灯台下暗し

第14話 思い

海堂が今度こそ俺を侮るべからずと認識してくれたのは何だか嬉しい。だけどまだどこかでどうして俺なんかをという戸惑いも隠せない。
しかしだからといって俺と海堂の間に何かが変わるってことは別にないのだった。
「暑い。」
朝の登校路で俺は呟いた。
「夏だから当たり前だろうが。」
横を歩く海堂が愛想もへったくれもなく言う。
「そらそうだけどよ、やっぱきついって。」
「知るか。」
ひでえ野郎だ、だが突っ込むまい。
「つか足が暑いんだよな、靴だと。登下校だけ下駄ってのはどうだろ。」
「まるっきし漫画のキャラじゃねえか、やめろ。」
いつだったか関西の学校に鉄下駄で生活してる正に漫画全開の人がいると乾先輩が言ってた(のを小耳に挟んだ)気がするが、黙っておこう。
「第一てめえ目立つの嫌なんじゃなかったのか。」
「何かお前と関わるようになってから、色々あったからどうでも良くなってきた。」
「何だそりゃ。」
「少なくとも校内ではだな、お前が誰かとつるんでるだけでも吃驚(びっくり)なのに相手が得体の知れないこの俺、ってのが目につくらしいぜ。」
俺が言うとしばらく沈黙。
「訳わかんねえな。」
しばらくして海堂が呟いた。
「そんなもんなんだよ。」
俺は言って話題を戻す。
「下駄が駄目ならサンダルにしようかな。部活の時は履き替えてさ。」
「問題があるだろ。」
「うん、荷物が増える。」
言った瞬間、ブチッと音がした気がした。間髪入れずに響いたのは
「てめえっ、いい加減にしやがれっ。」
イヤホン貫く海堂の怒鳴り声だ。
「いきなり怒鳴るな、バッキャロウっ。」
「うるせぇっ、毎度毎度ずれたこと抜かしやがって、わざとか、わざとなのか、その悪質ボケはっ。」
「何をー、お前こそ毎度毎度悪質って言うなっ、。」
「てめえがおかしなことを言うからだろがっ。俺が言ってんのは世間体の話だっ。」
「どうせうちの部活は奇人変人大集合じゃねえか、今更世間体もあるか。」
「俺を中に含めんなっ。」
何を言っとるんだ、こいつは。
「バカか、お前は。その血の気の多さとキレやすさは充分変人の域だろ。」
「んだと、コラ。そういうてめえがうちのチームで一番おかしいだろうが。」
何だと、おい。
「待てコラ、俺は極めて大人しいじゃねえか。」
「どこがだ、この野郎。ボケは悪質天然、漫画オタクで何気に腹黒、キレたらヤバくて手がつけらんねえ。これで大人しいってんなら証拠をみせてもらいたいもんだ。」
ブチッ
「てめえ、海堂、この野郎っ、黙って聞いてりゃ言いたい放題っ。」
「さっきから一言も黙ってねえだろーが、何抜かすっ。」
「うるせー、乾汁くすねて飲ませるぞっ。」
「やれるもんならやってみろ、その前にてめえがお陀仏だ。」
「何だとー。」
「やんのか、コラァ。」
朝っぱらから登校路でギャアギャアやる俺と海堂、危うく掴み合いになるところだったが、
「やめよ、あほらし。」
急に俺が冷めたので海堂が拍子抜けしたみたいにキョトンとした。次の瞬間には海堂は困った顔をして頭をかきむしる。
「調子が狂う。」
「そうかな。」
確かに海堂の場合は相手が桃城だったらもうちょっと長くやりあってるかもしれない。
「ま、いいんじゃねえの、どっちかが区切りつけた方が。お前もしんどいだろ、しょっちゅう桃城と衝突してんのに更にぶつかる相手が増えたらさ。」
「別に。」
海堂は意外な返事をする。
「むしろ毎度何か言い足りないから困る。」
「俺はごめんだ、お前等みたいにしょっちゅう怒られてたらたまんないからな。」
ここでケッと海堂が呟いてまた会話が切れる。俺の耳の中ではデジタルオーディオプレイヤーから流れる音楽がなってる。後は2人の足音だけがしばらく響くけど、
「おい。」
また海堂が口を開く。
「んあ。」
「てめえは、」
「うん。」
「何でテニスやってる。」
「急にどうした。」
聞けば海堂はこう答える。
「前から気になってた。ずっと息を潜めて過ごしてたような奴が何だってうちの部に。」
「例によってしょうもない事情なんだけど。」
