っているS’の観測では光は箱の中を往復するだけですから、}S’には光は真っすぐ上下する。

 

考察1 慣性の法則と光速度不変(光は光源の速度に影響されない)

 走る列車の中で手に持ったボールを離すと、その人に対して真っすぐ下に落ちて、真っすぐ跳ね上がる。このボールを列車の外にいる人が見ると、ボールは斜めに落ちて斜めに跳ね上がって見える。この箱の中の光の現象は、この列車の中のボールの現象とまったく同じです。ただ、原理はまったく違うはずです。

列車とボールの場合は慣性の法則です。手に持ったボールは、列車と同じ速度で動いています。その速度の運動エネルギーを持っているということです。したがって、ボールが手から離れてもボールは同じ速度で列車と共に進んでいきます。それとともに、万有引力で加速しながら落下します。したがって、時速70kmで進む列車の中ではボールは時速70kmで進みながら落下し、時速100kmで進む列車の中ではボールは時速100kmで進みながら落下することになります。

したがって、ボールを持っていた人に対してボールは手から真っすぐ下に落ち、真っすぐ跳ね上がります。手から離れたボールは列車と共に進んでいます。それを列車の外から見ると、列車とともに斜めに落下し、斜めに跳ね上がるように見えます。見えるだけではなく、実際に外の人に対して斜めに動いています。

 これと同じ現象が光でも起こるというのが相対論です。

(参考:ニュートン力学で考えると、列車もボールも絶対速度です。動いているのは列車とそれに乗っている人や物だけです。相対論では、列車の中の人から見ると外の人が動いて見えるから外の人が動いていて列車の中の人は止まっている場合と、外の人から見ると列車が動いて見えるから列車は動いていて外の人が止まっているという二通りの現象が存在すると考えます。どちらが本当か、ではなく、両方が同時に存在します。アインシュタインは、列車から見ると軌道が動いて見えるから、視点を変えると軌道が動くと述べています。これは、ニュートン力学とは相対する考えです。ニュートン力学では、E(運動エネルギー)=1/2V2です。したがって、列車のモーターのエネルギーでは軌道(地球)は動きません。それが動くのがアインシュタインの相対論です。軌道は動かないニュートン力学は相対論の近似値にはなりません。軌道が動くことはありません。アインシュタインの相対性は明らかに間違っていると考えます)

 では光はどうでしょう。この本では、{箱の中に乗っているS’の観測では光は箱の中を往復するだけですから、}と、とても曖昧に書いてありますが、箱の中の光は中の人に対して真っすぐ上下するということなのでしょう。この場合その原因が不明です。

光はボールと違って質量がないから光源の運動による運動エネルギーを持てないのです。E=1/2mvのmが0だから、Eも0になります。したがって、箱の速度を保存できません。だから、本来は箱に取り残されてその場で上下し、箱だけ先に進んでいくはずです。これが、この本にもある、「光は光源の速度に影響されない」、という光速度不変の原理の原因です。この原理は、ド・ジッターが、二重星の観測で確認しているということです。

 これは、二重星の中で、地球から遠ざかっている星と近づいている星との両方から出た光が、ともに同じ光速度であるということからです。これは、二重星の速度が、光の速度に影響しなかったという実証だということです。光は二重星と共に前後に動いたり横滑りしたり、斜めに動いたりしないで勝手に飛んだということです。このことからすると、箱の底面から出た光は、箱の速度に影響されないので、箱とは関係なく勝手に飛ぶということなので、光は箱とともに横滑りしないということになります。

考察2 光行差

 実際に、光行差という現象が観測されています。これは星の光が地球の進行方向から斜めにやってくるという現象です。動いている地球に対して、真上からではなく斜めになるということですから、動いている天井の鏡に対して下からの光は斜めになるということです。また、反射した光も底面の鏡に斜めに当たるということです。したがって、箱とともに動いているS’に対しても光は斜めになるということです。実際の現象と相対論の仮定{箱の中に乗っているS’の観測では光は箱の中を往復するだけですから、}という仮定が異なっています。じっさいは、光はその場で往復するだけだけれど、箱と鏡と中のS’は光を置いて横に滑っていきます。光は鏡に置いてけぼりをくらって、反射できなくなります。この場合、理論の仮定より、事実の方を優先するのが科学です。

 

考察3 光は何ものにも光速度

しかし、相対性理論では、動く箱の中で光はS’に対して真っすぐ上下すると言っています。光源の速度に影響されない光は、どのようにして箱の速度を持つことができたのでしょう。この本にはその原因は書いてありません。{箱の中に乗っているS’の観測では光は箱の中を往復するだけですから、}と、曖昧に書いてあるだけで、その原因の説明はありません。

一般的にはその理由が光速度不変であると言われています。それは、この本にある、光源の速度に影響されないという光速度不変と、もうひとつ、マイケルソン・モーリーの実験で証明されたという、光は何ものにも光速度である、という光速度不変の原理です。このことから、箱の中の光は、箱の中の人S’に対して光速度になるので、S’に真っすぐ上下するから、S’とともに横滑りするということなのかもしれません。ただ、この本では光が箱の中を真っすぐ上下することの原因は書いてありません。

先に書いた二重星の光から考えてみます。この二つの星から出た光は共に光速度であったということです。このことから、近づいて来る星から出た光とその星の速度は無関係ですから、その星とそこから出た光は相対速度を持っているということです。相対速度は、CVです。反対に遠ざかる星から出た光はCVになります。光は何ものにも光速度ではないということの実証です。

