灯台下暗し

第2話 接触

灯台下暗しとはよく言ったもんだ。
だって思い切り近くにいたのに今までお互い関わったことがなかったんだから。

海堂との妙な昼休みを終えると、次はいつもとそう変わらない五時限目の授業だった。
さっきまでとギャップが激しくて疲れる。昨日から今日にかけて何でこんなに消耗しないといけないんだ。
これじゃ放課後までもたねぇよ。 だがげんなりしてたのがモロに出てたのか、
、ちゃんと聞かんか。」
英語の教師に注意された。
めったにないもんだから周りが注目し、笑いが漏れる。本当は耳でちゃんと聴いてたけど口答えが何のと言われちゃたまらないから俺は一応すいません、と言っておく。子供は時折大人以上に大人の反応をしないといけないことがあるもんだ。
どさくさまぎれにコソッとななめ後ろを見たら、海堂はフン、馬鹿馬鹿しいといった風にこっちを見もしてなかった。
誰のせいだと思ってやがる、この野郎。

そうしてるうちに六時限目も過ぎて、放課後がやってくる。疲れた。マジで疲れた。今日の部活、途中でぶっ倒れて乾先輩に変な汁でも飲まされんじゃねぇかな。ぜってえ御免だけど。 なんて心の中でブツブツ言ってもしゃあない、俺はいつものように鞄に教科書を詰めて部活に行く準備をする。
ところが、
「まだ片付かねえのか。」
ここでも俺は海堂薫の奇行に悩まされる羽目になる。
「は。」
目の前にはすっかり部活行く準備の済んだ同級生がいる。
「さっさとしやがれ、遅れるだろうが。」
「おい、ちょっと待て。」
何でいきなりお前にそんなこと言われにゃならんのだ。
第一、誰もお前と一緒に部活行くなんて約束してないし。だけど海堂はお構いなしに人を待っている。よくわからないまま鞄に物を詰め終わって声をかけると海堂は先に歩き出した。更に意味が理解できないまま、俺は後を追って教室を出た。

海堂は部室に着くまでの間、全く喋らなかった。ついてくる俺をチラチラ見るばかりで何だか心地が良くない。観察されてるみたいな気がする。さりとて、一体何だと問い詰めることが出来ず、俺は落ち着かないまま海堂の少し後ろを歩いていた。
マジで何なんだ、お前。俺が居た方がいいのかそうじゃないかはっきりしろよ。人間は言葉がないと相手の考えてることがわからない生き物なんだから。
って、だったら俺から話振るべきじゃねぇか、しまった。迂闊だったぜ。
そう思いながら歩いていたら途中で通りすがりのクラスメイトが声をかけてきた。
「おい、。こないだのあれ、どうだった。」
多分、知らない奴から見たら意味不明の内容、だけど俺は普通に答える。
「もうほとんど読むトコねぇな、買うつもりならやめといた方がいいぜ。俺はやめた。」
「マジかよ、考えとこ。サンキュー。」
クラスメイトは去って行く。気づけば海堂が足を止めてこっちを見ていた。
「あれ、待ってたのか。先行って良かったのに。」
「何話してた。」
「別に。」
全然大した話じゃないし、海堂には説明しても理解出来ないだろう。
「そもそも何でお前がんなこと聞くんだ。」
「別に。」
嫌みか。こいつ、やっぱり訳がわからないな。
「なぁ、俺何かしたか。」
昨日どついたことを除けば、こいつに覚えはないけど。
「何でそうなる。」
「いや、お前が急に接触してくっから。」
言うと海堂はまたも顔を赤くし始めた。大丈夫か、おい。で、また耳まで赤くなりそうになったところで海堂は口を開く。
「知りてぇことがある。」
「何だ。」
「てめぇが何モンか、だ。」
やっぱり観察かよ。
「お前、とうとう乾先輩の真似事するようになったのか。」
「一緒にすんじゃねぇっ。」
「ぐえええっ、やってること変わんねえだろーがっ。」
海堂に軽く首を絞められて俺はジタバタする。通りすがりの目がこっちに向くが、とりあえずそれどころじゃなかった。

