中宮寺・弥勒菩薩展

2005.4.6.

弥勒菩薩像
この写真に惹かれない人は少ないだろう
 
奈良の中宮寺まではそう簡単に行けない
せっかく上野に来ているのなら
観たかった

会期も短いから混むだろうと、朝早く行った
 
桜の季節なので
上野公園の桜を楽しめるように西郷さんの方から公園を歩いた  


国立博物館では弥勒菩薩展とベルリンの至宝展をやっていた 
両方観るかと聞かれたが
私は展覧会は一つでゆっくりしたいのでので
今日は観たかった弥勒菩薩展だけの券を買った 


たった一点を観るための展覧会、贅沢な気持ちで入った


たった一点の像を、どう展示してあるのか興味があった


薄暗い館内を歩いて行くと
薄物の着物の幅の白い布が
右手に天井から
ゆったりとしなる様に3枚垂らしてあった 

そこに弥勒菩薩像の姿が影となり映っていた

ゆったりとした部屋には人影は少なかった

弥勒菩薩像の全身が見られた
早い時間に来て良かった・・

なんと言う美しさだろう・・ 
すべらかな体つきにその微笑み、だんだん近づく時の嬉しさ・・・・


公園を歩きながら
仏像はたとえ暗くてよく観えなくてもやっぱりお寺で観るべきだと思うわ
などと私は知ったようなことを言っていた

その言葉はここですぐに取り消した

キレイな姿に心奪われながらもこんなことが気になった

正面から見るとら、腕が頭の大きさに対して短い 
昔の人の体型は今の日本人より手足が短かったからだろうか
などと考えていた


一緒に見ていた友だちが、
お寺に置いている時と同じ目線で見るのがいいのだと教えてくれた 
中宮寺ではどのくらいで置いてあったかなと
屈みこんで見ていた

私もマネをして身体を低くしてみた 
また感じが違った 
仏像は崇めるものだから昔の人は座って見たと教えられる

斜めから横からとゆっくりと見ていく 

こちら側から見たところが良いとか、後ろも見事だなど、うっとりしていたたが、その美しさへの見事な計算に驚く

私はこれの左側の方がキレイだと思うのだが、
この腰の豊か差を強調する重なる襞の線 
これは、こちら方向←のようにかさなり
目線を足に導き腰の丸みを表現している

頭から下ろした足への動線も見事だ 長い耳たぶから腕へ下に流れる襞へと続く

私はこの足の裏の見事さに嫉妬を覚えた 
二の腕や足の裏のように特に何もないところは
ごまかしようがなくて、
製作者はとても苦労するところなのだ

後ろに回って見ると、
今度はかすかに左右の肩や腰のバランスが違い
上から下へと目線が流れていく


この身体付きは少年か少女かなどと討議した
少女にしてはシッカリした肩を持つが、
少年はこの年ならもう少し筋肉を感じるはずだ
とかなんとか詮索するが結論は出なかった

後ろから見ると少年風で
正面からみると女性だと思える



これまで光背は
深く考えもしないで頭に付いているものと思い込んでいた
これは下からの棒で支えられて後ろに立っていた

この像は生きていることを示し、 
夢殿の救世観音像は光背が頭に釘で打ち付けてある
それは亡くなっている人を示すと友だちに教えられ
怖い気がした

それにしても、聖徳太子とはどんな人だったのだろうか・・
これが聖徳太子と同寸の像と知り、
私は初めてこのモデルが聖徳太子であることを知った

また夢殿の救世観音像も彼がモデルだ

亡くなってまで、こうもあがめられる人に興味を持った
歴史を苦手として怠けてきたことををまた後悔した

仏像を見ていると、
動きが作りがと言う以外のことにだんだん興味が湧いていく

元は彩色してあったと言うこの像、
私は今の漆黒の姿で見られて嬉しかった

いくら見ていても飽きない 
いつの間にか、
動きがどうのみたいな
制作者の目が消え静かに像と向かい会っていた


いくら見ていても限りがないので、
混んできたこともあり一応の満足をした所で外に向かった

振り向いて
垂らした布の間から像が見られて嬉しかった

外には、春の風景が広がっていた

美しい日本の桜の季節
この像を観られたことを感謝します

そんな気持ちになった

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