3月11日
昨夜は寝ずに陣地作りをしたが夜が明けた。3月11日なり。戦争は我軍に不利なり。必死の防戦も空しく段々と押されている。考えてみると、ここ数日穴掘りや斬込みばかりである。戦死者も多かった。負傷者も多かった。元気な奴は骨と皮である。まともな兵は居らぬ。第一喰うものがないのだからである。支那からずっと一緒に戦ってきた谷川政一上等兵も死んだと聞かされた。頭に手榴弾を受けて、鉄カブト諸共頭が飛んだという。かわいそうな事をしたものだ。この友は出征途中、大阪駅ホームで妻と最後の別れを惜しんでいた兵だが、本当にあれが最後の別れであったのだ。
部隊に帰る
私のように生きていれば、次の戦いに出される訳だが、天山も敵が来なくなった。残った兵を集めて、北部落の陣地に帰る事になった。みんな喜んだ。九死に一生を得て今ぞ部落の部隊に帰れるのだ。ようやく帰りついた。陣地の中には負傷した者など沢山居った。私等を見て、よく帰って来たと大変喜んでくれた。これでしばらく休ませてくれると思って喜んでいたが、そうは問屋が卸さん、次の命令が出される。
3月13日
私は3月1日付で陸軍伍長に任ぜられていた。死にみやげの進級と思う。いずれ死ぬのだからその土産だ。果して次の斬込命令が来たのである。
今度は下士官として兵を指揮する事になった。島は半分取られ、ジリジリ押されて3分の1も残っていないような状況だ。今度の斬込が我が部隊最後の斬込である。1000に1つも生きて帰れる見込みはない。必ず死である。今度は生きていても帰る所もないであろう。この陣地も数日で落ちる。死は決定的となった。これから斬込の準備をしなければならない。
昭和20年3月13日、最後の斬込命令が出された。下記の8名が決まった。
斬込分隊長 矢野 千郎 軍 曹 高知県 予備役
隊 員 高橋 利春 伍 長 高知県 〃
〃 吉岡 富造 伍 長 愛媛県 〃
〃 横山 義範 上等兵 高知県 〃
〃 石崎 薫 上等兵 愛媛県 〃
〃 林 正吾 上等兵 徳島県 〃
〃 木村 甫 一等兵 徳島県 補充兵
〃 野口勝二郎 一等兵 徳島県 〃
我等は工兵であり、爆弾作りは専門家である。たちまち20キロ爆弾を各自が作った。これを背負って敵の戦車に我が身諸共飛込むのである。夜になるのを待って、爆弾を各自背負う。銃をさげた。誰も何にも言わぬ。言いたくもない。明朝はいやでも散らねばならぬのだ。再びこの陣地に戻る事はないのである。戦局は不利、師団司令部も危ない状況である。さあ出発だ。陣地に残る負傷兵は沢山居る。我等の出発を見て、一緒に死にたい、連れて行ってくれと泣く兵も居る。私が仲のよかった高橋為数上等兵は足を撃たれ養生していたが、私に、連れて行ってください、共に死にたいと泣きながら頼むのである。私もかわいそうに思って、歩けるかと言うと歩けますと立ち上がったが、再びばったり倒れた。お前は無理だ、養生して治ってから斬込め、となぐさめて出発した。あの上等兵の悲壮な顔は、今も忘れられない。
我ら8名は穴陣地を出た。暗くなっている。弾丸が飛んでいる。横山上等兵が、高橋班長、今夜は敵弾が妙に飛んで来るのう、地面にブスブスはいるが普段とちがうなぜよ、と言った。あの声は忘れられない。私は各兵の間を30メートル離して行く事にした。集団で行くと、一人に弾丸が当たれば全員死ぬる。背中の爆薬に火がつき吹き飛ぶからである。それでは戦車に飛込めず、目的が達せられないからだ。陸からも海からもタマはとんで来る。その中を天山に向かって進んで行く。明朝天山に来る戦車を破壊せねばならぬ。私は日本を発つ時必ず生きて帰ると妻子に言ったが、どうも約束は果たせない事になった。死なねばならぬ運命になった。生きていても米ない水ない弾丸ない、どの道生きられないのだ。妻子に許せよ私は生きて帰れない事になったと心でわびた。今は只死を覚悟で進んで行くのである。
