灯台下暗し

第6話 危険物

改めて一歩を踏み出し、新しい朝が来た。俺はいつものように半分寝ぼけながら登校路を歩いている。今日もいい天気だ、朝練するにはもってこい。暑くなるだろうけど。ぼうっとしながら歩いてると、見覚えのある後姿が目に入った。
「おはよーさん。」
駆け寄って声をかけてみる。
「おう。」
相手は振り返ってぼそりと呟き、すぐに向き直る。俺はタタッとかけてその横に並ぶ。
「今日も暑そうだなぁ。」
「関係ねぇ。」
「ああ、そっか、お前に天候関係あるとしたら台風ぐらいだな。言う相手間違った。」
「朝から寝言抜かしてんじゃねぇ。それにどっから出てくる、その発想。」
「何かこう、降りてくんだよ。」
「説明しろってことじゃねえだろがっ。」
どうしろってんだよ。俺が困惑した顔をすると、海堂はどうしようもねぇと言いたそうにため息をついた。
「ったく、てめえと喋ってると頭痛え。」
俺は朝から耳痛えよ。それなら最初から関わらずにほっときゃ良かったのに。まあ、お互い運の尽きだったってことだ。それより、
「俺、まるで天然ボケみたいな扱いされてるのは気のせいか。」
「違ったのか。」
「違うだろ。」
天然ボケってのは、もうちょっとこう、温和でホワホワした雰囲気の人じゃないのか。 間違っても、脳内でつい突っ込みを入れる俺みたいなタイプはありえないと思う。
「ところで、」
「何だ。」
考えてたら海堂が更に話を振ってくる。教室や部活で見かける限り、こんなに口数の多い奴じゃかったと思うんだが、まさか何かの拍子にキャラ変わったとかそんなんじゃないだろうな。
「てめえさっきからそんなんで人の話聞こえてんのか。」
一方の海堂は俺の耳―丁度アーム式のイヤフオンをつけている―を指差した。 金属っぽい青い外装を施されたコード巻き取り式のそれは俺のズボンの後ろポケットに入ったデジタルオーディオプレイヤーに繋がっている。海堂としては俺が音楽聞きながら喋ってるのが気に入らないんだろう。
「ちゃんと聞こえてるぜ。」
でなけりゃさっき怒鳴られた時にうるさいとは感じない。大体近くの相手の声が聞こえないってどんな音量だよ、そんなもん1分も聞いてられないっての。
「お前も聞いてみるか。」
てっきりいらねえと断られるかと思ったが、海堂はこっくりと頷く。意外なこともあるもんだ。俺はコードを伸ばすと片方のイヤフオンを外して海堂に渡した。海堂は黙ってそれを受け取ると自分の耳に近づける。
「聞いたことねえ曲だな。」
「半年くらいで終わったアニメの主題歌だったからな。」
「おまけに音が悪い。」
「しょうがねえよ、MDにしか残ってないやつ無理矢理録音したんだから、パソコンで。」
元のCDは妹の友達から借りたものだったが、その後その友達が飽きて中古屋に売り払ったらしい。探してみたがマイナーだったからそう見つかるもんじゃなく、俺ら兄妹は諦めたのだ。
「お前、そんな真似も出来るのか。」
海堂は妙に感心したように言う。
「言うほどのことでもないと思うけど。」
ケーブルでパソコンとMDウォークマン繋いで、ソフト使って録音して所定のファイル形式に変換すりゃ済む話じゃないか。ソフトはネットで探しゃ無料のが見つけられるし。 ってなことを言ったら海堂はやれやれと言いたそうに頭を振って片方貸したイヤフオンから流れる曲に耳を傾ける。
「いいだろ。」
「まぁ、嫌いじゃない。」
どうやらご満足いただけたらしい。そうやって俺と海堂は歩き続けて、やがて学校の建物が見え始めたところで海堂がイヤフオンを返し、俺も音楽を止めてプレイヤーとイヤフオンを鞄にしまった。
「よっしゃ、収納オッケー。」
「とっとと行くぞ。」
「おう。」