海堂と一緒に部室に着いたら、朝と同じく早速反応したのは菊丸先輩だった。
「ヤッホー。めっずらしいじゃん、海堂が誰かと部室来るなんて。ってゆうか、やっぱだにゃ〜。」
やっぱってのは一体何だ、頼むから理解できる日本語喋ってくれ。
と、そこまでは言わない(言えない)からやっぱりとはどういうことかだけ聞いてみる。
「だってさ〜、」
菊丸先輩は言った。
「朝から海堂と仲良くしてんじゃん。」
間違いなく何か勘違いしてるし、どうやったらそういう風になるのか聞いたらダメなのか、この場合。一方の海堂はと言うと、菊丸先輩の言葉を肯定も否定もせずに黙って着替え始めている。
否定したい事柄の場合、こいつは目一杯怒鳴る―過去に何度か見た限りでは―から、勝手に仲良し扱いされても差し支えがないのか。まあ俺も仲良く出来るならそれにこしたことはないんだけと。今だに訳がわからない思いをしつつ、俺は着替え始める。鞄から体操着を引っ張り出してみたら、腹のあたりに思い切り黒い染みがついていた。
クソ、間違って去年の文化祭の準備で油性マジックがついたやつを持ってきちまった。
手塚部長に何か言われるかな。つくづく今日は面倒な日だ。更には、
「おい、。」
あーあ、やっぱりおいでなすった。
「何か2年の間でお前がマムシと昼飯食ってたって妙な噂が流れてやがんぞ、どーなってんだ。」
それをいちいち聞いてくるお前の思考もどーなってんだ、桃城。
「どーなってるも何もねぇよ、事実だし。とりあえずさ、海堂のことマムシ呼ばわりすんのやめた方がいいと思うぜ。」
何か隣からすっげぇ怒気を感じるし。
「手ぇ出すなよ、部活始まる前からゴタゴタはヤバイぞ。」
俺は慌てて側で着替えてた海堂に言う。桃城はというと、俺が海堂の肩を持ったように思ったのか不満げな顔をしていた。
「何だ、お前ら前から仲良かったのか。」
「別に、」
そういう訳じゃないと俺が言おうとしたら、
「勘違いすんな、クソ力。」
後を勝手に補完したのは海堂だった。何でそうやっていちいちいらん一言を言うんだ、頼むから勘弁してくれ。

幸い染みがついた体操着について手塚部長に何か言われることもなく、海堂と桃城が一悶着起こすこともなく、部活はいつも通り始まった。レギュラーとそれ以外は練習メニューが違うから部活中に海堂と話すこともほとんどない。
実際、あれだけの奇行をしでかしといて海堂は黙々と練習に励んでいて、俺の方を見もしなかった。何か腹立つ気がするけど、俺もそれどころじゃない。
「行くぞ、。」
「おう。」
「今日は打ち損ねんなよ。」
ちぇっ、荒井の奴、いらねぇこといいやがって。
お前だって色々注意されてる口だろうが。角が立つから直接言わないけどよ。とか思いつつ、ラリーを始める俺だった。
「それにしてもよ、」
「ん。」
「お前って訳がわかんねぇよな。」
何だ、いきなり失礼な奴だな。
「そんなことねぇよ、普通だ。」
常日頃、変に目立たないように努力してるだけだ。昨日からそれが水の泡と化したけどな。
「普通じゃねぇよ。お前、今まで何て言われてたか知らないのか。」
「何だよ。」
「地味で大人しく見えるけど、却ってキャラが見えなくて得体の知れねぇ不気味な奴って。」
どこまでも失礼な話だ。くそう、誰だ、んなこと言い始めた奴は。人の苦労も知らないで言いたい放題だぜ。俺は別に不気味でも何でもない、蓋を開ければただのしがない中学生だ。と思ってるんだが、違うのか。
「みんな、何か勘違いしてると思うぜ。」
「お前な、」
荒井がまだわからないのか、と呆れたように言った。
「あの海堂がわざわざ自分から絡みに行くんだぞ、ただ者の訳ねぇだろ。」
このヤロッ。俺は返されたボールを思いっきりぶっ叩いた。当然ボールは荒井を飛び越して遠くまですっとんで行き、取りに行く羽目になった荒井はブツブツと文句を言う。お前がいらないこというからだ、フン。

