灯台下暗し

第9話 決意

正直、その時のことは覚えてはいるけどあまり思い出したくはない。桃城に喧嘩売られてボロ負けし、海堂には一方的に理不尽なことを言ってしまった上に急に体調に不具合があることに気がついた。そんで結局部活を早退して大石副部長を巻き込んで家に帰る羽目になる。(副部長を巻き込まざるを得なかったのは迎えに来てもらおうと電話したら家のモンが誰も出なかったからだが。)情けないとしか言えない。その場で溶けてなくなりたい心境のまま、今俺は大石副部長に肩を借りて歩いていた。
「すいません、副部長。お手数かけて。」
「遠慮するな、俺の仕事だ。」
「どうも。」
俺はそう言うのがやっとだ。頭はクラクラするし、苦しくて何度も吐く息が熱いのが自分でもわかる。海堂は今頃どうしてるだろうか。あいつのことだ、例によって淡々と練習に励んでるんだろうが俺の体調が回復して顔を合わせた時にまたもっぺん話をしてくれるんだろうか。こんなに卑屈でキレやすくて腹黒い野郎なんかと。本当におかしな話だ、こないだまで誰かと関わろうとしなかった自分がどうしてこんなことを考えるんだろう。何でどこか焦ってるような感覚を覚えているんだろう。ただでさえ具合が良くないのにそんな思考が頭をグルグルと巡って更に気分が悪くなってくる。一瞬だけえづいたら大石副部長が滅茶苦茶焦った。
「大丈夫なのか、。」
「多分もうダメっス。」
おいおい、と更に副部長は慌てるが、慌てたって実際のところ状態は良くないんだからしょうがない。でもそんなことより、
「副部長、」
「ん。」
「俺、どうしよう。」
唐突な俺の発言に副部長は別に不審そうな顔をすることなく、優しく、どうしたのか尋ねる。
「海堂に無茶苦茶言っちまったっス。」
「ああ、残念ながらそうだな。でも気にするな、具合が良くなってからちゃんと謝ったらいいさ。」
「ホントに、ハァ、そうなんスかね。」
「大丈夫、海堂はああ見えるけど、話せばきっとわかってくれるよ。」
「だと、いいけど、フゥ。」
熱い息を吐きながら喋る俺に、大石副部長はもうあまり考えるなと言って背中をさすってくれる。そういえば家族以外でそうされたことなんて今まであっただろうか。
「何でだろ、」
さすってもらって少しホッとしたのと熱で相当どうかしてたのだろう、俺はいつもならきっと他人には言わないことを口にしていた。
「今まで、ハア、誰かと関わらなくたって誰も俺を見てなくたって、ハア、平気のはずだったのに。」
。」
「今、俺、すっごく嫌だ。海堂と話せなくなるんじゃないとか、色々、思ったら、ハア、凄く。」
元々熱で熱くなってた目頭が更に熱くなってくる。
「嫌だ、嫌だ、失くしたくない。」
一言、一言喋る度に目からポタポタとこぼれるものがある。ダメだ、俺マジでおかしい。こんなこと、誰が相手でもまともな状態なら絶対言わない。言うもんか。
。」
大石副部長が優しく言う。
「お前はもっと素直に自分を出したらいいと思うよ。」
「え。」
鼻をすすりながらの情けない面で俺は副部長と目を合わせる。
「最近、海堂からよくお前の話を聞くんだけど、お前はどうも色々中に押し込めてしまうタイプみたいだな。」
海堂の野郎、一体何を喋りやがった。そして違うとは言えない俺って一体。
「俺はお前に何があったのかは知らないし、無理に聞くつもりもない。でも、これだけは言える。海堂はお前にもっと自信を持ってほしいと思ってるんだよ。だからつい怒ったんじゃないか。」
そう、なのだろうか。でも確かに海堂はあの時、『どこまで無自覚なら気が済むんだ』と言っていた。そう思ってるが故の発言なら充分納得が行く。つまりは俺はそこまで頭が回らんままに無茶苦茶を言ったという訳でまたも酷い自己嫌悪が襲う。
、自分を責めるのはほどほどにな。」
何か察したみたいなタイミングで副部長が言った。
「お前に今必要なのはそっちじゃない。」
「はい。」
俺は呟く。ちょっとだけ気分がマシになった気がした。