天山着
天山はいつも来ているので地形がわかっている。横穴陣地にはいる。天山に着いたのだ。朝まで休む事になる。昭和20年3月14日の朝になる。今日が我等の命日となるのだと誓う。交代で穴の出口で敵の来るのを待つ。私が交替して敵の方を見ていると、目の前がピカッと光った。ドカンと音がして、私は土砂の中に埋まった。砲弾が目の前に落ちたのだ。不発であった。助かったが、爆発して居れば木っ端みじんになっていた訳だ。私は、いつでも死に直面すると、何かが起こり助かるのだ。不思議である。
戦車来る
来るはずの戦車はまだ来んので飛込む訳にはいかぬ。交代で見張る。戦車が来たぞーと見張りは叫ぶ。私が行ってみた。本当に来た。今まで3回も斬込に行ったが戦車が来んので助かったが、今度はそうはいかん、戦車が来た。茶色で大型M4という最も恐ろしい奴が来たのだ。200メートルくらい遠くに居る。大砲を突出し機銃を左右につけ、火炎放射器もつけている。我等8名の死ぬ時が来たのだ。どう考えても助かる見込みはない。覚悟は出来ている。恐れはせぬが、死は我等に刻々と迫っているのである。
別の陣地に4名を連れて見張りをしていた矢野軍曹が、戦車が来たぞー戦闘準備、と叫んで走ってきた。その顔色は青ざめている。私は早く見付けていたので慌てない。どうせ死ぬのだから恐ろしくない。死ねばよいのだ。戦車に飛込めばよいのだ。他に道はないのだ。敵は前方を火炎放射器で焼き払い、機関銃で掃射し、大砲でドカンドカンと撃ってズルズルと進むだけだ。これを繰り返している。1時間に10メートルも進まない。
我等は戦車が10メートルに近づいたら飛び出せと決めている。一番先に飛込むのは私であり、2番は矢野軍曹だ。3番は吉岡伍長、4番は横山上等兵、5番は石崎上等兵、6番は林上等兵、7番は木村一等兵、8番は野口一等兵と決めてある。
戦車は何10台も居り、我等は8名だから、8台しか破壊できないが止むを得ん。二度は飛込めぬのだから、残った戦車は我軍の方になだれ込むであろう。
私は4回目の召集なり。今日ここで死ぬとは運が悪い。しかし戦陣訓にも書いてある。散るべきときは清く散れである。その散るべきときが来たのだ。清く散るより他に方法はないのだ。私は覚悟している。みんなの顔を見た。みんな無言でうなづいた。準備は終わった。10メートルまで戦車が近づくのを待つ。
私は兵に、よく休んでおけよと言っておいて穴の出口に行き、戦車を見つめていた。矢野軍曹も今は同じ陣地で飛込む時期を待っている。一斉に飛込むが、総指揮は矢野軍曹がとることになっている。いくら待っても戦車は10メートルまで来ない。我軍の飛込みを恐れているのだ。あと90メートルで私は飛込むのだと見つめている。90メートル近づけば私が一番先に飛込んで見せるぞと自分に言い聞かせていた。その時意外な事が起こった。
決死隊
あと90メートル進んでくるのを待っている私の80メートルくらい前に、一人の日本兵が這いながら先頭の戦車に近づくではないか。只一人だ。私が飛込むと決めていた戦車に向かって近づく。アッという間の出来事だ。戦車めがけて飛込んだ。我が身と共に戦車に飛込んだのである。たちまち起こる爆音に戦車は火を吹き燃えはじめた。ヤッターと私は叫んだ。
敵さん騒ぎだした。日本の斬込隊が居ると知ったから大変だ。敵は火炎放射器で焼きだした。火炎はボーボー黒煙と共に真っ暗い。一寸先も見えなくなった。先頭の戦車をやられたので、敵さん怒ったにちがいない。2番目の戦車が先頭になり大砲で撃ちまくる、機関銃でなでる火で焼く、物すごい。
花と散る