2人して校門をくぐると周囲にいた数人、多分他の部の連中、がびっくりした目で俺と海堂を見てきた。テニス部の海堂が誰かとつるんでるとか、ってか隣りの奴誰だとか好き勝手言っているのが聞こえる。まさか他の部の奴にまで言われるとは思わなかった。いい気分じゃない。でも海堂が全く動じないから俺が何か反応するのも変な話だと思って敢えて黙っておく。 でもテニス部の部室までのほんの短い距離を2人して歩いてる間はずっとこんな感じで、うちの部って無駄に目立ってんだな、と妙な実感が湧いた。まあレギュラーだけでもあんだけ個性キツいのが多けりゃ当然だろう。しかも無駄にキャラが濃いだけじゃなくて、実績があるとなおさらだ。そうなるとその個性キツいうちの1人の隣に今自分がいるのはますます不思議な話ということになる。そら目立つし、何か言われるわ。ここまで気づいて俺は1人凹んでしまった。どうやら俺の平穏は大気圏を突破しつつあるようだ、それも自らの手によって。
「おい、」
ふいに海堂がよびかけたから、思わず俺はビクッと体を震わせた。
「何ボサッとしてやがる。」
「え、あ。」
気づいたらいつの間にか部室の前に着いている。
「考えごとしてた。」
「てめえに考えることなんかあったのか。」
こいつ、俺のことを何だと思ってんだ。中身だけ抜かれた缶ジュースか。一応俺も思考する生き物だっての。
「ひょっとしてお前、俺のこと阿呆って思ってるか。」
問うと海堂は足を止め、一瞬考えてから言った。
「阿呆か阿呆じゃないかがわからねぇと思ってる。」
「こ、の、ヤロッ。」
どついていいか、マジでこいつどついていいか。俺は後ろから海堂に飛び掛りそうになったのだが、
「おはよう、朝から元気そうだね。」
後ろから不二先輩に声をかけられて固まった。
「お、おはようございます。不二先輩。」
「今固まったの、何か意味があるのかな。」
俺はブンブンと首を横に振りまくる。うっかりしたらオーラで死にそうな気がするぜ、この人相手だと。あ、まさか海堂の野郎、これを予測して…。んな訳ないか、海堂だし。その海堂は人に言いたい放題言っといて先に部室に入っていった。
「くぉら、海堂。お前、言いっぱなしにすんなっ。」
喚いてたら不二先輩がクスクス笑い出す。
「ホント、急に仲良くなったね、2人とも。」
「そうなんですかね。」
俺は頭をポリポリやりながら呟く。
ってさ、」
「はい。」
「ひょっとしなくても(にぶ)いのかな。それとも気づいてないふりしてるだけ。」
「ハァ。」
意味がわからず呆ける俺を放って不二先輩は部室に入る。アンタも言いっぱなしかよ。
、いつまで突っ立ってやがる。さっさと入って着替えろ。」
「言われなくてもするってのっ。」
何で中から海堂にんな注意されなきゃなんないんだよ。お前は俺の父親かっ。とは言うものの、脳内で突っ込んでもしょうがないので俺は部室に入った。

今日も朝練の直前までは比較的爽やかだったけど、実際始まったら気持ちのいいもんじゃなかった。2年と3年の俺に対する態度は相変わらず冷たく、1年は必死で俺と目が合わないようにしている。今の放課後の部活も同じ感じで、それでも何とかなっているのは不思議とレギュラー陣の大半が俺に対して友好的なのと(部長はよくわからないので除く)、やっぱり海堂が何かと俺の近くにいるからだった。何だかんだ言ってる俺ではあるが、正直有り難いと思う。海堂が何故俺にそうするのかはまだよくわかっていないけれど。そんなことより、俺は今ピンチだった。
「おらおらっ。」
2年と3年の先輩の一部が球出しをしている。残りはそれを打ち返し、1年生は流れ弾に当たらないようにしながら球拾いをしている。パッと見は普通の練習風景、でも何で俺がピンチかっていうと、
「このっ。」
バシィッ
「またかっ。」
バシィッ
「つーか、しつこいっ。」
