ジャスミンの風

                                         
                                           
4 ストレスの蓄積とリフレッシュメント  マラウイ



(製作中)



一方、マラウイは旧宗主国が英国で、プロテスタント系のキリスト教国である。食べ物は米も生産されてはいるが、主食はメイズという白っぽいトウモロコシ
の粉を蒸した「シマ」と呼ばれるもので、日本人には好んで食べられるものではない。当地では単身でホテル住まいだったが、街中のレストランで出される
インド料理のカレー、中国料理の炒飯、中東料理のシシカバブ等 どれを食べても同じような味付け。カレーの匂いなし、炒飯の風味なし、シシカバブの香ば
しさなし、とナイナイづくしで、どれも脂っこくてひつこく、食事に出かけるのが億劫になるほどだった。

  滞在地は首都リロングウエから300q以上南に離れており、日本人はおろか白人に出会うことも稀で、周りは黒光りのする黒人ばかりで、まさにブラック
アフリカの真っ只中にポツンと居る感じだった。ある時急にたまらなく日本語を話したくなって、マラウイ人に日本語を教えれば良いのでは…とハッと思い
つき、ホテルの従業員相手に日本語の挨拶を教えることにした。レストランのウエイターやウエイトレスたちには、注文した料理を持って来た時に、「どう
ぞ」-「ありがとう」-「どういたしまして」という言葉や、レセプションの所(ほとんどが女性)では、「行ってきます」-「行ってらっしゃい」、「ただいま」-「お帰りな
さい」等の日常挨拶や日本語の数字の言い方も教えた。いずれも関西訛りのアクセントの日本語になっていたかも知れないが、こちらが思う以上に早く
正確な発音で覚えてくれた。 彼らと毎日これらを使ってやりとりすることで、随分気が楽になった。また近くにある大学や観光専門学校他で、日本の風習
や文化,雪景色を含む四季の映像,日本語の歌等を、何回か披露したりもした(天皇の男系世襲制の話をした時に、それはおかしい、という意見があった
のが印象的だった)。



マラウイ国のキャッチフレーズは 「The Warm Heart of Africa」 ということで、彼らの気さくで人なつっこい人情によっても随分癒された。だが、何と言っても
マラウイは、サバンナの雄大な自然に恵まれているうえに治安も良いので、休みの日にはカメラ片手に周辺を歩き廻るのを楽しみにしていた。ことに8月
から10月にかけて国中に咲き誇るジャカランダの花の鮮やかな紫色は忘れられない。奇妙な形をしたバオバブの木も至る所で見られ、道路をゆっくりと
横断するカメレオンを車の前窓から眺めることもあった。また、世界自然遺産に登録されている広大なマラウイ湖(口の中で子供を育てるというカワスズ
メの仲間が遊泳)や、カバ,象,ワニ,インパラ等が生息する保護区に泊まりがけで訪れたりもした。満天の星空のもとで乱舞する蛍の群れにも感動した。



  休暇を利用しての任国外旅行では、ザンビアのビクトリアの滝,タンザニアのンゴロンゴロ保全地域やセレンゲティ国立公園での野生動物サファリやキリ
マンジャロ山麓の散策,南アのケープタウンやワイン・ランド,喜望峰,アフリカ大陸最南端アグラス岬,ホエール・ウオッチング等、それに ボツワナのカラハリ
砂漠 (世界最古の民族と言われるコイ・サン人 = ブッシュマン が住む)や動物保護区等 への訪問は貴重な体験で、マラウイ滞在中の大きな楽しみでも
あって、 気分のリフレッシュメントに大いに役立った。



 両国での滞在中には毎日のように何らかの発見があったが、こういう異国で直接の相談相手が身近に居ない業務に長期間携わっていると、時には日
常から離れたリフレッシュメント(気分転換)が不可欠の要素になる。現地の冠婚葬祭等に何度か招かれたり、SV同期と日本から取り寄せたバットやグロ
ーブを携えて孤児院を訪ねたり、WFP(国連世界食糧計画)のHunger-walkに参加したり、教会のクリスマス・ミサに参列して迫力あるゴスペルを生で視聴
きもした。また、趣味のパソコン・ミュージックで、ショパンからジャズ,演歌,宝塚歌劇の主題曲 他に至るまで種々の楽曲をアレンジして楽しむことは、異国
に居ることを忘れさせるほどだった。なかでも何よりも励みになったのは、決して恵まれているとは言えない子供たちの純真な瞳と屈託のない笑顔であっ
た。




                                         
                                           

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