「いいから言え。」
やれやれ、聞いてどうしようってんだ。
「漫画読んで興味持った、あと親戚連中でやってるのがいなかったからやってみようと思った、それだけ。」
「それだけであれだけ練習するのか。どうせまだ何か隠してるだろう。」
「趣味悪いなお前、自分は人に入り込まれるの嫌いですって(つら)してるくせに。」
流石に踏み込まれすぎて俺は少しむっとする。海堂は少し焦ったのか目がちょっと泳いだけど、俺から真の事情を聞く事については揺らぎがないらしい。(困ったことに。)ああ、ヤダヤダ。最近は言いたくないから黙ってたことが露見する、あるいは自ら言わざるを得ないことが随分と増えた。大分それに適応は出来てきたけど、詮索好きが多いのにはちょっと辟易する。状況によっては俺はここでしつこすぎると、既にキレてたところだろう。だがそれを我慢できたのは海堂なら笑わないかな、というかすかな期待があったから。
「まぁ、単純に言えば。」
俺は呟いた。
「同じ学年ですげぇ奴がいて、意識してたのはお前と桃城だけじゃないってことだよ。」
面白いことにここで海堂の目が思い切り丸くなった。何だ何だ、そんなに意外、なのか、やっぱ。まぁいいや、話を続けよう。
「漫画読んでて興味持ったのも本当だ。でもとどめがさ、1年の時、テニスコートでお前ら見かけた時でさ。とにかく何かすっげぇって、漫画じゃなくて本当に凄いのがいるってわかったら妙にいてもたってもいられなくなって入部しちまった。」
今でもわからないのは、そんな不純で曖昧な動機の奴を当時の部長が何で入部させてくれたのかという点だけど。
「でまぁ、入ったからにはやっぱりって思うのが人情だけど、前に言ったみたいに人が必死こいてるのにひどいこと言うのはいるし、小学校の時もろくな目に遭ってなかったから面倒なトラウマもあったし、部内だけでも化けモンだらけで途中から何かもう投槍になってたんだよな。だけど何でかな、ふ、とやっぱり頑張ろうって思っちゃったりもして今に至るわけ。」
わかったらこれ以上話をさせるのは勘弁してほしいと俺は思った。恥ずかしさであっちこっち細かい事情はやっぱり飛ばしたから海堂が納得するとは思わないけど、喋ってるうちに顔が熱くなっていて、もうたまったもんじゃない。
「俺のこともずっと見てたのか。」
海堂が口を開く。
「見てたよ、色んな意味で。試合してる時は純粋に凄いって思って見てたし、桃城と喧嘩してる時は阿呆か、いい加減にしろって思って見てた。ただ、」
「俺がそれに気づいていなかった。」
「そういうことだ。」
「レギュラー狙ってるのを何で表に出さなかった。」
「いちいち出す義務はないし、最初から出したところでどうせ俺なんかお前の眼中になかっただろ。ちゅうか、別に大した事情じゃねぇよ。コソッと頑張ってさ、ある日突然ビシッと決めて皆を吃驚させたら面白いじゃんって思ってただけ。」
まだまだ道は遠いけど、と俺は付け足す。海堂は人に散々喋らせといて黙りこくっている。どうも何か考えているみたいで、反応を返せとせっつくようなことでもないので俺はそっとしておいた。何か思いついたらそのうち喋るだろう。俺はオーディオプレイヤーのプレイリストを切り替えて新しい曲を再生する。流れてきたのはYUIのロック、こいつはいい、ちょっとテンションが上がる。
「事情は大体わかった。」
しばらく考えていた海堂が呟いた。
「結局のところはてめぇの本音は誰にも負けたくないってことで、他の誰とも変わりはねぇ。」
ここで何故か海堂は一呼吸置く。
「てめぇはそのまま自分の思うとおりにやればいい。だがこれは言っておく、俺は負けねえ。」
「お前がそれ言えなくなったら病気だろうが。ってか俺だってただで終わる気はないぜ。どうなるか見てろよ。」
俺は冗談混じりで言ったのだが、海堂の返事は真面目だった。
「他の奴はどうか知らねえ。が、俺はちゃんとお前を見てる。」
「う、うん。」
海堂が真剣にじっと俺を見つめるもんだから俺は嬉しいと思いつつも正直戸惑った。