何となくわかってもらえるだろうか。要するに集中攻撃に遭っていた。被害妄想なんかでは断じてない。ランダムで繰り出されるはずの球は明らかに多くが俺に向かって飛んできている。勿論、そのまま頭にガインッとぶつけるようなギャグ漫画のノリになる俺じゃない(つもりだ)、でもちょっとこれはないんじゃなかろうか。
「おらっ。」
今度打った球は勢いが足りなかったらしく、ヘロヘロとネット前に落ちる。
「どうした、。しっかりしろよ。」
悪意がはっきりと伝わる口調で球出しをしてる1人が言う。嫌な野郎だ。そうこうしているうちに球が同時に3つ俺に向かって飛んでくる。示し合わせて打ってきやがったな、殺す気か。慌ててバシバシ打ち返したら1つはまともに飛んで行くが、残り2つは飛んでいかなかった上に1つが右隣りのやつに当たる。当然、当たった方は物凄い勢いで怒るし俺が謝っている間にも球が集中して飛んでくるからたまったものじゃない。どうやらレギュラーや竜崎先生が他のコートで別個に練習しててこっちへ目が届かない間に俺をいたぶりたいらしかった。どんだけ陰険なんだ、どうも今日日はこんな奴が多くて困る。
「おい、。ちゃんと打てよ。」
「わかってるよ。」
さっきボールを当ててしまった右隣りの奴に言われて俺はちょっと苛立ちながら答える。当てたのは悪かったが、こいつも同じ状態になったら絶対俺にボールを当ててしまうタイプだ。ちったぁ状況を見て物を言ってもらいたい。そうこうしてるうちにまた集中して球が飛んできた。腹立ち紛れに打ったら今度はうまく飛んでいく。さあ次、と思った瞬間
ドゴッ
「ぐあっ。」
腹に衝撃を感じて俺は思わずその場に倒れた。手からラケットが抜けて後ろへすっ飛んで行く。だけど誰も見ないし、誰も何も言わない、両隣の奴すらも。それどころか、
「早く立てよ。邪魔なんだよ。」
左隣の奴がにべもなく言う。俺はゴホッと咳き込みながら上半身を起こし、前方を見た。丁度直線上にいる先輩が意地悪な笑みを浮かべて俺を見ている。やっぱりわざと当てやがったのか、くそ、舐めやがって。
「おい、、早く起きろよ。こっちが動けねぇだろ、このグズ。」
ここで状況を知らない左隣の奴に更に言われたのは運が悪かった。
「うるせぇぞ。」
俺は思わず唸って相手を睨みつけた。向こうは何で睨むんだと半分怯えながら抗議するが、俺は無視して腹をさすりつつすっ飛んだラケットを回収する。どいつもこいつも鬱陶しい、そこまでして俺を追い詰めたいか。だったら、見てろ。早い話が俺はキレていた。俺は我慢する時はするが、限界が来ると凄い勢いでブチリッといってしまうタチだ。いっぺん海堂に指摘された、普段黙ってるくせに口を開いたら手加減なしに言いたい放題ってのはそれの1つといえる。まずいことに、今この瞬間がそれだった。丁度そこへさっき俺の腹にわざとボールを当てた奴が今度はあからさまに顔面を狙って打ってきた。まだやるつもりか。そう思った瞬間、頭の中でブチリッと音がした。
ドゴォッ
ラケットを振った瞬間、球は重い音を立てて向こうのすぐ足元に着弾した。腹の痛みを我慢しつつ、怒りはそのまま吐き出しつつ打った俺の球は下手したら相手の体のどっかに当たりそうだったと思う。見れば、相手がビクッとなって固まっていた。余程怖かったのか。そして着弾の音が凄かったせいか周りの視線が俺に集中する。
「何だよ。」
俺が言って見回すと、その場にいた連中は何も言わずに視線をそらし、練習はそのまま続行された。気づけば、両隣の奴が俺から微妙に距離をおいている。加えて球拾いをしていた1年生から声が聞こえた。
「あわわわ、すっげぇショット。」
先輩って、あんなの打てる人だったんだ。」
「何か怖いね。」
これでまた危険物扱いが続くが、もう諦めるしかない気がする。そして思う。頼むからさっきの現場を海堂に見られてませんようにと。