この我等より先に飛込み見事に戦車1台破壊した兵はどこの部隊の誰かは知る由もないが、南海の島で花と散った。只一名のみだ。他部隊の生き残りかもわからん。知っているのは私一人だから功績を認める者はない。誰のために死んだのか、国のためとはいいながら爆弾を背負って戦車に飛込み戦死したのだ。数刻の後は私もあのように飛込んで散るのであると思った。世の中には不思議な事も奇蹟も起こる。私が飛込む戦車に味方の兵が飛込み、予定はくるってしまったのも奇蹟だし、私が今このように当時の事を書いているのも奇蹟である。生きるものが死に、死ぬべきものが生き残る。驚くべきことである。私が飛込んで死ぬはずの戦車に別の部隊の兵が飛込んで死んだ。敵さん進まず、付近を焼き払い撃ちまくりしている。我等8名は出るに出られず非常に困った。出れば焼かれる撃たれる、目標の戦車に近づけぬ。何にも出来ぬ。戦車が近くに来るのを待つより方法はない。じっと待つ。
この時だ。天地も崩れるような大音響と共に地鳴り震動が起こった。黒煙立ち込め一寸先も見えぬ。ゴーゴーピカピカドンドンバリバリドカンドカン我等も身体が飛び上がるほど震動する。何事が起こったか、地震か火山の爆発かと思う。何十台、何百台の戦車は我等の頭上を強行通過して行ってしまった。
生き埋め
敵は1台やられたので強行手段に出たのだ。台風のように走り去った。我等はどうも出来ぬ。戦車について来た海兵隊は我軍の陣地の出入口全部に手榴弾を投げ込んでつぶして行く。我等は地中深く生き埋めになった。天晴れの作戦だ。われらに飛込むすきをあたえず穴の出入口を埋めてしまった。見事我等は戦に負けたのだ。
脱出
戦車に飛込んで死ぬはずの我等8名は地中深く埋められた。空気と食料、水がない。そのままではミイラになる。地上に出るより生きる道はない。出ることに決まった。銃剣で土を掘り起こし、他の者がその土を後方に手で運ぶ。暗いところで必死で作業する。何時間たったかわからんが、人間の頭くらいの穴が出来た。空気の心配はなくなった。外の様子はわからん。出ても命の保証はない。誰も先に頭を出す者がない。私が頭を出した。敵は居らぬ。夜になっていた。照明弾が高く上り、明るくなったり暗くなったりしている。穴の出口にはガソリン缶が沢山積んである。それで穴を広げて出ることになった。次から次と穴から出る。全員出たところで矢野軍曹は、我等は斬込に失敗したが仇をうたねばならぬ。ひとまず我等は北部落に帰る。失敗を報告して次の命令を待つ。これから海に出て、水際を通って北部落に行く、と言う。それ行けとばかり動き出した。
3人戦死
照明弾が上っている時は這いながら行き、暗くなれば走りして海岸へ海岸へと行く。敵に発見されていない。100メートルも行った時、高いところに出た。我先にと飛び降りる。たちまち機関銃の音と共に火を吹いた。パッパッと火が出て明るくなる。飛び降りたものはやられた。待ち伏せにあったのである。後方に下がり砲弾の穴の中で調べてみると、吉岡伍長、岩崎上等兵、木村一等兵は戦死、野口一等兵は自分が来た方向に走った、行方不明である。残念である。
矢野軍曹戦死
4人を失った我等は矢野軍曹指揮のもとにさらに北へ100メートルも行った。海に出るに都合のよいところがある。ここは2メートル位高くなり、下に飛ばなければならぬ。矢野軍曹自ら飛降りた。バリバリドンドンピカピカと機銃が火を吹き矢野軍曹はやられた。助ける事も出来ぬ。敵はどこにも居ったのだ。又1名失った。誰か一人でも北部落にたどり着き、状況を報告しなければならぬが、敵の中を通っていくには容易ではない。敵は夜間絶対に動かぬ。動く奴は日本軍と決まっているので見つかれば殺される。何とかして敵の中を突き抜けることを考えなけばならぬ。下士官は2人やられた。今度は私が指揮をとらねばならぬ。残ったのは私と横山上等兵と林上等兵の3人となる。中のよかった同県人の矢野軍曹も死んだ。涙が落ちる、止むを得ん戦争なんだ。
横山上等兵戦死
