ジャスミンの風

                                         
                                           
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4/22(火) 晴れ

 朝JICAを通じて先日来申請していたカンボディアの運転免許証を受け取る(25$)。
  クメール語のレッスンでは 朝・昼・晩の言い表わし方、各種宗教の言い方、完了形の表現法等を学ぶ。
  午後は終日室内でゆっくりと雑用(部屋の整理等)をする。



4/23(水) 曇り

  午後 自転車でオリンピックスタジアム近くに軒を並べている露店へ行き、リンゴ3ケとランブータン20数個を買う(計約1.6$) 。帰りの道を間違え、車ラッシ
ュによる埃でもうもうとするオリンピック市場周りの凸凹道をもう1周するはめになった。
  JICAへ立ち寄ったところ、メールボックスに「日本大使館からの危険情報」「JICA大阪国際センターからのNEWS LETTER」「安全対策会議の議事録(緊
急時の大使館情報は78MHzのFMで受信可能、SARS関連、日本大使館による映画上映会の予定 等)」「日本人会会報(大運動会の記事、テニス同好会の
誘い 等)」他が入っており、いろんな情報を得る。1階奥にある図書館をのぞいてみると「アンコール遺跡調査報告書2000」があったので、興味のあった地
盤関係の部分をコピーする。他にも種々の書物があり、また日本のビデオソフトも置いてあり、貸し出しO.K.となっている。いつでも利用可能。



  夜 先日会ったSom氏と待ち合わせて夕食を共にする。往路 セントラルマーケットを中心とする環状道路の一つである毛沢東(マオチェトン)通りを通っ
て向かった場所は、カンプチアクロム通り沿いにあるホテル「ル・プレジデント」内の中華料理店。 中々の味だと言う。隣には鉄板焼きの「神戸レストラン」
がある。地雷撲滅運動を実施しているNGOの手伝いをしているという奥さんも合流。彼女は通称テアリーと呼ばれているらしいが、国籍は日本で日本名
を持っている。子供は7才を頭に3人で、アメリカンスクールと週1回日本語教室へ通っている と言う。高校は日本へ行かせて、大学はアメリカへ留学させ
たいらしい。
 料理はここ自慢の鶏肉とエビの揚げ物、野菜、海魚の炊いたもの、それにアンコールビール。鶏肉は骨付きだったので食べにくかったが、あっさりしてい
ておいしい。魚はあまり好きではなかったけれども、結構食べられる。借家の話をしていたところ、ベッドに掛けフトン(毛布?)が付いていないのはおかしい
と言う。またバスルームの水や湯の出具合い(特に2階の)は一件一件出して確かめておかなければ--- 等々。
  それで今度の土曜日に一緒にその借家へ行ってもらうことをお願いして快諾を得た。メイドはやっぱり必要で炊事と掃除・洗濯用に2人要るということ
で、探してくれる という。メイド部屋もあるので住み込みが便利で いいらしい。2人の家にはベビーシッターをいれて4人いるらしい。1時間半ほどで話も終
わり、車でホテルまで送ってもらう。自宅は我が借家から数100mのところにあるのでなにかとお世話になることがありそう。午後9時前にJICAの無線機の
テストがあり、結果は感度良好で問題なし。
  久しぶりに血圧をはかってみたら、140/79でこれも問題なし。



4/24(木) 晴れ

  朝のクメール語レッスンでは 人称代名詞(I,my,me/you,your,you,------)、needとmustの使い方、市場でのやりとり等を習う。
  午後 赴任先のPPI(Preah Kossomak Polytechnic Institute)を再度訪問。昼食後の通勤時間帯で道路は混雑している。ある交差点ではバイク同士の
衝突事故があり、黒だかりのやじ馬で渋滞がさらにひどくなっている感じ。我々の乗っている車の若い運転手も興味深げによそ見をしながら走る。こうい
う状況は日常茶飯事らしい。15分ほどで学校に到着。PPIでは土木工学科の担当窓口(カウンターパート)である主任の先生Vuthyに会って、おおよその
授業内容の実態や彼の置かれている立場等の話を訊く。地質・土質の専門家だと話したら、実験室の種々の試験道具をみせてくれ 取扱い書が無くてこ
れも使ってない、あれも使ってない ということで、是非使い方を指導して欲しい と言う。見たこともない機械もあったので、徐々に調べていって 分かったら
教えましょう と答えた。また この学校の授業内容他は全然分からないので、1,2ケ月はじっくり観察させてもらって そのあとで気がついたことをお互いに
協議したい と申し入れ、快諾してもらえた(Step by Step !!)。話によると 彼は去年結婚してこの5月末に第一子が生まれる予定だと言う。それと 彼がしき
りに「ソワイエ」「ソワイエ」と言う意味が分からないので訊きなおすと、「s-o-i-l(土)」のことでやはりフランス語で教育を受けてきたようだ。 また彼の年令を
訊くとなんと32才と34才と2つあって、詳細は聞き取れなかったがポルポト時代に変えさせられた と言う。狭いながらもクーラー(いまにも焼きつきそうな古
いソ連製)の付いた執務室があり、この前来た時と比べてきれいに整理・整頓されている。当方の机の配置を決め、内外2重の合鍵を受け取る。少し離れ
た所にある実習場では、20人余りの生徒(女生徒も数人)がよってたかってコテと定規を使ってレンガ積みの実習をしている。技能工の方のクラス(初級ク
ラス)なのだろう。キャンパス内は広く 大きな池(魚を飼ってるらしい)や売店らしい(閉まっている)建物等が点在している。この売店の家族他が住んでいる
バラック小屋も構内の端っこに建っている(洗濯をしているおばさんの姿も見える)。電気工学科や電子工学科の教室等を覗いて2時間ほどで学校を後に
する。在校中にJICAより借家のSecurityの再確認結果O.K.との電話を受ける。
  夜は同僚S/V2人とカンボディア風焼肉を食べに行く。結構おいしい。焼肉のおかわり・揚げえび・生ビール・野菜他を注文して1人当たり4$。




                                         
                                           


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