いっぺんビビらせたのが効いたのかその後は俺におかしな集中攻撃が来ることはなかった。

その後別個で練習してたレギュラー陣が合流して全員集合、竜崎先生からの話を聞いている間、俺はずっと腹をさすっていた。痛みは大分ひいたが、結構勢いのある奴を食らったから何かおかしなことになってないかと気になってしまう。まだ腹に球の感触が残っているような錯覚もあった。でも家に帰ったらさするのはやめた方がいいだろう、多分異常なまでに心配性なうちのおかんが黙ってない。そうやって耳はちゃんと傾けて、先生の話が終わったら勢いよく『ハイッ』と声をあげて解散、練習再開だ。
。」
さぁ俺も練習と思って行きかけたら竜崎先生に呼び止められた。
「何でしょう。」
「さっきからずっと腹をさすっておるようだが、どうかしたのかい。」
「いえ、別に。」
俺は言ってこれ以上何か聞かれる前にとっとと先生の前から逃げた。言ったところでどうしようもない。こないだ一悶着起こしてるのにこれ以上先生をお手を煩わせることもないだろう。が、先生からは逃げられてもこいつからは逃げられなかった。
「おい。」
「よう、海堂。どうした。」
「そらこっちの台詞だ。」
ヤバイ。これはヤバイ。
「何があった。」
「ちょっとしくじった。さっきの練習で球打ち損ねてよ、当たり所が悪かったな。」
「いい加減無駄にごまかそうとするのやめろ。俺の目はごまかせねえぞ。」
わかったから怒るなよ、頼むから。俺は渋々海堂に事情を話した。海堂は最初は静かに聞いていたが、聞いてて我が事のように腹が立ってきたのかだんだん眉間に皺がよる。
「お前、ここんとこずっとそんな調子か。」
最後まで話を聞いてから海堂は問うた。
「今更何言ってんだよ。こないだの一悶着で危険物扱いされてるつっただろ。」
「何でそうなる。」
「当然さ、誰だっていつ何をやらかすかわかったもんじゃない奴は怖い。しかも、最近お前と喋っててレギュラー陣とも関わっちゃってるから何か勘違いしてる奴もいるしな。」
海堂は首を傾げる。見当がつかないんだろうな。
「こないだやらかした時、絡んできた奴らは俺がレギュラーに取り入って調子乗ってると勘違いしてた。調子乗ってるなんてことはない、俺が今まで自分のキャラ出してなかっただけだし、取り入ってるなんてのは誤解にもほどがある。」
「そんなこと考える奴がいるのか。」
海堂は信じられなさそうに疑問を投げかける。経験がない奴には想像がつかないことだ、無理もない。
「いるんだよ。環境は違っても似たような手合いを俺は何人も見てきた。だから、」
だから、俺はこうならないように今まで静かにしていた。波風立たないように、自分が傷つかないように。でも俺は海堂の前でそう続けることが出来なかった。
「お前、何かあったのか。」
案の定海堂が問うてきた。
「別に。何もない。」
仮にあったとしても、海堂に話す気はない。一方の海堂は何やら悩んでいるようだった。
「灯台下暗しだったろうな、お前にとって。まさかそこまでの事態が自分のすぐ近くに転がってるなんて思わなかったんじゃないか。」
海堂はああ、と(うなず)く。
「まぁ深く考えんな、そういうこともあるってだけだ。」
「てめぇは正気か、それで済む話じゃねぇだろ。」
「でもそれで悲劇のヒーロー面してすっこむ訳にはいかないだろ。」
俺は答えた。海堂はハッとした顔をしたが、別に俺はこないだ言われたことに対する嫌みを言ってるわけじゃない。
「逃げる訳に行かない、やることやるしかないんだよ。そら我慢きかなくなってキレちまったりもするけどよ、結局のところ俺はテニスはやりたい訳なんだし。」
あまりにも海堂が固い顔をしてるもんだから、俺はへらっと笑ってみせた。そう心配することじゃない、と思って欲しかった。
