ジャスミンの風

                                         
                                           
4 -6- 歴史の教科書




つい最近 歴史の教科書をJICA関係者が翻訳した資料を入手したので、ここに紹介しておきます。

カムプチアの歴史のあらまし(1世紀から16世紀まで) --- カンボディアの教科書「社会/6学年」よりアンコール時代の地図と現在の地図を見くらべましょ
う。わたしたちクマエの歴史がどのように進化をとげてきたのか、そしてどうして現在の面積にまでちぢまってしまったのかについて考えましょう。

(1) 前アンコール時代のカムプチア国
  クマエの祖先はアンコール・ボレイ(ター・カエウ県)にいちばんはじめの国をつくり、名称を「ノコール・コーク・トローク」といいました。「ノコール・コーク・トロ
ーク」はどんどん発展していき 「ノコール・プノム」という強大な王国になりました。
  その首都はバー・プノム(プレイ・ヴェーング県)にありました。ちょうどそのころ 北部地方(現在のラーウの南側部分)のクマエ人も「ノコール・チェンラー」
という国家をつくりましたが、弱い国だったため「ノコール・プノム」の統治下にありました。
  6世紀の半ばになると「ノコール・プノム」の力が衰えていきます。「ノコール・チェンラー」は兵をあげて「ノコール・プノム」を攻撃し、2つの国を統一して「チ
ェンラー・ルオプ・ルオム」または「チェンラー・トム」と称される国家をつくりました。
  しかし8世紀のはじめには、「チェンラー・トム」は2つの国に分裂してしまいます。北側の「チェンラー・ダイ・コーク」と、南側の「チェンラー・トゥック・レチ
ュ」です。このことは チュヴィア(現在のインドネジー)の侵攻をひきおこし、8世紀後期の10年間にわたって「チェンラー・トゥック・レチュ」全土が攻撃されま
した。
  西暦800年に クマエ人のある王様がクマエ軍をひきいてお出ましになられ、チュヴィア軍を壊滅させて「チェンラー・トゥック・レチュ」から追放なさいまし
た。その後 この王様は「チェンラー・ダイ・コーク」と「チェンラー・トゥック・レチュ」をふたたび併合なさり、クマエの統一をはたされます。そして 首都をアン
コール地域に置かれて、西暦802年に「チェイヤ・ヴァルマン2世」大王として即位なさいました。
この「チェイヤ・ヴァルマン2世」大王はアンコール王朝の創始者であられるとともに、現在まで続くわたしたちの「カムプチア王国」の創始者でもあられる
のです。


(2) アンコール時代
アンコール時代はクマエ民族がもっとも栄えていた時代です。なぜならば「チェイヤ・ヴァルマン2世」大王につづいて即位なさった王様たちがみな英知に
満ちていらしたために、国民を一致団結させて 侵略を企てる敵をことごとく排除なさったからです。そして クマエ民族をひきいて巨大なバラーイを造営な
さり、乾季にも稲作ができるようになさいました。
これ以降 アンコール時代のクマエは国力をつけていき、驚嘆に値するほどの美術彫刻に彩られた巨大な宮殿を築く力をもつことになるのです。
アンコール時代には カムプチア王国は現在のタイにまで領土を広げました。北は現在のラーウ南部地域から 南は海にまで達していました。
アンコール時代の代々の王様のなかでももっとも有名なのが「チェイヤ・ヴァルマン7世」大王です。
「チェイヤ・ヴァルマン7世」大王につづいて即位なされた王様たちはいずれも能力のない王様ばかりだったために、シアム(タイ)は勢力をもり返して 13世
紀にはメナーム河ぞいの平野に国を興すまでになりました。それからシアム(註;山田長政の活躍したアユタヤ王朝)は兵をあげて侵攻してきて、アンコー
ルの都のほとんどを破壊しました。このため クマエ大王の「ポニアヤート」大王は1431年にアンコールを放棄する決意をなさり、チャトモクに南下して新た
な都をお築きになられました。


(3) チャトモク時代とロングヴェーング時代
チャトモクにおいて 「ポニアヤート」大王の新都はどんどん発展していきました。ところが 王様が崩御なされてからは王族の仲たがいから内戦が勃発し
て、国じゅうが乱れていきます。そして1504年にはチャトモクの都までも放棄せざるをえなくなりました。
1515年になって 「チャン・レアチア」大王がカムプチア国の混乱をお鎮めになり、国に平和をもたらされました。そして 王様は1528年にロングヴェーング
(コムポン・チュナング県)に新しい都を建設なさいました。
ロングヴェーング時代の代々の大王たちはわたしたちの国を発展させて、強大な国家に成長なさいました。ところが シアムがさまざまな策略をめぐらせ
てロングヴェーングの都に攻めこみ、とうとう1583年にロングヴェーングの都は陥落してしまいました。

* 固有名詞と敬語は、できるだけ原文に忠実に表記しました。
  「カムプチア」・・・「カンボディア」は英語のカタカナ表記。
  「クマエ」・・・「クメール」は英語のカタカナ表記。
  「ター・カエウ」・・・「タケオ」は英語のカタカナ表記。
  「チェイヤ・ヴァルマン」・・・日本では「ジャヤヴァルマン」と表記。
  (「ヴァルマン」自体が「大王」の意味だが、原文では敬称が複数ついている)
  「ラーウ」・・・「ラオス」のこと。
  「チュヴィア」・・・「ジャワ」のこと。



                                         
                                           


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