『ブラックジャックによろしく』最終回にもよろしく


パート1(循環器内科編)パート2(NICU編)もあります。


 ついに最終回を迎えた、TV版「ブラックジャックによろしく」なのですが、僕も文句言いまくりながら結局最後まで観てしまいました。もちろん、マンガはまだ続いているのですが、今回はTV版の感想ということで。

僕が最終回を観て感じたのは、「これって、テーマが途中で変わってしまってないかい?」ということでした。

このドラマを最初から観ていた人達にはわかってもらえると思うのですが、この「BJによろしく」のテーマは、「医療業界の矛盾とひとりの研修医との衝突」だったと思います。

新人研修医が、生活のために夜ひとりで救急病院で当直をしなければならないこと、大学病院で必ずしもベストの治療が受けられるとは限らない、という現実…

でも、最終回は、研修医斉藤英二郎が、救急患者を無理に受け入れて、患者を死なせそうになってしまったトラウマを最初に当直に行った病院で患者の命を助けることによって克服する、という話になっていました。

ちょっとおかしくないかい?

 「BJによろしく」というマンガの本来の意図するところから考えると、研修医・斉藤がトラウマを克服し、医者として一歩成長した、それで一応ハッピーエンド、というのは(もちろん、これからも彼の歩みは続いていくのですが)、ちょっとヘンな感じです。

 この作品が投げかけようとしているのは、「目の前に患者があふれていて、明らかに手が足りない状態でも、さらに患者を受け入れることが正義なのか?」

「そういう状況にある現在の医療制度は、正しいのか?」

ということだと僕は思っていました。

 前者は、非常に悩ましい問題。もしその患者さんを受け入れた結果、手が足りずに死なせてしまったら、それは病院の責任であり、医者の責任です。状況判断ミス、ということになるでしょう。

 その一方、断ってしまった場合も、その患者さんは受け入れ先が無くて(こういう事例は、実際はけっこうあるのです)亡くなってしまうかもしれません。僕は救急車に乗せてもらう体験実習に参加したことがあるのですが、夜間に重症の患者さんを受け入れてくれる病院というのは(とくに子供の場合)田舎ではとくに探すのが困難なのです。

やっぱり、誰でもリスクを恐れますし。

 言葉は悪いけど、「自分たちが受け入れて、手が足りずに死なせてしまったら自分の責任だけど、断った結果死なせてしまっても、自分たちは責任を負わなくてもいい」ということなら、リスクを背負いたくない、というのはけっして責められないと思います。

 もちろん、余裕があるのに受け入れないのは診療義務違反なのですが、実際に手が足りない場合には、心の中で「ごめん、誰か頼む!」と思いながら断ってしまうしかないわけで。

 後者の「今の日本の医療制度(というか、医者という仕事の就業体制、ですね)は正しいのか?」というのは、まさにこの「BJによろしく」のメインテーマだと思います。

 たとえば、日本の小児科医の人口比はけっして少なくないけれど、個人病院が多いため、夜間救急に対応している医者や施設の数が圧倒的に不足している、とか、そういう現実について。

 僕はドラマの最終回で、研修医・斉藤が患者さんの気胸を見事に診断し(レントゲンくらい撮れよ、とは思ったけど)、トロッカーカテーテル(肺を広げるための管)を胸に入れたときは、ちょっと感動しました。ああ、よかったなあ、ひとつ壁を越えたなあ、と。

 でも、考えようによっては、その気胸の患者さんは、ひとりの研修医が壁を越えるための練習台にされてしまったんですよね。

 あの状況は、結果的にうまくいったものの、あの患者が僕の身内だったら、やっぱり僕は怒ると思います。

 「どうして研修医に任せたんだ!」って。

 あっ、でもドラマでは、牛田先生がコッソリ様子を見ていたようではありましたけど。

 それでも、本来はそういう研修医のトレーニングは、なるべく余裕のある状況で、指導医の指導を受けながらやるべきことで、あんな危急の状態で「溺れて泳ぎ方を学ぶ」みたいな方法は、リスクが高すぎます。

 何かあったら、どうするんだろう?

 あれだと、医者の実力はメンタル面次第、みたいな印象を与えてしまうし。

 もちろん精神面も大事ではありますが(動転しまくってたら、できることもできないしさ)、いちばん大事なのは、経験とトレーニングに基づく状況判断力。

 どんなに精神的に強くなったところで、やったことがないことは、できないって。

 気胸じゃなくて骨盤骨折だったら、間違いなくあの患者さんは死んでます。

 斉藤先生が医者としてレベルアップすることと、日本の医療制度の矛盾を改善することの間には、実はほとんど関連がありません。

 結局、ドラマでは、何らかの結論を出さなければならないために、ああいう終わり方になっているのですが、実は、何一つ答えなんて出ていないのです。

 あれはあれで、僕にもいろいろ思い出すこともありましたし、悪くはないのでしょうが、なんかちょっと、最後の最後で煙にまかれてしまったような感じ。

  最後に患者を受け入れて、気胸の治療をするシーン、実はあれこそが、弥富先生が言っていた「お前は患者を殺す」という発言が現実化したものです。もし斉藤先生が、これからもあの調子で自分の手に負えないかもしれない患者を他人に任せる勇気を持てなければ、きっと彼はいつか「患者を殺す」ことになってしまうでしょう。

 前回書いたように、このドラマの主役は斉藤先生を取り巻く「普通の医者」であり、医者は誰でも、大なり小なり斉藤先生と同じようなことを感じたり、考えたりしながら、医療という仕事を続けているのだと僕は思います。

 だからこそ、単なる成長物語でお茶を濁して欲しくなかったなあ、という気がしてなりません。たぶん、テレビドラマではいろいろ制約があったんでしょうね…

 まあ、それは今後のマンガに期待、というところなのかな。