「平気だよ。」
俺は更に言った。
「お前がよく来てくれるから、1人じゃない。何とかやってける。」
それは本当のことだ。俺1人の勝手な思いであることは明白だけど、今、俺は海堂のおかげで救われている。そうじゃなかったらもうちょっと悲壮な面をしたまま、ここのところの日々を過ごしていただろう。でも気づいたら海堂はじっとこっちを見つめていたから、俺は慌てた。
「あ、いや、勝手に思い込んでるだけなのはわかってるけどよ。」
「誰がそんなことを言ってる。」
海堂の口からフシュウウウウと息が漏れる。
「色々と考えてんだな、てめえも。」
「別に、普通だろ。」
言うと海堂は、口の中でブツブツ言った。変な野郎だ、と言ったように聞こえたのは気のせいか。そんな風に会話をしてたら、とうとう竜崎先生から何をしている、とっとと練習に戻れ、と喝を入れられて2人ともすっ飛んで行く羽目になった。

今日、海堂にはほんのちょっとだけど、俺が思っていることを話した。ひょっとしたらこれからも自分のことについて話すことがどんどん増えてくるかもしれない。でもまだ俺は躊躇していた。海堂に今まで他の奴にも見せてなかった俺の本性を見せていいのかどうか。だから、俺はまだ海堂には言えていない。部活が終わってから俺がどこで何をしてるのか、帰ると言いながら実はどうしてるのか。別に悪いことをしてる訳じゃないけど、どうしても知られたくないことがあるのだ。
ってな訳で部活が終わってからいつものストリートテニスコートに行ったら何だかいつもより騒がしかった。一体どうしたのか、と手近にいた他校の奴に聞いたら氷帝学園の奴が来てるという。氷帝つったら、
「ああ、大会になると無駄に大人数で応援するあのはた迷惑な学校か。」
「馬鹿っ、、声がでけぇっ。」
会話してた相手はシーッ、シーッと言うがそう焦らんでも、氷帝だってうちの学校と同じく実力者ぞろいの有名校だ、砂汚れだらけの体操服着た雑魚が何か言ったって相手にするような連中じゃあるまい。ひょっとしたら俺の存在だって見えてないんじゃないか。そう思いながらブルーグレーと白のユニフォームの集団に背を向けて俺は鞄からラケットを引っ張り出した。だが、
「おい、そこの奴。」
何か言われた気がするが、多分俺じゃないだろう、うん。俺は鞄を探ってボールを引っ張り出した。ちなみにこのボールは他と混じらないように好きな漫画のマークを入れている。そうしとかないと間違って持って帰られる、あるいはわざとパクられる恐れがあるのだ。眼鏡つけた黒い猫みたいなマークの下に『』と名前入れてるボールをわざわざ持って帰る阿呆はいないだろうと思いたい。俺だって他人様のボールを間違って持って帰るの嫌だし。さて、それはともかく今日も練習に励むか。
「おい、無視してんじゃねぇぞ。」
何だ、随分うるさいなと思ってたらさっき一緒に話してた奴が耳打ちしてきた。
、氷帝の奴、お前のこと呼んでんぞ。」
「何で俺なんだよ。」
「余計なこと言うからだろ、俺知らねぇぞ。」
仮にそうだとしたら、氷帝の連中はあれくらいもスルー出来ない器が小さいってことに他ならないと思うんだが。しかしどうも俺が呼ばれてるのは事実で、2回も無視してるので相手はちょっとお怒りのようだ。
「お前だ、お前っ。そこの砂だらけ。」
ああ、もうっ。しょうがないので俺は渋々振り向いた。振り向いたら、何かどっかで見たことあるようなボス猿っぽいのがいる。
「何か御用ですか。」
面倒くさそうに言うと、ボス猿は何か感じの悪い笑みを浮かべた。
「お前か、青学の鴨ネギってのは。」
「何であんたがそれ知ってんだっ。」
俺は思わず反応した。うっかり敬語使うの忘れたけど、まあいいや。それより誰だ、他所にバラした奴。周り見回したらその場にいた氷帝以外の他校の連中はブンブン首を振る。
