ジャスミンの風
1 -4- ウドン&コンポンソム
4/12(土) 晴れ;
今日から5連休。今日と明日の2日間はJICAが車(ランクル)と現地人のドライバーを用意してくれて、旅行に行ってよい と言う。2班に分かれて今日は
プノンペンの郊外へ行くことにする。我々のドライバーは25才という好青年で、クメール語と英語混じりで会話する。午前は国道5号線を北上し40kmほど
離れた古都ウドンに向かう。途中の田園地帯にはあちこちに大小の湿地があり、仏教国にふさわしく一面にハスの花が咲き乱れており壮観。すぐ横で
子供たちが泳いだり網で魚(?)を捕ったりしている。突然水牛が目の前を横断したり にわとりが飛び回ったりして、右側通行ともあいまってハッとして身構
えること数え切れず。国道をはずれると土砂道でとたんにスピードが落ち、もうもうと砂埃りがたつ(昭和30年代の日本のようでなつかしい)。平原の中に
遠くポコンとした双頭の山が見えてきた。大回りをして1時間半ほどでようやく麓に到着。車から降りたとたんに物売りの子供たちに取り囲まれる。
無視して急な階段を汗を拭きながら何十段も登る。ペットボトル入りの飲料水は不可欠。子供たちはあきもせずつきまとう。頂上にはクメールルージュ
(ポルポト派)によって破壊された という仏教寺院跡や四面仏が彫られた大きな仏塔等がそびえ建っている。周囲にはお参りの家族連れだけでなく、物売
りや物乞いも居る。この丘の上からの360度の展望はすばらしく、どこまでも続く草原や水田・ヤシ林が見られ、いつまで見ていてもあきない。帰りにまた
埃りまみれの凸凹道を走って、観光用に最近建てられたというミニアンコールワットを見に立ち寄る。
トンレサップ川(メコン川の支流)沿いのやきとりレストランで川風に吹かれながらビール付きの昼食をとったあと(4$/人弱)、午後は国道1号線を南下し
て1時間ほど走り、メコン川沿いのキエンスヴァイに到着。
赤茶色に濁った川にせり出した市民行楽用の藁葺き屋根?の涼み小屋が並んでいる。京都の鴨川沿いの床を思い出すが、とてもそんな風流なもの
ではなく 中で昼弁当を食べたり休憩しよう等とはどうしても我々には考えられない。近くのチョロイ・アンピル村で高床式住居の床下で織機(一応自動に
なっている)を使って綿サロン等を若い女の子が織っているのを見学。最後にキリングフィールドを訪れる。ここにある中央の慰霊塔内には、ポル・ポト派
によって処刑された何千という遺骨(頭蓋骨)が積み重ねられている。まだ多くの遺骨が土中に眠っているという。「東洋のアウシュビッツ」とよばれる所以
である。国内に何カ所か同じようなキリングフィールドが有るらしい。夕方5時少し前にホテルに帰着。
夕食前にホテルの人に頼んで電話の外線につなげるようにしてもらい、ようやくインターネットのセットアップ完了。夕食は同僚2人と1年および半年先
輩のS/V(2人とも女性で縫製と病理細胞診断学を指導中)と韓国レストランで済ます。彼女たちはそれぞれホテルと集合住宅 (アパートメント)に住んでお
り、当地での種々の生活情報を得る。
夜 自宅にE-メールを発信してみる。
4/13(日) 晴れ ほんの一時雨;
今日は我々のグループは4人同乗して、タイランド湾に面したビーチリゾート地 コンポンソム(シアヌークビル)に向かう。ほぼアスファルト舗装された国
道4号線を南東へ走ること約300km、道中での中央線をオーバーして2重・3重に追い越しするのは当たり前 ということに肝を冷やしながら、反面、ブー
ゲンビリアやヤシの木林を両側に楽しんで眺めながら、小高い丘を越えて3時間半ほどでコンポンソム港に無事到着(ドライバーはno problemとのことで
途中休憩なし)。数分で南端のオーチティルビーチに出る。ヤシの木越しに見えるまぶしい白砂のビーチにはトロピカルフルーツの売店や日本と同じよう
な浮き輪を積み上げた海の家風の店が所狭しと並んでおり、遠浅の海では家族連れのカンボディア人だけでなく、欧米人もゆったりと泳ぎを楽しんでい
る。水は生暖かく澄んでいて、魚が泳いでいるのが見える。すぐ近くには大小の島が点在している。海の透明度が高く、シュノーケリングとかダイビングも
出来るとか。背後地では瀟洒なリゾートホテルがいくつか建築中。ビーチのすぐそばにあるコテージ風のシーフードレストランで昼食。エビやいか・海鮮ヤ
キソバ等をたらふく食べ、アンコールビールを数本飲んで一人当たり(運転手の分はこっち持ちで)6$。家族連れで1,2泊したらいいなあ と思う。3人で50
$もあればリゾートホテルに充分一泊できる。ちなみにプノンペンからのバス便もあり、片道1.5$(クーラー付きで所要時間約2時間半)。 信じられない運賃
だ。 鉄道便だとガッタン・ゴットンと10時間かかる とのこと。
名残りを惜しみながら1時半ごろ出発し、今度は国道2,3号線を利用してベトナムとの国境沿いをしばらく走って北へ進路をとり、1993年の第1回総選挙
時の紛争で亡くなった国連ボランティア中田厚志さんが活動していたタケオ(小さな街で現地人はタカウと発音する)を経由して、追い越しにヒヤヒヤしなが
らホテルに帰り着いたのは19時過ぎだった。途中 バイクの後ろに長細い荷車をつけて、そこに15〜20人ぐらいの人々が鈴なりに乗っているのをよく見
かけた。村々では結構自転車が普及しており、小さい子供たちははだしで走り回っており、地元の人たちは高床式のバラック風の家に住んでいる。牛や
豚も放し飼いにしている。皆 懸命に生活しているのが感じられる。突然雨が降り出したが、ウトウトして目覚めた時にはもう青空になっていた。ヤシの木
林越しに見たダイダイ色に染まった夕陽は美しかった。昨日からの総走行距離は1,000kmあまり。さすがに疲れた。いやな顔をみせず奮闘してくれた我
がドライバーには超過時間分(3時間)とチップを含めて計8$を手渡す。明日からの正月休みは田舎へ帰るとか言っていたが、ゆっくり休んで欲しい。
帰りに休憩したコンポンチュレイという所でドリアンを買ってみたが、結構食べられた(インドネシアではその臭いがだめで、食べられなかったのに)。1ケ1
$を4人で分けて充分な量だった。夜 TVで石原都知事圧勝のニュースを知る。
アジア・カンボジア雑貨 ご来店お待ちしています
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