横山上等兵も同県人だが彼は私よりずっと若い。残った3人で又行く。伏せたり這ったり歩いたり進んで行く。しばらく行くと、飛び降りるに都合のよいところがあった。用心せんと下に又敵が居るかもしれん。横山が伸び上がりながら下をのぞいた。アッ痛いと言った。うつ伏せになった。下から銃声が起こった。やられたのだ。私が引き起こしたが駄目だった。胸から背中にかけて撃ちぬかれていた。残念でならない。
次から次へと死んでいく。今度は早く行かないと夜が明ける。夜が明けたらおしまいだ。たちまち発見せられて命はない。
林戦死
私は林と2人になった。林よ今度は海に出ず陸の真ん中を通って行こうと相談してそのようにした。起きては這いながら行く。照明弾が上がれば伏せる。暗くなれば這って行く。ずいぶん行った。100メートルも前に敵の歩哨が2人見える。林よ右の歩哨は俺が殺す、左の歩哨はお前が殺せ、その中を突っ走るぞと命令した。2人はジリジリと進む。林上等兵は立ち上がった。ウロウロ見まわしている。私はあわてた。小さい声で林よ伏せよ、林早く伏せんかと言うが返事をしない。そのうちパンと銃声があった。林はそのままうつ伏せに倒れた。走りよって引き起こして見たがもの言わぬ。胸から背にかけて撃ちぬかれていた。なぜこんなところで立ったのかわからん。
8名脱出したものが私一人になってしまった。生きる望みはない。みんな死んだ。私も死のうと覚悟をきめた。東の空は明るくなった。夜明けだ。夜が明けたら駄目だ敵の真ん中だ、直ぐやられる。
私も撃たれた
私一人残った。今度は走った。海の方に向かって走った。小高いところがある。明るくなったのでよく見える。飛び降りるべくのぞいたその時だ、下から上に向けて敵が撃った。私は胸に焼け火箸を突き刺したように感じたと同時に息が出来ぬ。まっさかさまに落ちた。ああ私も遂にやられた。全員死んだか情けないと思った。血は飛び身体が動かぬ。気がついたら敵の目の前だ。沢山米兵が居る。その前に私は落ちている、生きていた。突然立ち上がり、横にある横穴陣地に走りこんだ。物すごく血が流れる。シャツもズボンも血で染まった。穴の壁に背中を押し付け少しでも血を止めようとしたが、何の効き目もなかった。
敵さんは穴の口に火炎放射器を持ってきて奥に向けて火で焼きだした。私のところまで火は届かなかった。もう少し前に居ったら焼き殺されるところであった。私は左腕から背中にかけて貫通銃創を受けていた。息をすると体がふくれるのでそれが痛いのだ。死ぬ苦しみであるが息をせん訳にはいかん。
全滅
最後に残った私も遂にやられた。斬込に行った8人全員がやられた訳だ。みんな死んだのだから死ぬのは当たり前である。私もやがて死ぬ。医者も薬もない。食うものも水もない、死は目前だ。うらむことはないと自分に言い聞かせた。目はくらむ、血は物すごく出る。身体中冷たくなった。駄目かとあきらめた。穴の奥から日本兵が出て来た。誰だヤラレタかと言う。この通りヤラレタと傷を見せる。奥へ来いと言う、ついて行く。奥に敗残の日本兵が沢山居った。傷ついたのや病人ばかり居った。私の傷をシャツとゲートルで手当してくれた。カンメンボーを少しくれた。水がなければ喰えぬ。人間重傷を負い血が出ると、水が欲しくてたまらんようになる。その時水をやると必ず死ぬ。それでもあれば飲む。死んでも飲む。飲まねば居れんのだ。私も水をくれと頼んだが、すずめの涙程しかくれぬ。ないものは飲めんのだ。土の上に転がって痛さをこらえる。傷は化膿してはれてきた。左手は全然動かなくなった。うずく、息が出来ぬほど痛い。
米軍は穴の出入口を探して爆破していく。今日も何ヶ所も爆破した。日本兵を穴の中に埋め込み出られなくする作戦だ。出入口は至る所に開けてあり、少し位埋めても空気の通わぬ心配はない。空気はあるが水と食料がないのでいずれ全員死ぬに決まっているのだ。重傷者は早やずいぶん死んだ。水の代わりに自分の小便を飲む者もある。歩兵の元気な奴は脱出する相談をしている。敵の小舟を盗み北硫黄島に逃げると言う。潮の流れを利用すれば行けると話している。我等重傷者にも話はあったが、とても一緒に行ける状態ではないので断った。10人くらいが夜を利用して外に出た。おそらく全員死んだであろうと思う。