そんな訳で日々は過ぎる。俺と海堂は朝は2人で走り、一緒に登校する。学校では休み時間に時折喋り、昼飯は一緒に食う。授業終わったら一緒に部活行く。何度も言ってるようにクラスの他の誰より断然俺が海堂と一緒にいる時間が長い。だけどそれだけ一緒にいても、部活が終わったらあっさり別れてお互いそれぞれの修行に励む。 海堂は乾先輩のメニューに従って1人黙々と、俺は自力でジタバタと。
「今日も行くのか。」
部活が終わって俺が例によって着替えもせずに帰り支度をしてると海堂が声をかける。
「うん、いつものとこ。何もなけりゃいいけど、状況によったらまた喧嘩売り買いする羽目になるかも。」
「チームに影響するような真似はすんなよ。」
「大丈夫、こう見えても肝に銘じてるさ。」
俺は言って荷物を詰め終わったテニスバッグのジッパーを閉める。
「んじゃ、行ってくるわ。」
「ああ。」
海堂が聞こえにくい返事をしたのを聞き取ってから俺はテニスバッグを背負い、体操服のまま部室を飛び出した。

「お前、一体どーなってんだよ。」
いつものストリートテニスコートで不動峰の神尾が言った。
「こないだまで試合をやったら全戦全敗、何遍負けてもしぶてえだけが取り柄だったのに。」
「おい、コラ、何だその滅茶苦茶な言い草は。」
俺は言いながらタオルで汗を拭く。丁度不動峰中のメンバーと出くわしたので、早速一試合やってもらった直後のことだ。
「事実だろ、悪いけどこいつはびっくりだぜ。まさか、な。」
神尾は言って視線をチラと俺がいるのと反対方向に向ける。そこには俺が不動峰勢と試合をするまでの間に相手をしてくれた他校の連中が数名、全員息を切らしてぐったりしている。中には信じられないって顔を宙を仰いでいるのもいて、正直見ている俺がその様子を漫画みたい、と思ってしまう状態だった。
「あそこにいる誰も、」
神尾は他に聞こえないようにこっそりと話を続けた。
「お前が一気に6人抜くとか思わなかったはずだ。」
「確かに俺が一番現実感ないんだけどな。」
俺は言ってバッグに入れたはずの水筒を探す。いっぺんに何試合もするとすぐに喉が渇いて仕方がない。
「だよね、」
いつも神尾と一緒の伊武が言う。
「俺もとうとう幻覚見たと思ったしね、大体何だよ、鴨ネギとか呼ばれたまんまだったくせに今頃急に力を見せつけるとか何なのさ。ひょっとして弱いふりして実は強い俺をアピールしたい訳、って前から思ってたけど本当に腹黒だよね、何で青学の人達今まで気がつかなかったのさ。見たら一発なのに。」
こいつ、毎度毎度いい加減にしろ。ひょっとして、ちょい前に俺がこいつのキックサーブを返したのを根に持ってるのか。返した球がこいつの顔スレスレに飛んだのはまったくの偶然なんだが。
「ブツブツうるせぇぞ、伊武。隠してたのも半分事実だけど、元々俺は身に付くのが遅いんだ。それに向こうが勝手に俺を侮って負けてる分については責任も発生しないぜ。」
「そんで人が何か言ったら絶対そうやって噛み付くんだよね、ホントってやんなっちゃう。」
そろそろこいつを蹴ってもいいもんだろうか、と俺が思い始めた頃、何か不穏な気配でも察したのか神尾が慌てて口を挟んできた。
「それにしてもよ、お前、前よりしつこくなったよな。マムシの影響か。」
「別に関係ねえよ、とりあえずマムシって言うのやめろってば。本人に言った日にゃ、キレてフォローがめんどいんだから。」
「何だ、お前最近マムシ止める係りか。」
「俺はそんなつもりないんだけど、最近周りがそういうことにしてやがる。」
俺はちょっとため息をついた。これは事実で、最近青学テニス部の連中は手塚部長や大石副部長がいない時に海堂VS桃城の喧嘩が勃発した時は必ずと言っていいほど俺を引っ張ってくるようになっていた。原因は明白で、俺が初めてブチキレてこいつらの喧嘩を止めてしまったことがあるからなんだけど、それにしたって自分らで止めればいいものを3年の先輩まで俺に押し付けるってのはどういうことなのかと突っ込みたい。特に不二先輩あたりが目を開いたらいくらあの2人でもいっぺんに凍り付いて止まってくれると思うんだけど。ま、そういう訳で海堂と桃城が喧嘩をすれば1年トリオの誰か―主に堀尾―が俺に助けを求めてくるのが最近の青学のパターンになっているのだった。
「俺は消火剤でも何でもないんだけどな。」
「寧ろ火に油だよな。」
不動峰の内村がへらへら笑いながら言う。このヤロ、そんな否定しづらいことをあっさりと。
「ありがたいことに俺が来たら海堂も桃城もいっぺんに喧嘩やめてくれるよ。何かヤバいもん見たみたいな顔されるけど。」
「一言言っていいか。」
さっきまで黙っていた内村の相方、森が言う。
「それ、確実にヤバいもんって思われてるぞ。」
カチンときた俺は森を追っかけまわす。そこへまた誰かがやってきた。来たのは聖ルドルフの不二裕太、それと前に海堂・桃城とやりあってたダネダネな人とハチマキな人、まったく今日もこのテニスコートは千客万来だ。前にここのマネージャーにボロ負けして嫌みを言われまくったことがあるので正直聖ルドルフとは関わりたくなかったけど、困ったことに不二裕太自ら俺を指名してきた。何故かと問えば、どうも不二先輩の差し金らしい。どうも先輩が俺の名前を出して練習に付き合ってやってくれと弟に頼んだみたいだが、一体何の恨みがあってそんなことをしたのか。気乗りはしないがしかし、向こうは律儀に兄貴の頼みごとを全うしようと来てるし、一応先輩の顔もあるし仕方がない。
「わざわざ有難う、じゃあお願いするよ。」
「兄貴に頼まれただけだ、礼を言われる筋合いはねぇ。」
「どうでもいいよ、さっさとやろうぜ。」
一体どうなるんだと固唾を呑んで見守る不動峰の連中を尻目に俺と不二裕太の闘いの火蓋は切って落とされた。