「やっぱりそうか、ここのコートで他校に試合申し込んではボロカスやられてる青学の奴がいるって聞いたからもしやとは思ってたけどな。」
だったら何だ、お宅に関係ないだろうが。雑魚は雑魚なりに静かに練習したいんだ、ほっといてくれ。
「それが何か。俺は練習したいだけなんで、どうかほっといてやってください。」
ここで俺は背中を向けてはっきりと拒絶の姿勢を見せる。氷帝の奴だろうか、誰かが関西弁で、何やあいつ、雑魚言うわりに随分な態度やな、と呟く。聞こえてるぞ、こら。
「そう冷たくすんなよ、鴨ネギ。」
「さっきから何ですか。」
つーか、その仇名で呼ぶなっての。やれやれ、他校でそれも部長でなきゃとっくに噛みついてしまってるところだ。本当のところ、血の気の多さは海堂や桃城のこと言えないからな、俺。日頃我慢してるってだけで。だが相手がそんなこと考慮してるわけはない。言うに事欠いてこのボス猿はとんでもないことを言った。
「ちょっと試合しろ。」
「何でっ。」
「てめぇに興味がある。」
正気か、こいつ。相手がこのボス猿じゃなくたって俺が勝てる訳ねえだろ、何だ、馬鹿にして楽しむ気か。
「お断りします。鴨ネギって言われてるとおり俺は雑魚だ、試合になりませんよ。」
「てめぇの意思なんざ聞いてねえよ。まぁ逃げてもいいが、そうなると青学はお前みたいな腰抜けを抱えてる哀れなチームってことだな。」
この野郎。あまり愛校心がある方じゃないが、そう言われるとさすがにカチンとくる。俺はともかくレギュラー陣がそう思われるのはしのびない。仕方なく俺は試合の申し出を受ける羽目になった。思えば、完全に向こうの策にハマっていた訳だけど。

何となく見当はついてたけど、案の定、試合にはボス猿が直接出ずに別の奴が差し向けられてきた。明らかにパワータイプ、おまけに聞いている限り口数の少なさは海堂をも上回っている。とにもかくにも身長がでかい。何食ってりゃそんなに巨大化するんだ、ホントに学年俺と同じなのか。あー、やだやだ。どうせ勝てっこない訳だし適当にやるか。トスをしたら、サーブ権を取られてしまった。幸先悪すぎる、確実に終わった。早速向こうのサーブが飛んでくる。
「うげっ。」
速い、速すぎて見えなかった。おまけにさっきバウンドした時のあの音何だ、コートに穴開ける気か。
「樺地。」
「ウス。」
ボス猿に命令されて(という風にしか見えない)、相手が再びサーブを放つ。勿論取れるはずがない、俺は動けないままにまた失点する。結局そのまますぐに1ゲーム取られた。
「おい、鴨ネギ。真面目にやれ。」
「充分真面目だ、でもお宅んとこの選手相手に俺で何とかなるわけないだろ。」
思わずまた敬語抜きで言い返してしまったが、それによる問題は起きなかった。見物してるその他の学校の連中は俺の怖いもの知らず(に見えてるらしい)にひどく怯えてたけど。とりあえず次は俺のサーブだ。いつもと一緒だ、力みすぎるな、入ればいい。そう言い聞かせて俺はサーブを打つ。向こうはすぐ動いた。でかい体のわりに素早い。おまけに打ち返す球は凄いエネルギーだ、俺は追いつけずにやっぱり失点した。次も、その次も一緒。サーブを打っては打ち返されて追いつけずに2ゲーム目を取られる。次は3ゲーム目、相手のサーブだ。気合と共に繰り出されるそれだが、
「あ。」
一瞬、見えた気がして俺は体を動かした。でも追いつけずに1点取られる。気のせいだろうか、ちょっとだけ目が慣れた気がする。そう思ってる間に次が来る。ダメだ、これも追いつかない。次もダメ、これは惜しかった、ひょっとしたら返すくらいは出来たかもしれない。ふと見れば、例のボス猿は他の仲間と一緒に観客席に座って高みの見物を決め込んでいた。何だか笑ってやがるし、感じが悪い。余程俺をいたぶりたいのか。今日、たまたま部活であったことと重なって何だか腹が立ってくる。おまけに、