この両者の光が、地球に対して同じ光速度であったということかもしれません。それは光は真空中を光速度で飛ぶからです。両者は光速になります。しかし、地球に対して光速度であったとはいえません。もしその光が地球に対して光速度であったのなら、どの時点から地球に対して光速度であったのかが必要です。その光が星から出たとき、地球は、見えないほど小さな存在でしかなかっただろうからです。太陽でさえ、点でしかなかったでしょう。したがって、二重星から出た光が巨大な望遠鏡でも見ることができないほど小さな地球を感知して地球に対して光速度になることはできないはずです。その後、地球に近づいて地球を感知したとしても、地球は、公転しているので、二重星からの光に対して、速度を変え続けていたはずです。また、観測者も、地球の自転と共に動いているので、二重星の光に対して速度がプラスになったりマイナスになったり変化するだけではなく、1日1回は二重星の光からかくれる位置に来ることになります。二重星からの光がその地球を感知して地球に対して光速度不変(何ものにも光速度)になるためには、光は、常に速度(速さと方向)を変えなくてはなりません。二重星の光が地球に対して光速度であるためには光は真空中を方向を変えながら、速さも変え続けなくてはなりません。それは、光が真空中を真っすぐ光速で飛ぶということから、ありえないことです。

残る可能性は、衝突の瞬間に地球に対して光速度になったということになります。すると真空中を光速度で飛んできた光はその瞬間に地球に合わせて速度を変えたことになります。その変わり身はどのような原理で行われたのでしょう。

光は絶対速度だから、変化するのは、地球の時間である、というのが相対論でしょう。地球の公転速度はほとんど変化しません。したがって、時間の遅速もほとんど同じです。それも計測するのが難しいほど、微妙な時間変化です。これでは、真っすぐ飛んでいる二重星からの光の進路の真っすぐの位置に公転する地球があり続けることはできません。また、二重星が、その星から出て地球に衝突するまで、地球は同じ位置にいなければなりません。的が動いては真っすぐ飛ぶ矢は的に当たりません。

 

ニュートンの絶対空間の考えでは、この二重星の光は、星から出たとたんに真空中を絶対速度の光速度になったと考えられます。これは、相対論の絶対速度、何ものにも光速度ということではなく、絶対空間に対して光速度です。何ものも、見る立場によって動いているものが変化するという相対論の相対性と違って、星も絶対空間に対して絶対速度だということです。したがって、二重星と光は相対速度を持ちます。光は地球とも相対速度を持ちます。

この考えだと、相対論だと地球から離れていく二重星の一方の星から光が光速度で離れていき、なおかつ、その光が公転する地球とも光速度である、という矛盾がなくなります。また地球に近づいている二重星のもう一方の星からの光がその星から光速度で離れて行き、その光が同時に地球に光速度で近付いているという矛盾もなくなります。

相対空間ではなく、絶対空間で考えれば矛盾はなく、しかも単純です。時間も、空間も伸び縮みさせる必要はまったくありません。光はそれぞれの速度を持っている星に対して、速度に応じた相対速度を持っているとすればいいのです。走っている車と歩いている私は相対速度を持っているというのと同じです。すると、ややこしい計算もいりません。アインシュタインいわくSimple is beautifulです。どちらが単純明快でしょう。

 

結論

 理由の説明もなく、実際の現象とも異なる{箱の中に乗っているS’の観測では光は箱の中を往復するだけですから、}という仮定は仮定が間違っているということです。したがって、間違った仮定を基にした計算は計算にしかすぎません。元が間違っているのだからいくら計算が正しくても、それが現実の物理現象を正しく表していることにはなりません。

 

 

 

 そこで、光は箱の中を往復しながら箱とともに箱と同速度で横に動いていくということを詳しく考えてみます。

 箱が、秒速5m/sで動くと光もそれと同じ横向きの速度、5m/sで進みます。箱が100m/sで進むと光も100m/sで横にも進みます。箱が43,567m/sで進むと光もちゃんと43,567m/sで間違わずに横向きの速度で進みます。光は箱にとても忠実にできています。手に持ったボールは列車がどのような速度であっても列車と同速度になるので、慣性の法則で必ず列車の速度になるのは必然です。しかし、光は光源の速度に影響されないのですから、光独自の速度になるはずです。すると、箱の速度には関係なく光速度になるのですから、箱の速度と同じ速度で横向きにも進むのは変な話です。箱が43,567m/sで進むと光もちゃんと43,567m/sで間違わずに横向きにも進む原因の説明がいります。それもボールとは違う原因のはずです。

ある本では、「光は何ものにも光速度である」というもうひとつの光速度不変が原因であると述べています。しかし、それにしても光が箱の速度をどのようにして感知、どのようにしてその速度になるのかは不明です。床の光源から発射された光はどのようにして箱の速度を検知して、箱に対して光速度になるのかの説明が必要です。

また、それとは違う考えでは、動くものは時間が遅くなる、という特殊相対論効果だということかもしれません。

 その場合、箱の速度が0m/sにならなければ、光は同じ所を上下には往復しません。箱の速度が0m/sになるためには、箱の時間が停止しなければなりません。箱の速度が、通常の速度の場合特殊相対論でも時間はほとんど変わらないので止まりません。この考えも当てはまらないということです。