そういう訳で、昨日の一件から部活内の同じ2年や3年の先輩方の俺に対する反応がガラッと変わった訳だが、1年連中もまた例外じゃなかった。まぁあんだけのキレっぷりを見せてしまったんだからしょうがないんだが、大抵の奴が俺が通るとささっと避けるように道を空ける。もしくは俺が姿を現すとまじまじ見つめては、俺が離れた所に行ったのを確かめてから近くの奴と何やらコソコソ話す。最近とみにこういう奴が多いな、言いたいことがあるんならさっさと言え。何が面白いって完全に聞こえてないって思ってるとこだが。今日1日で聞こえた限りでは、来た、先輩だ、怖いとか、今まであんな人がいるって気付かなかったとか、そういえばあの人ってどんなキャラだったっけとか、大体そういったところだ。やっぱり俺の存在に気付いてなかった奴が幾人かいる現実は何とも言えない。しかし、1年だろうが2年だろうが3年だろうが、必ず共通して言いたがるのは、何で海堂と仲が良くなってるんだという点だった。しつこいようだが、別に仲良くはないっての。向こうが話しかけてくるんなら別に拒絶する必要がないってだけだ。何でそれがわからない。でもそこでふと俺は考える。何だって俺は俺でムキになって海堂と仲がいい訳じゃないことを主張してるのかと。どうやら海堂が俺を意識してる(らしい)ように俺も知らない内に海堂を意識してるようだ。考えてみれば俺自身に友人らしい友人がいたことはなく、他人と必要以上に関わりたがらないたちだからこういう風に突然思いもしない相手から接触を図られて自分で思う以上に戸惑っているんだろう。とりあえず俺も落ち着いた方がいいらしい。ってか、何なんだ、この漫画みたいな展開は。