「鴨ネギってホンマやってんな。こないひどい奴、初めて見たわ。」
「なっさけねぇの、ホントに青学か、あいつ。レギュラーじゃないつってもひどすぎじゃね。」
「激ダサだな。」
否定できないが、そこまで言われる筋合いもない。ムカムカがひどくなったところへ、
「おい、鴨ネギ。」
うるせえ、ボス猿。
「いつまでその薄汚ねぇ仮面被ってる。そろそろ外し時だろ。」
「何の、」
話だと聞きそうになってやめた。向こうの目が滅茶苦茶怖かったからだ。マジでヤバい。海堂が本気で怒った時より怖いような気がする。
「樺地、やれ。」
「ウス。」
クソ、どいつもこいつも好き勝手抜かしやがって。いい加減黙れってんだ、そこまでするってことは俺をキレさせたいのか。
樺地とか言う奴の球が飛んできた。でもそれはさっきまでと違い、明らかに手加減されたものだ。試合にならないからって馬鹿にしやがって、ぶっ飛ばすっ。
「があああっ。」
俺は打球に突っ込んでいって吠えた。
「てめぇらっ、マジいい加減に、しやがれーっ。」
力を込めてラケットを振るうと凄い手応えがくる。
「おらああっ。」
勢いに任せて打った球は樺地の頭のすぐ横をかすめてバァンと音を立てて向こうのコートに決まった。瞬間に、周囲から驚きの声が上がる。
「ほお。」
ボス猿が声を上げる。
「手加減してるとは言え、よく樺地の球を受けたな。」
手加減されてりゃそら何とかなるわ、馬鹿野郎。白々しく何抜かす。大体、さっきのだって樺地とやらならすぐに打ち返せたはずだろう。とは直接言わなかったが、準ずる言葉を発したらボス猿は怒らずに面白そうに言った。
「お前、自分で気づいてねぇのか。」
「何を。別の意味で危険物扱いされてる以外心当たりないんですけど。」
ボス猿はクックッと笑った。
「なるほど、確かに危険物かもしれねぇな。」
どっかで同じ台詞を聞いたような、と思ってはっとした。
「海堂と同じこと言わないでください。」
「あのマムシが言ったってことは、相当じゃねぇか。おい、樺地。」
「ウス。」
「こいつの仮面、剥がしてやれ。」
「ウス。」
だから何の話だ。勝手ばっかり言ってもうマジで勘弁ならねぇ、覚悟しろ。俺は今度こそ本当にキレた。次に樺地とやらが打ってきたサーブを俺は何とか返し、返された球も何とか捕らえた。さっきまで捕えられなかったものを返してることで、周りが驚くが手加減されてるんだから驚くことはないだろうと思う。とりあえず俺は怒りを覚えていた。チームメイトには冷遇され、他校にまで馬鹿にされるなんて怒る以外に出来るだろうか。
「らああっ。」
飛んできたロブを俺は本気いっぱい叩く。残念ながら位置が悪すぎて相手コートに決まらず、自分とこに叩きつけてしまったがこれはこれで向こうのロブを一応捕えたということでギャラリーがまた騒ぐ。高見の見物のボス猿は何が楽しいのかやっぱり笑っていた。

結局のところ予想通り、俺はボロカスにやられた。
「楽しませてもらったぜ。」
ボス猿が言う。体力を使い切り、地面に倒れ伏した俺を見下ろして。
「じょう、だん、抜かせ。試合に、なって、ないの、丸出し、だった、でしょう。」
息切れで区切り方がおかしい言葉で俺は応じる。
「そんなに、おれ、を、馬鹿に、ヒィ、したいのか。よわ、い、もの、イジメ、さい、あく。ヒィ。」
「ハッ。」
ボス猿は笑った。
「弱い者いじめだ。ボケは休み休み言え、まだ気がつかないのか、この鈍感野郎。」
言ってる意味がわからない。そう言う為に立ち上がろうとしたらうまく行かなくて、体勢がうつ伏せから仰向けに変わるだけで終わる。そこへボス猿はご丁寧に(かが)みこんで
「身内にも危険物って言われたんだろうが。ちったぁ自覚しろ、馬鹿。」