大石副部長に連れられて家に戻り、急な俺の帰宅に半狂乱になったおかん(そもそもこっちが何度も連絡したのに気がつかなかった自分が悪いんじゃないかと思うけど)にうんざりしながら俺は着替えて布団に入る。布団に入ったらさらに緊張が解けたのか、急な疲労と頭痛が襲ってくる。熱は更に上がったらしく、意識せずとも思わず唸ってばかりで何度か妹が部屋に来ては大丈夫かと声をかけてきた。そうして返事がまともない出来ないまま、俺はいつのまにか意識を失っていた。

一応念のため、と枕元においていた携帯電話が振動したのは何時間後のことだったろう。気がつけば部屋の中は真っ暗だ。つーか、このしんどいのに一体どこの誰だと思って電話をとろうとするが、手を動かすのもしんどくてうまくいかない。ズルズルと通常の何倍もの遅さで腕をやっとこさ伸ばし、画面を開いてみたらEメールが1件来ていた。人との関わりを極端に避けてきた俺の携帯電話に電話やメールが来ることなんてほぼない。さては業者のスパムメールかと思って差出人を見てみたら、
「かい、どう。」
カラカラの声で語尾を疑問形にしながら思わず呟いてしまった。そういえば、念のためとお互いの携帯電話の連絡先を交換してはいたが、俺も海堂もあまりメールや電話に執着がなく学校で顔を合わせば済むと考える点だけは共通してたから使ったことがほとんどない。なのに何で、と思いながら開けてみると、
『自分の体調考えないで暴れる馬鹿があるか。』
体調は現在最悪、精神的余裕も勿論まったくなかったのでかなりムカッときてメール画面をさっさと閉じ、布団に潜って寝なおそうとする。そしたらすぐにまたメールが来る。差出人はやっぱり海堂だ。今度は何だと一応メールを開いたら、
『さっさと治してこい。』
パケット代をケチってんのかと思いたくなる文面、でも何故か脳裏に考え考えメールを打ってるうちに間違って途中で送信し慌てて後続の文を打つ海堂の姿が浮かんで俺は思わずへへっと力なく笑ってしまった。
「海堂らしいわな。」
俺は呟く。返事を打ちたかったが、携帯電話で文字を打つ体力すら今はなかったから後でと思い、そのまままた眠った。

眠っている間にあまりよろしくない夢を見た。学校のテニスコートらしきところに俺はいる。らしき、というのは見慣れたテニスコートのはずなのに何か細かいところが色々違っていたからだ。よくよく考えたら現実にはありえないような部分がたくさんあったのに、その夢の中では不思議と感じなかった。そんな不思議空間のテニスコートに海堂が背を向けて立っている。俺はそこに近づこうとする。でも何故か距離が一歩も縮まらない。それどころか、歩けば歩くほど距離は開いていく。とうとう俺は走り出すけど距離はどうしようもないほど離れていって、しまいに転んでしまった。地に伏せたまま見上げたら、海堂は先を歩いていて俺を振り返ることは一度もなかった。待てよ、と声を上げて手を伸ばすと誰のものかわからない足が、それも逆光になったみたいに影だけの足が俺の手を踏みつける。痛みを感じてもっぺん見上げたらその影はよく見知った姿をしていた。
『お前、誰だ。』
驚愕して思わず声に出して問うた瞬間に目が覚めた。
「う、あ。」
寝覚めの悪さに思わず唸りながら俺は目を開ける。部屋の中はまだ真っ暗だ。大して時間が経ってないのか、それとも寝ている間にもう夜中になってしまったのか。気づけば目に涙が溜まっていたので寝巻きの袖で拭う。あの夢は一体何だったのか。どんどん離れていく海堂の姿、伸ばそうとする俺の手を踏みつけた黒い影、それだけでもぞっとするのにあの影はよりにもよって…。ああ、言うまでもないだろうけど言っておこう。あの影は俺の姿そのものだった。何で俺の影が俺の手を踏みつけるのか、それが意味するのは何なんだろうか。考えても今はよくわからない。とりあえず少し体が楽になっていて、ちょっと上半身を起こすくらいならいける状態になっていた。そういえば海堂からのメールを返してないことを思い出す。携帯電話を開いたら夜の9時になっていて、これくらいの時間ならよかろうと返信を打つ。
『今日は無茶苦茶を言って御免。寝たらちょっと楽になったからすぐに復活すると思う。』
打ち終わった瞬間に力が抜けて手から携帯がすっぽ抜けた。まだダメらしい。(当たり前だが。)どうせ海堂からすぐに返信が来ることはないだろうと思ってまたも布団に潜る。ところが潜って1分もしないうちに携帯がブルブル震えだす。海堂がもう返事をよこしたのか、まさか。いっぺん力が抜けた腕をズルズルと布団から引きずり出してもう一度携帯電話を掴んで開ける。Eメールが1件、まさかと思いつつ開けたら差出人は『海堂薫』だ。おいおい、マジか。今日日の連中からは想像がつかないであろうくらい少ないこいつとの過去のメールのやりとりを思い返す限りではすぐに返信が来たためしなんかない。向こうが気づいてないとか、面倒だからほったらかしとかなんて平気だというのに、悪いものでも食ったんだろうか。とにかく本文を開いてみたら、
『俺に言ったことはどうでもいい。』
その一文の後に改行が一つあって、
『お前はもっと自分の力を自覚しろ。』
え、と思って読んでいると更に一行空いてて、
『お前は自分が思ってるより強い。俺はそう思ってる。』
まだ頭がまともじゃないもんだから、一瞬読み間違えたかと思って画面を思い切りスクロールした挙げ句最初から読み直す。更に最後の行にまだ何か書いてあるんじゃないかと思って下へスクロールするボタンをしつこく押してみた。でも、それ以上は何もない。信じられない、と思った。海堂が、あの厳しい海堂が俺のことを自分で思ってるより強いとはっきり言った。お世辞とかその場しのぎの言葉なんてことはこいつには有り得ないと思いながら、それでも何かの間違いかと思った。そこへ駄目押しするかのようにまたメールが入ってくる。
『もし今くだらねぇこと考えてるんならやめちまえ。』
まるっきし見透かされてるようなタイミングに俺はまた、へへ、と笑ってしまった。
「何だ、こいつ。」
喉がおかしいくせに思わず笑いながら呟く。
「何か憑いてんのか。」
とか何とか言いつつもこの瞬間、俺は急に気分が楽になって自分でもそれとわかるくらい笑みを浮かべながら布団に潜り直していた。