どうにも難儀な事態に頭を抱えたい心境で本日もランニングがある。恐ろしいことに3年の乾先輩がヤバそうな飲み物を用意していた。タイムが悪かった場合はそれを飲ませるつもりらしい。レギュラーはともかく、非レギュラーはいつぞやのように悲劇に見舞われる奴が大半だろう。が、俺は出来れば御免被る。大体、飲んだらぶっ倒れるような危険飲料を開発しては持ち込んで他人に飲ませる奴は教師側で止めるべきだと思うんだが。竜崎先生って意外とこういう細かいレベルのことには目が届いてないよな。他はいい先生だと思うけど。御免被ると思ったのは勿論俺だけじゃなかったようで、テニス部全員―手塚部長も含めて―顔が引きつり、乾先輩の怪飲料を絶対飲みたくない一心でそらもう必死のランニングが始まった。が、開始直後でレギュラー陣が即刻フルパワーモード、あっという間に引き離された俺を含むその他大勢は追いつきようがない。怪飲料は飲みたくない、さりとて避けるのは絶望的な状況で諦める奴が大量に出る。一応頑張っている奴もいるが、2周、3周、と周数を重ねるごとに減っていく。一方、俺はどうだったかというと諦めるのが何か嫌で無駄な足掻きをしていた。おかしい、と自分で思う。多分、ついこないだまでの俺だったらとっくに諦めて適当に走ってるところだ。変に必死になってるのが目だって、嘲笑されるのが嫌だから。なのに今は、妙に必死だった。はるか向こうにレギュラー陣が団子になって走ってるのが見える。多分、あの団子状態の中でもお互いが我先にと頑張ってるんだろう。海堂の後姿もチラチラ見えて、無理なはずなのに追いつきたいと俺は衝動的に思う。追いついて、今日の奇行についておもいっきし文句を言ってやらねば気がすまない。そんなしょうもないこと、部活の後で言えばいいだろう、というのが普通の人の考えだろうけどこの時の俺はかなりキてたようだ。
そうしてふと気がつけば、俺は非レギュラーの中では一番前を走っていた、それも結構な距離をおいて。誰かの声が聞こえる。
「おい、の奴、何必死なんだ。」
「まさか、レギュラーに追いつこうって、ゼェ、思ってんじゃないだろな。無理だろ。」
うるさい、ほっとけ、いらんこと言って邪魔すんな。俺はなおも足を動かす。正直キツかった。今までよりもエネルギーを使ってるから息は上がりまくりだし足が疲労してるのがはっきりとわかる。クソ、レギュラー陣はもうそろそろゴールが近い。冗談じゃねぇ。でもこっちも後もうちょいだ。俺は残り少ない距離で阿呆みたいにラストスパートをかけた。前の距離がグングンと縮む。多分、後ろは距離が開いているだろう。振り返る余裕ないから確信は持てないけど。レギュラーの中では一番後ろにいる河村先輩の背中が近づいてきた。何か感じでもしたのだろうか、河村先輩が一瞬こっちを見てギョッとした顔をし、隣りの不二先輩にコショッと耳打ちしてる。不二先輩もチラと俺を見てすぐに向き直るけど、一瞬面白そうに笑ったのを俺は見逃さなかった。余程変な(つら)してんだろうな、俺。何せ(はた)から見たら、無駄に必死状態だから。つーか、ゴールまで後もうちょいっ。
結局、先にゴールしたのはレギュラー勢だった。俺はその数十秒遅れたタイミングでゴール、結局怪飲料からは逃れられない運命となった。だが、後もう少しのところでレギュラー陣にせまるところまで来ていたのは相当目立ったらしく、信じられないものを見るような視線を大量に浴びた。特にまずいことに乾先輩の気を惹いたようで、この何かと人の観察をしてデータを取りたがる性癖の人は物凄い勢いで鉛筆を動かし、ノートに何か書き込んでいる。はっきり言って、ヤバいし怖い。俺のことを書き取ってどうするってんだ。確実に紙と鉛筆の無駄だろうに。他のレギュラーも興味をそそられるところがあるのか、大石副部長が
「凄いな、。いつの間に。」
と感心することしきりだったり、不二先輩が
「急にどうしたの、何か心境の変化でも。」
と聞いてきたり、河村先輩が
ってあんなに速かったんだね、知らなかった。」
と言ってきたりとまぁ凄いもんだ。
どのみち、非レギュラー陣にしてみれば悪夢再びで、ほとんどの奴が疲れたところに飲まされたもののせいで一瞬意識をぶっ飛ばす。俺も勿論我慢して飲んだ。飲んだ瞬間に物凄い吐き気がする。
「ぐぇぇぇぇぇぇっ。」
が、昨日から色々とあったせいでキてた俺は強引にそれを飲み込んで
「あのデータ眼鏡、殺す気かっ。」
思わず飛んで行きそうになったところを止めたのは
「やめろ、先輩に手ぇ上げる気か。」
海堂だった。
「チッ。」
俺は座り込んで残ったドリンクを飲み込みにかかる。
「まさかお前が止めにくるとは思わなかったな。どっちかってぇとお前が率先して殴りに行きそうだけど。」
「人を気が短いみたいに言うな。」
実際メッチャ短気だろうが、まさかお前自覚がないのか。と思ったのがうっかり口に出たらしい。海堂が睨んでいる。
「てめぇ喧嘩売ってんのか。」
「お前にわざわざ喧嘩売るのなんか桃城ぐらいしかいねぇだろ。いたとしたらお前を良く知らない命知らずだ。」
「そこまで言われる筋合いはねぇ。」
「多分、後が怖いから言わねぇだけで、みんな内心思ってるぜ。」
言うと海堂はキョトンとした顔をした。一体何だと問えば、海堂は随分言いにくそうにこう呟いた。
「その、てめぇ、意外と言いやがるな。」
「普通だろ。」
「やっぱりてめぇは変な野郎だ。」
「だからお前が言うなって。」
しばらく2人とも沈黙、でもすぐに海堂が口を開いた。
「前からあんなに速かったか、足。」
「お前らに比べたら確実に遅いと思うけど。」
「そんな話をしてんじゃねぇ。」
海堂は唸るように言う。やれやれ、そんなに怒るなよ。
「前はもっと後ろ走ってた。今日はたまたまだな。」
海堂は俺をジロッと見る。あ、疑ってる疑ってる。でももっと後ろ走ってたのは事実だ。前は途中で諦めてたからとか何とか言ったら怒るだろうからそこは伏せてるけど。
「何でそんなこと聞くんだよ。」
「俺の勝手だ。」
「そうかよ。」
言って俺は口の中にドリンクを注いでまた飲み込んだ。
これ以上やいのやいの聞いたら殴られそうだ。
「うぐおーっ、やっぱ死ぬー。」
「てめぇうるせぇぞ、静かに飲みやがれっ。」
「そういうお前は静かに飲めるのか、この怪飲料をっ。ウグッ。」
「おい、大丈夫か。」
「うぐぐ、うっかり吐き出して体操服に染みが増えそうだ。こんな唐辛子入の染みつけたらおかんに殺される。」
「心配するとこちげーだろっ、このボケがぁっ。」
いつの間にか、俺と海堂は極当たり前にボケ突っ込みを展開していた。

まちがいなく、このあたりから俺と海堂は急速に接触するようになったと思う。
それがどういうことをもたらすのか、今はわからないけど。

続く

作者の後書き(戯れ言とも言う)
昼近くまで寝くたれた挙句、ボーッとしたまんまの頭で後半の文章を思いついた第2話です。
ランニングと言えば、中学の頃1000メートル走で出来る訳ないのに運動部の連中に追いつこうとしていた自分を思い出します。 2008/09/14

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