「あれは、かい、どうが、フゥ、勝手に。」
だが相手は聞いてなかった。
「じゃあな、鴨ネギ。ああ、危険物だったな。またな。」
俺は食品に混入されてる有害物質か。切れ切れの息でそう言ったら、ボス猿はちょっとギョッとした顔をした。
「おい、あいつ、疲労でイカれたのか。」
「恐ろしい問題発言しよんなぁ、まぁほっといたれや。」
そうして氷帝ご一行様は去っていった。今まで観覧に徹していた連中は大抵が去って行くかめいめい自分達の練習を始めるが、一部は親切にも大丈夫か、と声をかけてくれる。とりあえずまともに立てなかったから好意に甘えて鞄を置いてるところまで歩くのを手伝ってもらい、すぐにまたへたり込んだ。
「まさか、があんな風になるって知らなかったな。」
歩くのを手伝ってくれた1人が言った。
「結局さっきのは負けてたけどさ、お前ホントは結構強いんじゃね。何で鴨ネギなのか、わかんなくなってきた。」
「俺もわかんねぇ。あそこまでなったの、初めてだし。」
水分を補給しながら俺は答える。確かに本気は本気だったと思う。でも今までだって不真面目にやってた訳じゃない。寧ろ全力のつもりだったんだけど。そういえばさっきのボス猿が仮面がどうのとか言ってた。まさか俺が気づかずにどっかで手加減してたとでも言うのか。そして海堂はそれに気がついてるとでも言うのか。まさか、と俺は1人首を横に振った。

他の学校の連中がそろそろ帰る頃になっても、俺はまだコートのベンチの上で寝転んでいた。1人が声をかけてくれるが、どうぞ先に帰ってくれ、と答える。多分しばらく休んだら家に帰るくらいの体力は回復するだろう。部活の後に更に自主練してると体力を失くして家でするどころじゃなくなるのでいつも宿題や予習は学校の休み時間にある程度済ませているし、そう問題はないと思う。最近は海堂と喋りながらだったりするけど。そうして他の連中が完全に去った頃、俺はヨロヨロと起き上がった。そろそろ帰らないとおかんが携帯電話をやたら鳴らして催促する恐れがある。うるさい思いをするのは御免だ。ちょっと危ないかな、と思いつつコンクリートの階段を降りて、おぼつかない足取りで歩道を歩く。頭がクラクラしていた。やっぱりもうちょっと休んだ方が良かっただろうか。人が通らない道をノロノロ歩いてどれくらいたったのかわからない。でも多分、歩けた距離は大したことがないだろう。急にめまいを覚えた。
「あ、ヤバ。」
呟いた瞬間、俺は道の真ん中でへたり込む。何てこった、どうせ体力が尽きるならもうちょっと人の邪魔にならないところについてからでもいいものを。でも今度こそ立ち上がれない。とりあえずズリズリと体と鞄を動かして道の端に移動する。くそ、格好悪いけどしょうがない。このままこの辺で休んどくか。膝を抱えて顔をうずめて俺はその場にじっとする。疲れのせいで眠気が襲ってきて、俺はそのまま意識を飛ばした。
10分くらいそうしてただろうか、人が通ってなかった道に走ってる足音がする。誰かがランニングでもしてるのか、ご苦労なことだ。俺は思って一瞬だけ覚醒した意識をまた眠りの世界に戻す。でもすぐにまた現実に引き戻された。
。」
語尾を疑問形にして呼びかけられた瞬間、俺は思わず顔を上げた。
「か、海堂っ。」
声を上げる俺の語尾も疑問形、だが目の前の現実はどうしようもなかった。そこには確かにいた、頭にバンダナを巻いてランニングしてたらしき海堂薫の姿が。

続く

作者の後書き(戯れ言とも言う)
ファイルサイズのわりに話が短いという現実をどうしたものか。
そしてこの作品に限ったことじゃないんですが氷帝陣は色々と使いやすいです。2008/10/11

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