その後はしばらくは安らかに眠っていた。起きたのは食事の時(大して食べられやしなかった)と薬を飲む時と体温を測る時くらいだ。でも夜中になると熱がまた上がって気分が悪い。部活の雰囲気を悪くしてしまったことについて皆にどうやって謝罪したもんかとか、今度会った時に海堂の顔をまともに見られるだろうかとか、いつも行ってるストリートテニスコートで誰かが俺のことを悪く言ってやしないかとか色々マイナスな思考に支配される。まったく、どうしようもない。うんうん唸りながら、大人しくしてれば何とか回復することを頭に言い聞かせているうちにふと、あの悪夢と海堂のメールを思い出す。俺の手を踏みつけて動きを封じる姿がそっくりの影、そして海堂がよこしたメールの文面、
『お前は自分が思ってるより強い。』
という言葉が頭の中をぐるぐると回り始めた。熱でぼんやりとしている俺の頭はまるで何か魔法をかけたみたいにそれらを何度も繰り返し、俺の中に強く印象づける。ふと思った。筆不精(というか、メール無精か)の海堂がわざわざあそこまで言ってくるということは、俺はまだいけると信じていいということだろうか。俺の中にはまだ力があると思ってしまっていいということだろうか。大石副部長は言っていた、海堂は俺にもっと自信を持ってもらいたがっていると。だったら、
「わかったよ。」
誰も聞いていないのをいいことに俺はガラガラの声でひとりごちた。
「お前がそう言うんなら、何とかやってみるさ。」
そして、ブツブツ1人で言い終わった直後に眠気がぐあっとやってきて俺は意識を手放した。

結局ぶっ倒れて2日後の朝、俺はすっきりと目を覚ましていた。どうやら単なる風邪で、そうひどいもんじゃなかったらしい。いや、そんなことはどうでもいい。何度も本当に大丈夫かと言うおかんの声を背に制服に着替える俺の頭の中ではあの悪夢に出てきた影が俺の手から足をどけ、煙が風に流されていくように消えていく様子が浮かんでいた。妄想ではあるけれど、とにかく決めた。もう逃げない。

続く

作者の後書き(戯れ言とも言う)
最近、言おうとしていることがうまくまとめられなくなってきた。年齢のせいか。 2009/02/25

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