「で、結局どうなったんだ。」
「ボロカスやられたに決まってんだろうが。」
次の日の昼休み、屋上にて、俺はだらしなく寝転がって言った。横に座っているのは勿論海堂、俺のだらしない様に眉根を寄せているが言うだけ無駄なのを既に悟ってるのか特に突っ込みを入れてはこない。
「相手は不二裕太だぞ、俺にどうしろってんだ。向こうは確実に手加減してるんだろうけどさ。」
「それでも収穫ゼロって訳じゃねぇだろ、てめぇの場合。」
言ってくれるよな、海堂はホントに。
「わかんね。」
俺は言って目をつぶる。海堂が今から寝るなと一言。寝てない、考えてると言い返して俺は本当に昨日不二裕太とやりあった時のことを思い返す。あの時どうだっただろう、正直あまりはっきり覚えていない。誰が相手でも俺はいつも同じだ、相手の球を追うのに必死で細かいことなどほとんど考えていない。思うのはいつも何とか見ようとすることだけ。そうしているうちにふと気がつけば集中モードに入って、試合に関係ないものは音も何もかも感知しなくなっている。不二裕太との試合のさなかで覚えているのは、何故か妙に真剣だった向こうの表情だ。
「ああ、そういえば。」
そこまで考えて俺は呟いた。
「いっぺん俺の球が変な跳ね方してさ、向こうが超ライジングで返してきた。」
「それで。」
海堂が先を促す。どうも興味があるらしい。
「何で俺相手にって思ってメッチャ焦ったんだけど、返した。」
瞬間、横に座る海堂の手がピクリとするのが目の端に映る。
「フン。」
海堂が言ったのはその一言だけ、それも努めて驚かないようにしてるのか、声からいつも以上に抑揚が感じられない。
そのまま海堂は何も言わないし、俺もコメントしようがなかったからしばらく沈黙が続いて、屋上に吹く風の音とか鳥の声だけが響く。寝転がってるせいで嫌でも目に入る空は今日もよく晴れていて、雲が風に吹かれてどんどん形を変え、流れて行く様が見ていて面白い。そんなはずはないとわかっていても空の中へ吸い込まれそうな気分にすらなる。
「だんだん返せるもんが増えてってるかも。」
ふと俺は呟く。
「これって一種の進化。」
疑問形で言う俺に海堂は
「調子づいてんじゃねぇぞ、ボケが。」
一言で切り捨てた。
「てめぇなんざ、まだまだ下の下だ。」
「へいへい、精進しますって。」
言われなくてもわかってる。部内だけでなく今まで皆に隠れるようにして見てきた他校の化け物共、 実際にぶつかる度に俺なんかが越えられる壁じゃないことを思い知らされてる。でも、それでも。
「諦めんのは嫌だ。」
「いちいちうるせぇ、知ってる。」
思う。海堂が俺にこう言ってくれるのは、きっと当たり前のことなんかじゃない。

続く

作者の後書き(戯れ言とも言う)
いい加減ここまで来たので、そろそろ本気の主人公VS海堂戦を書きたいと思ってます。
2009/10/30

前の話へ 目次へ戻る 次の話へ