『ブラックジャックによろしく〜NICU編』にもよろしく



 「ブラックジャックによろしく」の第一巻を読んだときに、「これは医者にとって痛いところを突かれてるなあと思ったのだけれど(当直の話とか)、このNICU編は、別の意味でいろいろ考えさせられる話。

 実際に僕はNICUで働いたことはおろか、実習したこともないのですが、小児科の先生たちが今、大変な状況であるのは理解しているつもりです。

 このドラマを観ていると、斉藤先生って、画面から浮いてるんですよね。

 彼のまっすぐなところは、すごく素晴らしいところなのかもしれないけれど、どう考えても無謀で自己満足的にしか見えない。

 「僕が手術します!」とか言って、彼と皆川さん(国仲涼子)が腸閉塞の弟クンを手術室に運ぼうとしているシーンは、率直にいうと「バカ?」という感じ。

 一般的に、「医者だったら、誰でも手術くらいできるだろう?」と思われているのかもしれないけれど、実際は、そんなことはありません。

 外科の先生は、まず手術場に入って視野を広げるための金具をずっと引っ張ったりしながら手術のやり方を見て、最初は術後の縫合をやらせてもらい、少しずつ細かい手順を体で覚えていき、術者として一本立ちしていくのです。

 だいたい、手術はひとりじゃできないだろう、と。
 彼は外科をローテーションすらしていないし、どう考えても手術なんてできるわけない!

 それに、「手術というのは、お腹を開けて悪いところを取って、縫合すればおしまい」なんてものではないのです。

 内科医である僕が言うのもなんですが、手をキチンと滅菌の状態になるように洗い、患者さんの体を消毒して布で術野のまわりを囲むところからちゃんとした決まりがあるし、お腹を開けて悪いところの処置をするのにも、流れがあります。生きている人間の場合、当然切ってはいけないところや出血への注意もあるわけですから、そんなの全然経験が無い研修医ひとりのためにできるわけがない。

 それこそ、「ブラック・ジャック」みたいに、研修終わったら、なぜかイキナリ天才外科医ってことでもなければ…

 手術なんて、トライ&エラーが許されるような世界なわけもない。

 もうひとつ、麻酔の問題もあります。
 まさか、麻酔かけずにお腹開けるつもりだったんだろうか…
 外科の先生は、だいたい麻酔の勉強もしているものですが、あんな小さな子供に全身麻酔をかけるのは、とても危険で、専門家である麻酔科の医師でも、かなり難しいことのはず。

 そんなトレーニングもしていない斉藤先生に、まともに麻酔がかけられるとは思えないのですが…

 ああ、でもこのドラマを観た人たちって、「自分で手術しようだなんて、斉藤先生、勇気あるなあ」とか思ってるのか?

 弟クンのご両親は、これからたぶん一生、自分の子供と向き合っていかないといけません。そう考えると、安易なヒューマニズムを押しつけられることが、とても辛いことなんじゃないかなあ。ドラマの中でも、斉藤先生と皆川さんが「ふたりで育てようか…」と言い合うシーンがありますが、実際にそんなことをやっていたら、ふたりは何十人も子供を抱えることになってしまうでしょう。

もちろん、ここで子供たちを見捨ててしまうことによって、両親に残るトラウマもかなり大きいのではないかと思いますが。

 しかし、このNICU編そのものは、小児医療の問題点について的確に描いたものだとは思うんですよね、実際のところ。

 これまでの医療ドラマでは、親の葛藤とかについては、あまり触れられていない部分でしたし。
 医者の善意と家族の愛情で、みんな幸せ、っていうようなドラマが多かった。

 それだからこそ、斉藤先生の存在は、むしろコミカルな感じに思えてくるんだよなあ。
 なんか、「ロジャーラビット」みたいに、実写映画に紛れ込んだアニメのキャラみたいで。

 こういうふうに書いてきて、ようやく気がついたんですが、「ブラックジャックによろしく」っていうのは、実は研修医・斉藤英二郎のドラマじゃないんじゃないかなあ、って。

 彼をとりまく、「普通の医者」たち(鶴瓶が演じていた先生のような)の葛藤のドラマなんですよね、きっと。

 そうそう、小児外来編で、鹿賀丈史が、日本有数の怪しい笑顔を振りまいていたのは、思わず笑ってしまいました。

 この人の医者役をみると、どうしても「振り返れば奴がいる」を思い出してしまうんですよね。なんか、原作のキャラとはイメージ違いそうだけど。

 「小児科で大変なのは、患者である子供はもちろんだけど、なんといっても親への対応だ」とは、当直や派遣先の病院で子供を診るときに僕の同僚の内科医が口を揃えて言うこと。

 同じ医者といっても、労働条件には多少の違いがあり、小児科の先生たちは、本当に肉体的にも精神的にも大変なのです(参考リンク「8ヶ月の男の子がたらいまわしにされたわけ」
 だから、あんなに家まで行って家族を説得したりする時間、現実にはほとんど無いと思います。
 その一方、あんなに言いたいことが言えていいよなあ、と思ってしまうのも事実なんですけれど。

 あの斉藤先生の医療では、100点もあるけど、50点や0点の可能性もある。それだったら、コンスタントに80点の医療ができるように…というのは、間違っているんでしょうか?

 小児科の医師の実際の仕事ぶりについては『日々の幻想』(Mari先生)『ヒビシルスコト』(aiko先生)などのサイトを御参照ください。

 あのドラマは医者にとっても、一種のファンタジーなんだよなあ…