我等は食料がないから明日頃は死ぬより致し方がない。私は他のものに話してみた。君等脱出するかここで死ぬかどうすると言うと、私は動けないのでここで死にますと言う返事ばかりだ。実際に動けん奴ばかりだ。私は穴の中で死ぬより外に出て味方の居るところに行って死にたい。北部落に帰り状況を報告して水をもらって飲んで死にたかった。このまま喰わず死ぬより出ようと考えた。穴の口まで這って来たが出口が高いので片手で出ようとしたが身体を支えることが出来ず傷は痛い、身体は持ち上げることが出来ん。又あきらめ、元の所に転んで寝る。一晩中痛さになやまされる。夜は明けた。喰うものはない水もない。今晩は出なければ明日は穴の中で死ぬ、出ようと又夜を待って這い出て行く。その晩何回も何回も片手で身体を浮かす練習をする。落ちては上り又落ちる。長い時間かかって遂に出ることに成功した。夜で照明弾が上ったり落ちたりしている。目的は北部落の味方の陣地だ。明るい時はすわる、暗くなれば這って行く。右手で這い左手は動かぬ。少しずつ進む。北部落に帰って飯をもらい水を飲んだら死ぬと決めている。立って歩いてみる。歩ける。海岸の30メートルくらいの断崖に出た。闇にすかしてみると人間が近づく。只一人だ。敵だったらそのまま死につながる。私は重傷者だ、手が動かん。銃もない。合言葉は山と川である。私は山と言ってみた。川と答えがあった。友軍だ。日本兵であった。互いによりあった。私は彼に事情を話して連れて行ってくれと頼んだが彼は元気なのだ。足手まといと思ったか、ずんずん行った。私は残された。ついて歩けんのだ。その男浜に下りた。そこで手榴弾の音がした。銃声も起こった。彼が敵に出会ったのであろう。死んだにちがいない。私もそうなるやもしれんが、行くより方法がない。目標物は砲弾で飛んでしまい方角がわからん。夜だから特にわからん。海に出て北に歩くより仕方ない。30メートルも高い崖が砲弾で撃ち砕かれて45度くらいの坂になりザラザラの土と石になっている。私はズルズル滑り降りていく。途中で岩がそのまま残っていた。夜だからわからずまっさかさまに落ちた。途中背中の傷が化膿しているのを岩に打ちつけながらドンドンと落ちた。10メートルも落ちた。砂浜に落ちた。背中の傷が破れて膿がどっと流れ出し、ぬるぬるとなり流れ出る。背中だからどうも出来ん。流れっぱなしである。ズボンまで血の膿で染まってしまった。ああこれで死ぬのか、残念であるが誰も居らんので手当してもらうことも出来ない。それでも立ち上がり、砂浜を歩いて水ぎわに行きついた。海は戦争を知らずにザーザーと小波が立っていた。水を飲みたくて喉が焼け付きそうだ。海水は潮だから飲めぬ。付近にドラム缶が流れ着いていた。私は米軍の飲料水かもしれんと思ったので、石でカンカン叩いてみたがなかなか開かない。その音が敵さんに聞こえぬはずはない。直ちに発見された。2名が私を追ってくる。射殺される。私は銃なし、手榴弾一発のみ自殺用に持っているが使用出来ぬ。元の方向に逃げる。砂だから足跡は残る。敵さん足跡を追って来る。背中の傷が破れてヌルヌルになっている。左手は完全に動かぬ。岩かげに隠れようと近寄ると、そこにも敵は銃をかまえて私の近づくのを待っている。直ぐに私は姿をかくして元の方に走る。さきほど落ちた所に来た。45度の崩れた坂を登る。這いながら右手を使用して掻きあがる。左手は全く動かない。途中で私は力尽きて気を失ってしまった。
