ジャスミンの風

                                         
                                           
1 -13- 優雅な一日



5/ 1(木) 曇り時々晴れ

 小鳥の声で目覚める。今日はメーデー(労働の日)で祝日。メイドが休みなので 6:00にガードマンから門扉の鍵を受け取って(いつもは5:30に来て朝食の
用意をしてくれるメイドが受け取る)、もう一度朝寝をする。一応落ち着いてホッとしたのか10:00頃まで熟睡。クーラーの電気代が高いと言うので、この家
へ移って来てからは扇風機(天井に付いているものとスタンド式のもの)で過ごしているが、扇風機から一歩横にずれると暑い。そのうち慣れるだろう。もと
もとクーラーはきらいだし---。

        

 朝昼兼用のブランチ(パンとコーヒー・ジャスミン茶それに冷蔵庫に入っていたライチのジュース)をゆっくり済ませて、邸内外を点検。1階・2階・ベランダ・
キッチン・ベッドルームとも床は全て大理石張りで、1階の奥行きのあるリビングルームの玄関や2階のオープンスペースとベランダの間の扉を開けると結
構風が通って涼しい。
 キッチン内を見渡しても、買ったものをメイドがきちんと整理してあって一安心。大きな冷蔵庫には冷水とかちわり氷の出る口が別々にあって重宝する。
もっとも水道水を直接使っているのでどうかな、と先日大家の娘が言っていたが、なんども口にしたがどうもない。もう内臓もカンボディアの水に慣れたの
だろう。庭に出て今日は運転手も居ないので、ホースを引っ張って来て家の周りにある木や花に水をたっぷりかけてやる。ついでに門の前の土道にも散
水。すぐに蒸発してしまうが、一瞬ヒンヤリとしてさわやかな気分になる。古典で習った「遣り水」を思い出す。

        

 ベランダに籐製の椅子を持って来て しばらく休憩したあと 木製の豪華なラセン階段等の写真を撮って、久し振りに歩いてシアヌーク通りの向こう側にあ
る写真屋へ持って行く。明日9時に出来るということで、デポジット(預かり金)3.5$を払う。夕刻 隣の娘に電話をして「いつでも良いから遊びにきたら。家族
の写真を見せてあげるから」と言ったところ、15分ほどして玄関のベルが鳴った。出てみると娘さんが2人立っていた。お土産にマンゴー数個とジョニ黒を
もらった。さっそく2階のベランダに籐製の椅子とテーブルを置いて 写真の説明をした。少し前まで歌劇団に居た娘の写真を見せると「きれい」とか言って
いた。ブラックバス釣りをしている息子の写真と比べて見せると「娘の方が私に似ている。特に目の辺りが---。」と言う。写真が少し不鮮明だったので コピ
ーか? と訊くので「スキャナーでパソコンに取り込んでプリントアウトしたものだ」と答えると、納得していた。やはり若い女の子だけあって、最新の知識を持
っているみたい。また一味会の山登りの写真があったので「月に一回高校の同期生と近くの山に登っている」と言うと、早速防寒着を着ている私を見つけ
て、「寒かったの?」と訊く。「ここへ来る時にも雪が降っていたよ」と言うと、「知ってる。テレビでスキーをしているのをみたことがある」と言う。「けど 外国で骨
を折ったりしたら治療費が大変」と現実的な話になる。この2人は3人姉妹の長女(いままで何度も家の中の案内等をしてくれた22才)と3女(17才)で間に20
才の次女がいる。彼女たちのおじいさんが中国から渡ってきてカンボディア人のおばあさんと結婚した と言う。1/4のハーフである。長女(名前はソワタ
ナ)は7年前に2年間カルフォルニアに留学していたそうだ。3女(レケナ)も一時同じ所に居た と言う。けれども カンボディア人が観光で外国に行くことはむ
づかしいらしい(ビザが下りない)。世界地図を見せながら、セメント工場建設の仕事でリビアの砂漠の中へ、LNG(液化天然ガス)基地建設工事の仕事でイ
ンドネシア・スマトラの北の端のジャングルの中へ、また 国立公園内の道路と橋梁建設工事で台湾の最南端へ行ったことがある とかの話をしていると、3
女がインドネシアのジャカルタへ行ったことがある と話してくれた。それじゃあ中国語を話せるか と訊くので、ニーハオマ(=How are you?)とかシェーシェ
ー(=Thank you.)、テュオシャオチェン(=How much?)等と答えると 愛くるしく笑っていた。また「日本では何をしているのか?」と訊くので、「去年定年で退職
したばかりでJICAのシニア海外ボランティアに応募した。ここの生活費はJICAが出す」と答えると、「それで充分か?」と言う。「ここでは充分だ」 と答えると
「じゃあ 奥さんは日本で働いてるの?」と訊いてくる。「いや 専業主婦だ。子供2人もアルバイトをしている。だから私がもっと稼がなければならない」と言う
と、フーン というような顔をしていた。1時間ほどしゃべって「いつでも居る時には遊びに来ていいよ」「何か困ったことがあったらいつでも隣に居るから連絡
して」という会話を交わして帰って行った。ほとんど英語で会話ができた(さすがに長女は流暢な英語を話す)。今この国では英語塾が大繁盛らしい。高い
けれども何軒かある日本レストランにも行ったことがあり、サケのすしがおいしかった、また日本の着物も着たことがある と言っていた。京都の名前は知
らなかったようだが、ほとんどの外国人がそうであるように 長崎・広島は知っていた。また 部屋で使っているノートパソコンを見て「高いのを使っている」と
言うので、「来る直前に買ったばかりで、ここで始めて使っているが 分からないことだらけ」と言っておいた。
 部屋の中では買って来たスリッパを履いていたが、気持がいいので途中から裸足で歩いていた。あとで足の裏を見たら真っ黒だったので、やはりスリッ
パが必要なようだ。メイドには床のモップ掛けを念入りにするよう言っとかなければ---(最初が肝心)。
 夜 運転手から明朝の出発時間確認の電話が入り、「まずJICAへ行くから8時でいいよ」と返答。





                                         
                                           


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