精も根も尽き果てた。4日も喰わずに穴の中で寝ており、今晩穴を抜け出してこの苦労だ。傷は化膿する、今破れて膿の出放し、敵に追われていれば気を失うのも当たり前である。ここは日本軍の死体が山をなしており、その中に私が気を失ったのだから、敵さんも死体と私との区別がつかず遂に私を見失い、追跡をやめたものと思われる。私が気がついたのは朝になっていた。45度の上り坂の中央部まで這い上がり四つん這いになっていた。私は死んでいて今生き返ったのか全く意識がない。坂を登りきり砲弾の穴にはいった。硫黄が吹き上げている。尻が暖かい。昨夜の出来事で私の身体は冷え切っていた。背中の傷から血膿が出放しであり、喰わず飲まず4日だから、自分で自分のことがよく分からない。傷ついてから何日ぞ、4日になるはずだ。今日ここで死ぬであろう。3月18日だと思う。私の生まれは明治44年3月18日だ。死ぬのも今日、昭和20年の3月18日だ。このまま自然死か、穴から出て射殺されるか、自殺用の手榴弾で自殺するより方法はない。命のない事だけははっきりしている。傷は重い喰うもの全くなし水もなし、死より方法ない。手榴弾を出してみた。振り上げた。しかし軍の命令は最後の一兵となるも尚ゲリラとなり敵をなやませ、である。今私は最後の一兵となったが死んではならん。ゲリラとなるのだと思い返して手榴弾を雑のうにしまった。
米軍の飛行機が一機私の頭上を地面すれすれに飛んだ。日本は玉砕したのだなあと思った。私の行くところはすでになくなっているのだ。北部落にも味方は居らぬ。行くだけ無駄だと思う。女房や子供、母や兄弟に会いたいと思うがもはや生きることさえ出来ないのだ。私はこの身体は生きる力はない、死ぬなら敵の陣中に行って死んだほうが軍人らしくてよい。そうしよう。戦友は皆死んだんだ。死ぬのが当たり前なのだ、死のうと考え、砲弾の穴から出た。敵に取り囲まれた。敵は10人位だが、銃を全部私に向けている。動けば蜂の巣のようになって死ぬのだ。止むを得ん、俺は死ぬのだ。何でこの命が惜しかろう。撃てと胸を叩いて見せた。
米軍は首を横に振り、すわれと手で指示する。私はすわる。鼻の高い、背の高い、青目の兵隊は銃を私に向けたままだ。私はどうも出来ぬ。殺すなら殺せ。覚悟は出来ているのだ。彼等の言うままになる。水を飲ませてくれ、死ぬ前に水を飲ませてくれと手で指示する。左手は動かんので右手で示す。兵隊は自分の水筒をくれた。飲んだ飲んだ大きな水筒の水を飲んでしまった。さあ満足だ殺してくれとすわる。彼らは私に来いと招く。ついて行く。私を中にして歩いて行く。私もヤケクソだ、殺しやがれとついて行く、どこまでもついて行く、日本軍の死体の中を歩いて行く。
幕舎に行く
軍医の居る幕舎についた。軍医が診てくれた。私は水は飲ませてもらったが腹はすいている。4日も食っていない。手で口の中に入れるものくれと動作をする。直ぐわかった。缶詰をくれた大豆を煮たものであった。全部喰ってしまった。軍医は傷に白い薬をかけてから、傷が重いから野戦病院に行きますと言う。殺さんのかと不思議に思っていると、ジープが来た。後部が抽斗になっており、それを引き出して2人で私を投げ込んだ。押し込んでカギをかけて走り出した。道でないからたまらん。砲弾の穴だらけだ。車は出たり入ったりドンドンバタバタ走るが、体が引き出しの中であちらに当たりこちらに突き当たり、背中の傷も打ち当てられ死ぬ思いである。泣いてもわめいても、死んだとて見向いてくれる者はない。敵さんに捕まっているのであるから止むを得ん次第だ。
米軍病院
野戦病院についた私は引き出しの中から出され、軍医が診てくれた。喰うものはくれるし、これは本当かな、夢ではないか、戦死してあの世に来ているのではないかと思った。二世の米国軍人が沢山居るので聞いてみた。硫黄島は3月17日我々が占領した。日本は負けたと言う。私は無駄な戦争をしたものだ。日本軍2万は玉砕したのか、知らなかった。俺も死んでいた方がよかった。何故生きているのか、いつ米軍に殺されるかわからん。捕虜生活はつらいものだ。